偶然
私は都内の某女性誌の出版社に勤める30代のOLで、30代と言っても40歳手前のアラフォーで、未だに独身であることから周囲に余計な気を遣わせている。
私自身は恋愛ドラマやゲームに推し活など充実したプライベートを送っているつもりだが、そういった杞憂がまったくない訳ではないので、何度かマッチングアプリで知り合った男性と食事に行ったことがあった。
マッチングアプリとは年齢や趣味や職業と指定された情報を載せると、それに見合った相手を紹介してくれる現代の出会い系サイトで、マッチングアプリを介して会っている時点でお互いに目的は明確なはずなのだが、マッチングアプリで召喚された男性モンスターに自分が惹かれることはなかった。
アプリの世界で魔法を使うと、延々と自分の話をする男、うんうん相槌を打ちながら私の聞き役に徹しようとする男、乗っている車や有名人の知り合いを自慢する男など、様々なタイプのモンスターが召喚されるのだけど、私が求めているのはテレビドラマのような偶然の形をした運命の出会いだったので、熱心にアピールされればされるほど心の中にスーッと引いていくものがあり、自分がマッチングアプリに向いていないことは分かった。
会ってくれた男性に申し訳ないので、以後マッチングアプリは利用していない。
職場では編集部に所属していて、雑誌の編集の仕事というと華やかなイメージがあるように思うが、弊社の編集部は少人数で回しているせいかあちこちに気を配るスキルが要求され、陸上の十種競技さながらに様々な業務をこなしている。
昼休憩も残った人間が電話番をするため一人ずつ回すことが多く、連れ立って食事をするのが苦手な私にとっては好都合だった。
昼休みはもっぱら近所のダリーズでパスタかサンドイッチを食べながらネットゲームやSNSに興じている。
SNSは主にアメリカの起業家アーノルドマックスが買収したことで話題になったZというプラットフォームを利用していて、趣味や用途に応じて複数のアカウントを使い分けている。
Zは数あるプラットフォームの中でも特に治安が悪く、トレンドや炎上で注目が集まったアカウントに群がって袋叩きにする一部のユーザーをZ戦士と呼んで揶揄したが、私は見てるだけであまり書き込むことはしなかった。
Zのスマホゲーム用のアカウントで意気投合した人からDMが送られてきて、オフ会の名目で一度だけ飲んだことがあったが、あからさまに酒を進めてきて私を酔わせようとするのが分かったので、早々に切り上げて別々の駅で帰った。
SNSのDMナンパは無課金な分、マッチングアプリよりもたちが悪い。
私はその時、SNS上の関係はSNSだけに留めておいた方がいいと学んだ。
その方が変な間違いが起こらないし、煩わしくないのがインターネットのいいところなんだから。
私は現在、神奈川新町にあるワンルームマンションに保護猫と一緒に暮らしている。
職場は品川駅付近のビジネス街にあり、普段は猫の世話があるのでまっすぐ家に帰っているのだが、金曜日で明日は休みだったので五反田駅の近くにあるスパイスバルに寄り道をした。
この店に初めてきたのは半年ぐらい前で、編集部の同僚がSNSのインスタジアムで見つけて女子3人(といっても年齢は二人とも20代)で伺ったのがきっかけで、以来自分一人でも仕事帰りに足を運んでいる。
私は人見知りとコミュ障の二刀流で自分から知らない人に話しかけることは皆無なのだが、マスターは来る時と帰る時以外はいい感じにほっといてくれるので居心地がよかった。
その日、私はカウンター席に座ってクラフトビールを注文し、スパイスを塗したミックスナッツを摘まみながらスマホゲームをしていた。
2杯目にモヒートを注文して、シメに豚バラ肉の唐揚げが乗ったスパイスカレーを食べるのがいつものパターンだ。
それ以外の注文はしない。
家で猫が私の帰りを待ちわびているからだ。
「お待たせしました~」
私の前にいつものスパイスカレーが届く。
さっそくスプーンで掬おうととした時、カウンターの端の席に座るサラリーマン風の男性にも同じものが運ばれるのが目に入った。
男性はスパイスカレーが自分の席に届いたと同時か、若しくはまだマスターがカレーを持っている段階でスプーンを手に取り、到着した途端に一心不乱にカレーを食べ始めた。
男性の目には私はおろか、マスターの姿すら視界に入っていないだろう。
それほどまでに潔い食べっぷりだった。
あっけにとられている私を見てマスターが笑いながら「美味しそうに食べるでしょ?このおじさんいつもこんななんですよ。」と言った。
するとそのカレーの男性が「人を犬みたいに言うんじゃないよ。それだけマスターのカレーが旨いってこと。お姉さんもそう思うでしょ?」と私に話を振るので「はぁ、まあ。」としか答えられなかった。
まるで小学生に好きな食べ物を聞かれているような錯覚に陥っていると、私の動揺を察したマスターが「三村さん(私)も似たようなとこあるよ!いつも一言も発さずにカレーと向き合ってるしw」と追い打ちをかけるので、私は大して酔っているわけでもないのに恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
マスターと一緒になって笑っていたカレーの男性は「ごはんが美味しく食べれるってのは幸せだよなぁ、お姉さん。」と言ってニカッと笑い、お勘定を済ませて去っていった。
私はしばらくあっけにとられていたが、猫の世話があるのでマスターにお会計をお願いすると「さっきのおじさんが三村さんの分も一緒に払っていきましたよ♪」と笑顔で言われた。
「えっ!どうして、、」
私は状況が掴めなかったが、マスターは「あの人、大竹さんって言うんですけど、僕と二人で笑ってたら三村さん顔真っ赤になっちゃったから、たぶん悪いことしたなって思ったんじゃないかな?
意外と気ぃ遣いなとこがあるんですよねぇ。
ま、うちは食べた分払って貰えればそれでいいんですけど♪」と言ってイタズラっぽくウィンクをした。
家に帰ってひととおり猫の世話を終えると、美味しそうにカレーを頬張る大竹さんの顔を思い浮かべた。
「偶然ではあるけど、ドラマと全然違うんだよなぁ。」
私は猫を撫でながら小さく微笑んだ。
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