たまたま読んだ本22:「もしニーチェがイッカクだったなら?」ヒトの知性はヒトを幸せにできるか? 人類は自分自身の成功の被害者
ヒトはヒトの知性が特別だと思っている。だが、実は知性の暫定的な定義はなく、測定可能な概念として、知性というものが実在するかどうかもわかっていないという。
果たして知性とは何なのか? 著者はその沼に踏み込んでいく。
苦痛に意味を見出す実存主義哲学者のニーチェ。
動物はヒトのように喜びや苦しみを深く経験するのに必要な知性を欠いている。実存について思い悩む必要のない牛のように愚かでありたかったと願う一方で、実存について思い悩むことのできない牛を哀れんだ。
知性こそが、苦痛のなかにある意味や美や真実の追求にニーチェを駆り立て、彼を狂気に追いやった。
著者の好きなイッカクやヒト以外の動物は、自分が死を免れないことを悟るだけの知的能力をもっていない。それが、彼らにとって幸いなことだ。
もしニーチェがイッカクだったら、狂気に陥ることもなく、幸せに生きただろうことを仄めかし、ヒトの複雑な知性とシンプルに生きるヒト以外の動物種の生を比べ、知性のおぼろげな姿に迫る。
ヒトは「なぜ」と因果関係を知りたがるが、チンパンジーをはじめ動物は、因果関係を理解することなく、この世界とうまくやっている。
彼らはヒトと違って、進化的な意味で墓穴を掘ってもいない。
種の特徴として、ヒトは生まれつき相手を信じやすく、また嘘つきだ。この二つの形質の組み合わせ、すなわち嘘をつく能力と嘘を見破る能力の歪なミスマッチのせいで、ヒトはヒトにとって危険な相手となる。
ヒトの嘘をつく(そしてデタラメを生み出す)能力には、利点を帳消しにしかねないダークサイドがあることに気づく。疑わしい、混乱を招く、あるいは虚偽の情報は、国家がバックアップすると嘘とデタラメという形で拡散し、これまでに無数の人々の命を奪ってきた。
ヒトの知性だけが生み出す残虐性と言えるかも。
動物はヒトほど苦悩を抱えていない。それは単純に、自分自身の死を想像できないためだ。
だが、牛の屠殺場では、殺される前に牛が泣くと聞いたことがある。
牛も直前には死を予感しているためではないだろうか。
動物は、道徳的見地からの正当性を後ろ盾にして、同種個体群の一つの下位集団を組織的に全滅させるような認知能力を、彼らはもち合わせていない。
ヒトは、過去の反ユダヤ主義のホロコーストや現代のウクライナやイスラエルの戦争のように、市民や子供を無差別に爆撃してしまう残虐行為を道徳見地から正当化して、繰り返してきた。これもヒトの知性のなせるわざか。
苦痛、困難、死はふつう悪いものであるという基本原理に立ち返るなら、ほとんどの場合、動物のほうが正しい(そして道徳的に優位にある)と言えそうだ。しかし、だとしたら、ヒトの道徳は進化的な意味で悪いものなのだろうか?
ヒトは複雑な認知能力のおかげで、途方もない規模の産業活動(石油・天然ガス採掘、工業的農業、土壌枯渇など)に従事し、地球を居住不可能なゴミ溜めに変えつつあるのだ。ヒトのキッチンを満たしている、世界の農業・工業複合体によって生み出された食料は、本質的に人類という種の生存を脅かす大間題だ。と、著者はヒトの知性の矛盾を突く。
人類は自分自身の成功の被害者だ。この星の環境を根本から全面的に変える能力をもっ生物種は、ヒト以前には地球上に一つとして存在しなかった。
ヒトの知性にどれだけの価値があるのか。と自問する。
そして、動物界の「進化的成功」の具体例を集めてみれば、勝つのはいつも(ヒトのような複雑な認知ではなく)シンプルな認知のほうだとわかる。と指摘する。
いまこの地球上に生きている細菌の個体数は、全宇宙にある星の数よりも多い。数だけで見れば、細菌が生命史上もっとも成功した生命体であるのは明らかだ。そして細菌は、どれだけ想像力を働かせたところで、複雑な認知と呼べるようなものを一切備えていない。
やはりシンプルな思考は複雑な認知を上回る。
複雑な認知能力は生きていくうえで足枷になりうるからだ。
シンプルな生物(細菌、ホヤ、ワニなど)は何百万年にもわたり、複雑な認知能力をまったく必要としないまま、自然淘汰のゲームに勝利し続けてきた。
10億年に及ぶ動物の認知能力の歴史のなかでは、人類の偉業など一瞬の閃光でしかない。圧倒的大部分を占める、シンプルな心による支配の叙事詩に添えられた、目を引くささいな脚注にすぎないのだ。その一瞬が地球を絶滅させる可能性を持つ。
言語は苦痛と快感の両方を生み出す諸刃の剣だ。言語がなければ、ヒトという種はもっと幸せだっただろうか? その可能性はおおいにある。人類が言語をもたない類人猿のままだったら、世界はこれはど死と苦痛を経験しただろうか? おそらくしなかっただろう。動物界全体を見渡したとき、言語がもたらした苦痛は、快感を上回るかもしれない。言語は例外主義のパラドックスの犠牲者だ。ヒトの心の独自性の究極の象徴であり、驚異的な能力ではあるけれども、ヒト自身も含めた地球上の生命に、快感よりも多くの苦痛を生み出すように働いたのだ。
ヒトは生物種として、科学と数学のおかげで快感の劇的な増加を経験した。しかし、原爆を生み出したのも科学と数学だ。
言語と同じく諸刃の剣なのだ。平均的な人類は、科学技術の発展のおかげで10万年前よりもいい暮らしができているだろうが、地球そのもの(そして地球上の全生物)にとっての状況は劇的に悪化した。おおむね人間活動が原因で、現在絶滅の危機にさらされている100万種の生物にとって、快感は大きく損なわれている。
ヒトは、技術的にも認知的にも、すべての人間とヒト以外の動物が経験する快感を最大化するような世界を作り出す能力をもっている。ヒトの知性の価値を、ほかの動物の知性を越えた高みに引き上げるものだ。快感にあふれる世界を想像できるのはヒトだけなのだから。もしもヒトの心の価値に、動物の心を上回る点があるとしたら、それは快感の重要性を理解し、快感をできるだけ広く行き渡らせたいと思えることだろう。けれども皮肉なことに、ヒトはそんなふうに行動していない。
予測的近視眼がヒトを差し迫った(気候変動、核戦争、あるいは生態系崩壊による)絶滅の危機に陥れている。
予測的近視眼は、ヒトが未来について考え、未来を変える能力をもっていながら、将米に起こる事態について真剣に気にかける能力を欠いていることを指す。こうした現象が起こるのは、ヒトが独自の認知能力を駆使して複雑な意思決定をおこない、その決定が長期的な影響を及ぼすためだ。けれども、ヒトの心はおもに(遠い未来への影響ではなく)直近の成果に対処するように進化してきたため、ヒトがこうした意思決定の長期的な影響を経験したり、理解したりできることはめったにない。これこそ、ヒトの思考のもっとも危険な欠陥だ。人類の絶減をもたらしかねないほどの脅威と言ってもいい。
著者は、ヒトの知性の価値は遠い未来を予測できる能力だが、その遠い将来の危機に対して対応、行動できない予測的近視眼が地球を滅ぼすことを危惧する。結局それがヒトの知性の限界なのか。
人類は滅亡のために経済の成長をひたすら求めて悪戦苦闘しているとは、決して思いたくないのだが、言葉を持たない類人猿から、映画「猿の惑星」を思い出してしまった。ヒトは徹底的に争う。なぜ?
あっ、株式市場の勝負で、大多数の人では勝つのはほとんど運によるものらしい。知性の力ではなかったようだ。
もしニーチェがイッカクだったなら?
動物の知能から考えた人間の愚かさ
出版社:柏書房
発売日:2023/6/27
ページ:284ページ
定 価:2,420円 (税込み)
【著者プロフィール】
ジャスティン・グレッグ(Justin Gregg)
ドルフィン・コミュニケーション・プロジェクトの上席研究員であり、聖フランシス・ザビエル大学の非常勤講師として、動物の行動学と認知学について教える。バーモント州出身で、日本とバハマで野生のイルカのエコーロケーション能力を研究。現在はカナダのノバスコシア州の田舎町に住み、科学について執筆する傍ら、自宅近くに住むカラスの内面生活について考えている。
【訳者プロフィール】
的場知之(まとば・ともゆき)
東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科修士課程修了、同博士課程中退。訳書に、ロソス『生命の歴史は繰り返すのか?――進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む』、ピルチャー『Life Changing――ヒトが生命進化を加速する』(以上、化学同人)、クォメン『生命の〈系統樹〉はからみあう――ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』、ウィリンガム『動物のペニスから学ぶ人生の教訓』(以上、作品社)、スタンフォード『新しいチンパンジー学――わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?』(青土社)、王・蘇(編)『進化心理学を学びたいあなたへ――パイオニアからのメッセージ』(共監訳、東京大学出版会)、マカロー『親切の人類史――ヒトはいかにして利他の心を獲得したか』(みすず書房)など。
トップ写真:オリーブの実
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