夏目漱石の『それから』と就活

 大学も3年に突入するとゼミが始まり、より専門的な学問の楽しさを享受することが可能となる一方で、やはり就活のことを意識せざるを得ない状況となる。インターンシップに向けてエントリーシートを提出しなければならないし所謂「ガクチカ」なるものも用意しなければならない。気が詰まるような毎日である。しかしここまで苦労してようやく内定を掴んだとしても次に待っているのは40年近くにもわたる勤労の日々である。学生というモラトリアム期間はもはや終わりを告げ、社会の歯車として機能しなければならない日々が始まるのだ。

さて、ここからが本題である。このように日々「就活」という二文字に追われている私はふとした時に永井代助という人物を想起した。永井代助とはかの文豪・夏目漱石の最も有名な作品群の一つである前期三部作の第二作目・『それから』の主人公である。彼は物語では東京帝国大学、すなわち今日での東京大学を卒業するも就職することは一切なくただひたすら高等遊民として働かずに親や兄の金で悠々自適に暮らしていた。高等遊民と言えば聞こえはいいが、実態としては今日での「高学歴ワーキングプア」「ニート」「無職」とあまり変わらないだろう。このように浮世離れした生活を送っていた代助であったが彼はかつての学生時代の旧友の平岡の人妻・美千代に手を出してしまったことで親と兄から突き放されて勘当されてしまう。結局すべてを失って破滅した彼が職を求めて東京を彷徨い歩くという描写で『それから』という物語は幕を閉じる。

私が初めて『それから』を手にして読み終わったのは大学2年の秋頃であった。当時は私は代助に全くもって感情移入することができず、最後に何もかも失った彼に対して留飲を下げるほどであった。しかし今はどうだろう。毎日せわしなく過ごすうちにどことなく毎日のんびりとした生活を送る代助に対して羨望の眼差しを向けてしまうようになってしまった。そしてかつての学友が労働に勤しむ中で浮世離れした生活を送っていた代助が家族から縁を切られた結果求職活動をするさまに憐みの感情を抱くと同時に浮世の世界から俗の世界へと世俗化していく彼にどことなく虚しい感情を抱いてしまうようになった。

私は彼のように高学歴ではないし彼のように深い教養を持つわけではない。そして就活という運命から逃れるすべは一切持ち得ないものの、代助のように労働とは無縁な、気ままに誇り高き教養人として浮世離れした生活を送ってみたい。働きたくないでござる。


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