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ショートショート#1 スポットライトの裏側

まえがき

2020年に坊ちゃん文学賞に提出してみた処女作です。

スポットライトの裏側

 私の彼はメーカーに勤務している研究者だ。
大学の工学部だった彼はそのまま同じゼミの先生の大学院の研究室に進学し、卒業後メーカーに就職した。そんなメーカーの研究所で私は彼と出会った。
彼は私の2個下だったが、彼は院卒ということで同級生として話すようになり、仲を深めていった。
彼の最初の印象は、真面目そう、だった。
実際に彼は研究に真面目に取り組んでおり、その様子を見ていると私の心は弾んだ。
そんな彼から告白されてた時の喜びは、世界がひっくり返るくらいの衝撃だった。
彼の真面目なところ、でも硬すぎず研究所の仲間内でおどけるお茶目なところ、それでいて2人の時は私に甘えてくるところ、様々な彼の側面が好きだ。
そんな彼と過ごす時間は愛おしく、私は研究そっちのけで彼と会える職場がとてもすきだった。

 彼には研究熱心な理系男子とは別の顔があった。それは高校時代から組んでいるバンドのボーカルの顔だ。
会社には内緒にしているようだったので私も彼と付き合ってから初めて聞いて、そんな顔があることに驚いた。
高校の同級生たちと5人でバンドを組んでおり、そのボーカルが彼の役割だ。
大学生の頃からバンドの曲も本格的に作り始めたそうで、有名な野外フェスに一度出たこともあるらしい。
そんなにすごいバンドなのに彼はあまりその話題に触れることはなかった。
バンドも5人もいると衝突やいざこざがあるようで、私と2人でいる時はバンドのことを忘れたいようだった。
私も自分から彼のバンドの話題に触れることはなかった。

 それからも彼は研究者として働きながら毎週末バンドメンバーと半日はスタジオで練習し、月に1度はライブハウスでライブをしていた。
時には深夜で練習することもあるようで、明け方にLINEが返ってくることも少なくなかった。
毎週バンドメンバーと練習が入っているため彼とは遠くに旅行に行くことが一度もなかった。
デートといえば基本的にどこか美味しいお店でお酒を飲むということが多かったが、私はそれで満足だった。
彼のライブに行こうと思った時もあるが、彼から止められて行くことはなかった。

 だがある日、他の友達たちは彼氏と海外旅行やら沖縄旅行やらに行っている話を聞き、ワタシは彼と遠出に行っていないということに落ち込んだ。
落ち込んだ気持ちから今度は彼が本当にライブをやっているのか、本当は浮気をしているのではないかと疑心暗鬼な気持ちに変わっていった。
そこでこっそり彼が投稿していたSNSのライブの告知を見て、彼に黙ってライブに行くことにした。

 下北沢のライブハウスに入った私は、40人くらいが狭い場所でお酒を飲みながらバンドの登場を待っている中に1人でたたずんでいた。
照明が落ち、ステージ上にスポットライトが当てられると、そこにはマイクを持ちステージのセンターに立つ彼の姿があった。

 どうも、ベンディーズです。よろしくお願いします。

 とMCの彼の言葉から、最初の曲が始まった。

ベースの低音から始まり、ドラムのシンバル音が重なる。
しばらくするとアコースティックギターとキーボードの音が重なり、リズムが生まれる。
その上にボーカルの彼の透き通るような声が覆いかぶさり、心地の良い空間が生み出された。

 こんな声だったんだ。
 そういえば一回も一緒にカラオケ行ったことなかったなぁ。
 そう思っていると自然と涙がでてきた。

 この涙は何の涙だ。
ステージ上の彼が歌う格好良い姿を見て、嬉しい気持ちからの涙か。いや、それもある。
 でも、ステージ上の彼は私の知ってる彼ではなく、どこか遠くの世界の人のように感じて悲しい気持ちになった。
 ステージで輝く彼はとてもかっこよかったし、輝いているように見えたが、私の前では見せたことのない姿だった。
この彼の素敵な姿をずっと見ていたい気持ちはあるのだが、私と2人の時には見せていない彼の姿を見てしまうと、私では彼に光を当てることはできないのではと不安になってしまう。

 彼を誇らしいと思う気持ちと彼が遠くに行ってしまった感覚。
研究している彼も彼だし、バンドで歌ってる時の彼も彼だ。私は彼のすべては愛せないかもしれない。
でも彼の一部は誰にも負けないくらい好きだ。

 人を愛することは、その人のすべてを愛せなくてもいいんだと私は自分に言い聞かせ、演奏を終えてステージから降りた彼の元へスポットライトの裏側から駆け寄っていった。

あとがき

友人のバンドマンがいまして、その友人の話にインスピレーションを受けて書きました。
舞台を照らしている照明の後ろには実は色んな気持ちで演奏を見守っている人がいるということを妄想しています。

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