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サブカルとの正しい距離感

このnoteを以前から読んで下さったり僕のXをフォローして下さる方であれば、僕がやたら文章中の表現で映画や音楽の場面やフレーズを引用したり、見た映画や聴いた音楽の話をするのをご存知だと思う。ちょっと前まで月初に、その前の月触れたカルチャーをまとめるなんて記事を書いていた。

で、これはおそらく同じような趣味を持っている方には刺さるが、超ストレートな言い方をすれば「カルチャー全然興味ない。発達障害についての情報が純粋に知りたい」なんて方にとってみれば嫌味でウザイことこの上無いのである。

自分が好きなカルチャーについて他人にアピールする際、少なからず「こんな物に興味がある俺カッコ良いでしょ?」的なその人のエゴが垣間見えてしまうから、やり方が露骨な人は煙たがられてしまうのだろう。

ちょっと前までの僕はまさにそんな状況だった。カルチャーの知識量こそ自分のアイデンティティだと信じて疑わず、無理して音楽や映画を未漁った。知識量が多い奴が偉いんだと思っていた。

でもある時というか、自分の適性と能力を活かせる環境設定、目指す目標の方向性が決まった時、別のアイデンティティが芽生えた時に、そんな「薄いサブカル」に囚われるのをやめようという感覚が出てきた。

ただ誤解しないでいただきたいのは、これまでも僕は「俺はこれが好きだ」「この映画面白い」という自分の気持ちに対して全く嘘をついていなかったという事だ。だし、そういった自分が好きになったコンテンツや、その気持ちまで否定してしまうほどの自己嫌悪には陥っていない。

また、仕事や目標に一生懸命になるあまり全くカルチャーに触れなくなったら、それはそれで柔軟性の無い本当につまらない人間になる。

僕はスポーツをやらない。そのくせ色んなイベントに顔を出したり、最近身に付けた片言の英語で海外の方が集まるバーに行ったりする。そんな時、相手が海外の方だろうが日本人だろうが、話の話題としていわゆるサブカルは超便利なのである。

「ジョジョ読んだことないけど話聞く限り超面白そうだな」
「海外の人と好きな音楽の話できた!めっちゃ楽しかった」

なんていう体験があるし、純粋に面白かったり好きだと思える作品に出会えた時の感動を知っているから、これからも追求していくことをやめるつもりは全く無い。

ただ確実に言えるのは、

エセサブカルというアイデンティティで自分を武装するあまり、むやみやたらに知識をひけらかしたりマウントを取ったりするのは情けないからやめよう。

その作品が自分にとって好みかどうかは別として、それが好きな人の気持ちまで否定するのはやめよう。

の2つである。カルチャーはファッションやキャラ作りのための道具ではない。自分がその作品が本当に好きなら深掘りすれば良いし、嫌なら無理して吸収する必要もない。

もっと言えば「これ聴くのは俺のキャラじゃないんだよな」とか言って食わず嫌いしたり、本当は好きなのに嫌いなフリをする必要はない。自分の気持ちに対してもっと素直になったほうがいい。

そんな、ある程度経験を重ねた人なら早い段階で辿り着く境地にようやく追いついたという話でした。

ただ以前の「哀れなるものたち」の記事だったり、本当に自分が感銘を受けた作品は、TPOをわきまえながら皆さんにシェアします。感想だったりを綴るのは自由だと思うので。

適切な距離感を踏まえつつ、今後も映画や音楽を好きでいようと思います。

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