一方通行の愛
とあるイベントの運営に携わっていた時、ゲストとしてお呼びした男性有名人の方を一目見ようとわざわざ遠方から足を運び、黄色い歓声を上げるファン達の姿を見て、図らずも「なんか嫌だな」という感情が芽生えた事がある。
そのイベントはファンミーティングを目的とした物では無い、れっきとした別の趣旨のもと開催されている物のはずだった。「この人達にとってイベントの本来の趣旨なんてどうでも良くて、ゲストだけ見れりゃそれで良いんだな...」というのが透けて見えてしまったのだ。
昨日解散を発表した女性お笑いコンビ「ハイツ友の会」の西野さんも、解散発表時のコメントの中で、自分たちの芸ではなくルックスや人となりにばかり着目する男性ファンに対して暗に釘を刺していた。
決して悪気は無くて、むしろ相手のことを思い過ぎてしまう。結果として相手が苦痛や負担を感じてしまうコミュニケーションの事を、人は「重い」「キモい」と形容する。
コンカフェの女の子にガチ恋して見当違いのプレゼントを渡し、「僕と結婚してくれ!」と迫る客
絶対に勝算がないのにクズ男に都合の良いように扱われ、彼の本命になる日を夢見続ける女性
下ネタを交えたコミュニケーションで年下の人と距離を近づけようとする事が「セクハラ」に当たると気付けないおじさんおばさん
こんな話を聞く度に、そこに至るまでのどっちの気持ちも想像できて切なくなる。
数多の創作物の影響で、そんな相手の求める物とズレた愛情表現が、ともすれば一途でカッコ良い物だと勘違いしていた時期がある。
その間俺は、好意を寄せていた相手に対してどれほど気色悪い態度を取り続けていたのだろうと思うと、すぐさま駆けつけて全力で当人達に土下座したい気分になる。
相手の気持ちを無視した一方通行的な愛は、創作物が描く姿ほど美しくてカッコ良い物では無い。むしろその逆。
それに気付いた瞬間に、「誰彼構わずモテる」というのは世のモテない男が思うほどラクな事ではないのだと悟れたし、好意も何も無い相手から一途に思われ続けることに悩まされ続けている女性はいかに大変な思いをしているのかが容易に想像できた。
自分はむしろそっち側の人間だからこそ安易に差別的な言い方をしたく無いが、そりゃそれが分かってない男性女性にさまざまな蔑称が付いてヘイトが飛ぶのは当たり前だ。
相手を傷つけることを過度に恐れる臆病な人間は、結果的に物凄い受け身な人、古い言い方をすれば「草食系男子」になって行く。
とは言え、「それでも好きになった人に好きになってもらいたいのが人の性じゃねぇか。お前は俺らの気持ちを踏みにじる気か」という声が聞こえてくるのも当然だろう。
残酷だが、「なるべく相手に不快に思われないよう気を付けながら、時間を掛けて慎重に仲を深める。相手が嫌がっていたりよそよそしかったり、こっちに対して微塵の興味も無さそうなのを察したら、潔く身を引いてしまう。」以外の、誰も悪者にならない解決の仕方を僕は知らない。
相手が身近な誰かだろうが有名人だろうが、その人が嫌がることはしない。相手に対するエゴが強まれば強まるほど人間は周りが見えなくなるというのを、常に頭の片隅に入れておくということ。
「そんなんだから彼女できないんでしょ」なんて言うお節介が飛んできたら、「はいそうですね、それの何が悪いんですか」とだけ返しておきます。
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