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人手不足とは言うものの

 教員、特に小学校教諭の人手が相当数不足しているというニュースを仕事のお昼休憩中に食堂のテレビで見た。
 90〜00年あたりの所謂氷河期や2010年前後の不況期に、公の雇用に対し多くの若者が救いを求めて集まっていたのを思い返すと隔世の感を禁じ得ないが、それと同時に、人手不足の現状ってマクロな視点(共同体を維持できるか否か)で見たら深刻でも、ミクロな視点(個々人の幸福追求)で見たらかなりハッピーなものではないかとも考えた。
 受験も就職活動も競争相手の絶対数が少ないため相対的に楽(白襟労働に固執せず青襟分野にも目を向ければ尚更)、買い手も人手不足なのを分かっているため売り手を粗略に扱わない、仮に職場環境が嫌になったとしても環境を変える(転職)ことへのハードルが下がった、と正直個人の目線で見たら生きやすい、素晴らしい世の中になったとすら思えてしまう。
 僕の大好きな某漫画作品に、大学の教育学部を卒業して教採を何度も受けるも悉く失敗して、非常勤講師にすらなれずフリーターとなってしまった、という設定のキャラクターが登場する。
また、同じく好きな某ドキュメント番組に、生活に困窮してハローワークに繋がるも、志望する介護業界から中々採用されず辛酸を舐めるという求職者に密着する回が存在する。
正直今の雇用状況を見ていると環境が違いすぎて同じ日本か??となるが、00年前後に世に出たこれらのメディア媒体はいずれも当時の世相を色濃く描き出したものであろう。自分のようなしがない一弱者男性には絶対生きられない世界であることには間違いない。
 所詮人生なんて努力より運だと思っているし、親ガチャや生まれた時代ガチャに左右されて当たり前だとも思っているけど、正直このオワコン期の日本に生まれたのも見方を変えれば悪くはないかなって感じ。
物価は高くてもす⚪︎家や吉⚪︎家みたいに労働が安く買い叩かれたりはしない。人手は足りていなくてもサービス提供者が過度にヘコヘコしたり下手に出過ぎたりしない。バカみてえな雇用条件で人を雇おうとする会社に労働者は妥協せず労働価値のダンピングも起こり得ない。
十数年前と比べたら現役世代にとって健全な世の中になったものだ。

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