墓標
お盆前の金曜日、地元の居酒屋わんわんに高校時代の同級生5人で集まって飲むことになった。
俺達が会うのは高校を卒業して以来20年振りで、さながら同窓会の様相を呈している。
なぜこうして集まることになったかと言うと、半年前に起きたある事件がきっかけだった。
久々に会った俺達はとりあえず事件のことには触れず、現在の仕事や家庭環境などの近況と昔話を思い思いに語り合った。
内容の殆どが高校時代の思い出話で、会話が途切れる気配はなかった。
話のはずみで百合子が「過去って何なんだろうね?」と呟いた。
百合子はクラスのまとめ役的な存在で、当時から男子にも女子にも慕われていた。
今は看護師として働きながら二人の子供を育てている。
職場結婚だったそうだ。
「お?じゃあ過去についてディベートするか?」
田中が酔いの回った様子で応答した。
田中は高校時代からクラスの人気者で、一時は芸能事務所に所属してタレント活動をしていたこともあったが、今はアジア圏を中心に輸入雑貨を扱う事業など複数の会社を経営している。
田中の私生活は昔から破天荒そのもので、タレント時代には名だたる女優やアイドルと浮世を流しており、自分が知る限りでバツが二つは付いていた。
「こういうのは最初が肝心だからな、トップバッターは優等生の竹田に任せようぜ。」
言うだけ言って誰かにやらせるのは田中の常套手段だ。
アイデアマンと言えば聞こえがいいが、当時から自分で始めといて飽きたら人任せにする所があった。
社長業はなるべくして成ったと言えるだろう。
俺は田中のことが嫌いだった。
「おいおい、久々に日本に帰ってきたのにプレッシャーをかけるなよ。」
竹田はまんざらでもなさそうな表情を浮かべて言った。
一番手を任された竹田は、学年トップの成績で国立大学に進学し大学院で博士号を取得したドクターで、現在はロサンゼルスの大学でモルモットを使った脳神経の伝達について研究しているらしい。
「俺が考える過去は礎だな。過去があるから現在があり、今の取り組みもいずれは未来の礎になる。人生はそんなふうに一直線に繋がっているのだと思う。」
なるほど、勉強一筋で生きてきた竹田らしい答えだった。
「次は青木くんね!」
百合子が俺に順番を回した。
俺は38歳になる現在まで自分の力で何かを成し遂げたことはなく、人に何かを主張できるような生き方をしてこなかった。
高校卒業後は学校推薦で決まった大学になんとなく進学し、就職活動はせず親の経営する印刷会社に裏口入社した。
そのまま取引先の社長の娘とお見合い結婚をして一男一女を授かり、現在は青木家が代々所有する土地の一部を譲り受け、結婚祝いで建てて貰った一軒家に家族4人で住んでいる。
絵に描いたような世襲人生だ。
高校時代からクラスの輪を乱すこと無く誰かの言うことに従い、今も百合子に促されるがまま過去について中身のない発言をしようとしている。
「俺にとっての過去は、、感謝かな。先人が築いてくれた道があるからこうして何不自由なく暮らしていられるので。」
言葉の節々に甘さが出ていて、我ながら辟易した。
「築いてもらったのはマイホームだろ?青木は生まれながらの勝ち組だもんな。」
向かいの席に座っていた江口が俺に嫌味を言ったが何も反応しなかった。
俺の人生だってそれなりに大変なことはあったが、それが大多数の人の苦労と比べて生ぬるいものであることは理解していた。
「あら、私も青木くんと同じ意見よ。過去から受け継いできたバトンを子供達に繋いであげたいじゃない?」
百合子が俺を庇うように言った。
女は結婚して母親になった瞬間から、自分の人生が子供のための人生に変わる。
これは本能的なものだろう。
男にはそんな本能は備わっていない。
男は自分がやると決めたことをやっているだけだ。
仕事でも趣味でも、それが不貞行為だったとしても。
女は男の人生に寄り添って生きているように見える。
しっかり者の百合子のことだから、きっといい母親になっていることだろう。
「じゃあ次は俺の番だ。」
さっき俺に悪態をついた江口が言った。
「過去ってのは抜け殻なんだ。俺は若い頃からいろんな職場で人に揉まれて様々な経験をして、転職という名の脱皮を繰り返して成長してきた。
竹で言ったら節目とも言えるのかな。節目のない人生なんて同じことの繰り返しで何も面白くないわ。」
江口は高校時代にバイトをしていた飲食店の仕事にどっぷりはまり、調理師学校を経て有名イタリア料理店に見習いとして就職し、都内のレストランを転々としながら料理の腕を磨いた。
25歳の時にイタリアに渡って修行を始め、ローマの三つ星レストランではスーシェフを任されるなど様々な経験をして5年後に帰国。
現在はトラットリア リベルタ エグチという店のオーナーシェフを勤め、昨年はミシュランガイドに掲載されるなど新進気鋭のイタリアンとして注目を集めている。
店名のリベルタとはイタリア語で自由を意味していて、役職や収入に囚われず自由に働く場所を変えて生きてきた江口らしい名前だと思った。
「過去が抜け殻ってことは今の俺は蝉か?でも蝉は一回しか脱皮しないから蛇とかトカゲかな。
青木は親の会社でしか働いたことがないから一生イモ虫のままかもな、ハハハ。」
またしても江口は俺に嫌味を言った。
江口は昔から何かに付けて俺に食ってかかってくる所があった。
高校時代に百合子と付き合っていた俺を憎んでいたのだろう。
江口は百合子のことが好きだった。
百合子との関係は高校を卒業してしばらく経った辺りで自然消滅した。
百合子は看護師学校に進学してからも必死に努力していた。
俺は推薦で入った大学で悠々自適な生活を送っていた。
俺達はどう考えても不釣り合いだった。
ある時、百合子が俺のどこに惹かれたのかと考えたことがあった。
高3の時はクラスの誰もが自分の進路について不安や焦りを感じていて、多分俺はクラスの他の奴らよりも気持ちに余裕があったんだと思う。
百合子はそれを包容力か何かと勘違いしたのだろう。
大学の推薦も当然親の息が掛かっていた。
そのことを百合子には話していない。
正味の俺はクラスの誰よりも甘ったれのクソ野郎だった。
「俺にとって過去は誇りだ。」
ウーロンハイを片手に畑中が言った。
畑中は高校時代にボクシング部の主将をしていて、高校卒業後は名門正拳ジムに入門、東日本の新人王を経て日本チャンピオンにまでなった。
世界前哨戦で負った左目の網膜剥離により現役を引退したが、試合後にテレビのニュースに特集されて、度重なる怪我や挫折にも屈せずリングに立ち続ける姿は多くの人に感動を与えた。
引退後は現役の頃から勤めていた工場の生産ラインの仕事を続けながら、正拳ジムのトレーナーとして後進の指導に当たっている。
「最初は大勢の人が見てる前で戦うことが楽しくて無我夢中でやってたけど、段々それだけじゃ勝てなくなってきて自分に自信が持てなくなってきたんだ。怪我もあったしな。」
畑中は語り続ける。
「右肘を手術して1年間ブランクがあったんだけど、これまで以上に必死に練習してリングに戻ってくることができた。
世界タイトルには手が届かなかったけど、逃げずにもう一度挑戦できたことが俺の誇りなんだ。だから今も胸を張って生きていられる。」
畑中は遠い目をしながら言った。彼の脳裏には当時の情景が浮かんでいるのだろう。
皆、畑中の話に聞き入っていた。
「つまりお前は過去に縋って生きてるってことだな。」
田中が信じられない言葉を口にした。
「なっ、なんだと!キサマ、、」
畑中は不快感を露わにし、その場は一触即発の様相を呈している。
「お前にとってボクシングが大事なのは分かったよ。日本チャンピオンになるぐらいだから血の滲むような努力をしたんだろう。
でも、今のお前はなんだ?
ボクシングジムに通うためにやってた工場の仕事をいまだに続けていて、次の人生に挑戦することから降りちまってる。
どうせ毎晩テレビの録画を見ながら昔の自分に浸ってるんだろ?そんなのお前以外の奴から見たらとっくに賞味期限が切れてんだよ。」
その瞬間畑中の張り手が田中の右頬に炸裂した。
拳を使わなかったのは畑中の元プロボクサーとしての自制心だろう。
個室だったので店員には今の騒動を気付かれなかったようだ。
「じゃあ最後に俺が教えてやるよ。過去なんてものはない。頭の中で勝手に妄想してるだけだ」
畑中に張り倒された田中が起き上がり際に言った。
口元には僅かに血が滲んでいる。
「ずっと黙って聞いてたけど、お前らは過去があるものだと勘違いしてる。
過去なんてものは存在しない。未来もない。
あるのは今だけだ。
過去ほどいい加減なものはない。」
田中は断言するように言い放ち、自分の過去について語り始めた。
「俺の父親は経営と人生のアドバイザーを名乗ったインチキくさいコンサル業をしているが、俺がガキの頃からあちこちに女を作って殆ど家には帰ってこなかった。
たまに帰ってきたと思えば酒に酔って母親と俺を大声で恫喝し、最後は決まって「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!!」と怒鳴り散らしてまた家を出ていった。
でも奴の信者共の間では『家庭を大切にするマイホームパパ』ってことになっている。
奴の自伝には家族との心温まるエピソードが書いてあるからな。」
田中は捲し立てるように話し、さらに父親の話を続けた。
「だが、奴の中では嘘を言っているつもりはない。そういうことにしたんだ。
自分が家族思いの父親だったという過去を捏造して。
母親や俺が受けた屈辱のことなんて、とうの昔に記憶から消しちまってる。
そんなことはなかったことになってるんだ。
おそらく俺の他にも愛人との子供がいるんだろうけど、そこでも都合のいい記憶をでっち上げてそれが真実だと思い込んでいる。
それが過去の正体だ。
過去に起きた出来事が事実かどうかなんて当事者以外は知るよしもないし、事実の有無なんて何の意味も持たない。それは世界の歴史が証明している。
肝心なのは事実よりも解釈だ。
過去っていう食い物を自分がどう咀嚼したかで未来の体型が変わってくるんだ。
たとえそれが嘘っぱちの記憶だったとしても。」
田中は虫唾が走るようなエピソードを口にし、それこそが過去の正体だと言った。
気味の悪い話ではあったが、田中の言っていることはあながち間違いではなかった。
「俺は奴から人を信じ込ませることの効力を学んだよ。
洗脳は女を口説くには持ってこいの手口だ。
女なんて一度惚れさせちまえばイチコロだよ。
あとは如何様にもコントロールできる。
そのためなら嘘でも何でもついたね。」
田中は不適な笑みを浮かべた。
「ただな、洗脳で儲けられるのは騙す側だけだ。洗脳された人間はいずれ自分が騙されていることに気付く。
金も体も搾取されたあげくに捨てられて心に傷を負った人間は、どんなに悔い改めても二度と元の自分には戻れない。
ぐちゃぐちゃに丸めた画用紙を平らに伸ばしても、元の綺麗な状態には戻らないようにな。
そうやって人を騙して貶めるような奴はクズだ。
そういう詐欺師は反省したフリをして何度でも過ちを繰り返す。人を騙すことに味を占めているんだ。人が堕ちていく様が奴らには快感なんだよ。」
田中はそう言うと再び話の矛先を畑中に向けた。
「一発殴られたからもう一つ言わせてもらうけどな、お前にとってボクシングがどれだけ大事なのかは知らんが、そんなものは俺に言わせれば墓場だ。過去なんてすべて墓場だよ。
お前はボクシングという墓からいまだに成仏できていない地縛霊だ。」
畑中は何も言わずに聞いていた。
こうなった田中を止めることは誰にもできない。
「我ながらいい例えだよ。
誰にだって初恋の人がいるだろ?
生まれて初めて淡い恋心を抱いた憧れの人は、心の中でいつまでもあの頃の姿のままだ。思い出は年をとらないし色褪せない。
だが、それは亡霊と同じだ。
江口にとっての百合子がそれだ。
でも20年ぶりに会った百合子を見てどういう気持ちだ?
あの頃の百合子じゃなかっただろ?
本物の百合子は年を取るし、顔にシワだってできる。
それが現実だ。百合子はお前の亡霊じゃない。
つまり過去なんていくらでも自分に都合のいいように解釈できる。それが捏造された記憶だったとしてもな。
でも、現実はそうはいかない。これから生み出していくものだ。
だから俺は頭を使って動きまくってる。
いつまでも昔話に付き合ってる暇はないね。」
田中は全方位に毒を吐き続けて、最後にそう締めくくった。
「ごめんね。私が過去の話なんてしたから、、」
重苦しい空気の中、百合子が震える声で言った。
「そういえば、、」
重い口を開いたのは竹田だった。
「あれから溝口はどうなったのかな。あの事件から、、」
竹田が溝口の話をした。
今回の同窓会が開かれることになったきっかけは、半年前のテレビのニュースで溝口を見たからだ。
警察に連行される溝口の姿を。
溝口の家は母子家庭で、高校時代の溝口は新聞配達とガソリンスタンドのアルバイトで学費と生活費を稼ぎながら、運転免許取得の資金を貯めていた。
溝口には小学生の弟と妹がいて、過労で体調を崩していた母親の代わりに溝口が炊事洗濯もやっていた。
高校の卒業間際に母親が亡くなり、溝口は卒業式には出れなかった。
卒業後はすぐに運送会社に就職し、親代わりになって弟妹の面倒を見ていたようだが、その後のことは分からない。
溝口の父親は溝口が中学の時にギャンブルで消費者金融から多額の借金をし、逃げるように家を出てそのまま行方不明になってしまったらしい。
父親がいなくなってしばらくの間は毎日のように家に借金の取り立てが来ていたが、ある時を境にパタリと来なくなったので、借金の肩代わりに保険金を掛けられてそのまま海に沈められたんじゃないかと母親が話していたそうだ。
傍から見ればろくでもない父親だったはずだが、溝口から父親の悪口を聞いたことはなかった。
そういえば昔、溝口がこんなことを言っていた。
「親父は体を動かすのが好きで、小学生の頃はよく俺と遊んでくれたんだ。
毎年俺の運動会の日を楽しみにしていて、母親と二人で大声を出して応援してくれた。
あまりの必死さに周りの親たちも何も言えなかった。そんなバカはうちの親父しかいなかったと思う。
俺は恥ずかしかったけど、本当は嬉しかった。
弟妹達はまだ小さかったから親父と遊んだ思い出がないんだ。それがかわいそうで。」
溝口にあんなことがなければ、この話は一生思い出さなかっただろう。
溝口は2トントラックで都内の幹線道路を運転中、交差点でアクセルとブレーキを踏み間違えてそのまま歩道に突っ込んだらしい。
その先には子連れの親子がいて、救急車で病院に運ばれたが母親も子供も助からなかったようだ。
過労による居眠り運転が原因だった。
溝口は業務上過失致死罪で実刑判決が下され、現在は刑務所に服役している。
溝口には家族がいたのだろうか?
まだ小学生だった溝口の弟や妹も、今では大人になっているだろう。
俺が知っている溝口は、同級生の中で誰よりも立派な男だった。
事故の被害にあった遺族の悲しみは想像に余りあるが、溝口がこれから送るであろう贖罪の日々を思うと胸が苦しくなった。
「もし過去が墓場だとしたら、溝口はあの事件にどんな墓石を建てるんだろうな。」
竹田がそんなことを呟いた。
「死骸だよ。
思い返すことができない過去に墓標は建てられない。墓参りもできない。
誰にも弔われることなく死んで、腐って消えていくだけだ。」
田中が言った。
それ以降、誰も一言も話さなかった。
別れ際、俺は田中に言った。
「幾らいいとこ取りしようと思っても、どこかで借金を返すことになるよ。
お前も俺も。」
「お前なんかろくな死に方しねえよ。」
田中はそう言って立ち去った。
その日を最後に同窓会が開かれることはなかった。
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