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はじめてのタジキスタン 序章

それぞれの前日譚

これは2019年11月、タジキスタンに留学中の高校同期を訪ねた際の備忘録である。

日本からは私に加え、暇に明かした高校同期2人がこれに参加した。

ろくに海外経験もないのに中央アジアに殴り込んだ総勢3名にはそれぞれの旅の前日譚があり、うちore in the house氏の知られざる闘いがnote記事「ウズベク・タジク旅行記 ~intro~」に詳しい。旅から半年を経て、ついにここに綴られた2篇の序章を読むや、堪らずもうひとりの同行者君も筆を執ることになるだろう。

なお以下ではore in the house氏をう氏(我々は普段こう呼んでいる)、もう一人の同行者を4423と書く。



天竺

突然タジキスタンに来ないかと誘われた。

誘いの主はタジキスタンに留学中の高校同期N君である。彼の大学はなんと旧ソ連諸国すべてに提携大学があり、ねじ込めば何処へでも留学できてしまうらしい。
ねじ込めば、というのは大学の留学事務局すら提携先の存在を覚えていないので、欧米への留学に応募するよりはややゴリ押しする必要があるためである。
とにかく彼はねじ込んだ。念願叶ってタジクで半年間の留学を満喫し、ご機嫌にも日本にいる知人友人に片っ端から「来いや」と声をかけているものらしい。

中央アジアという地域はなにを食っても羊、羊の羊料理天国であり、特にサムサというラム肉のミートパイのような食い物は、中華・フランス・トルコの世界三大料理のその上に君臨する料理番付の西の横綱としてあまりにも有名である。ちなみに東の横綱はウイグルのミートパイゴシュナンである。そのようなユートピアが地上に存在することを私は無論承知していたが、台湾への家族旅行ですら恐怖していた私のごとき小心者が、孫悟空ばりの大冒険の末彼の地に無事辿り着くことは到底不可能に思われた。

しかしそこに降って湧いたような誘いであった。これは飛行機にさえ乗ってしまえば、あとは空港でN君が盛大な歓待でもって我々を迎え、宿交通食事一切の世話をし、魑魅魍魎の跋扈する現地で護衛とエスコートまでを買って出ることを意味していた。これには流石の私も行くしかあるまいと決意するのに時間は要さなかった。この好機を逃せば、今後の人生で二度と天竺、間違えたタジキスタンの案内をしようと言う友人を得ることはないだろう。全ての道はタジクに通ず!


「じゃ、タジクで」

しかしそうは問屋が卸さなかった。両親に「タジキスタンに行きたい」というと、海外嫌いの母は「やめたほうがいい」と言い、そうでもない父も「順番というものがあるだろう」と言った。海外好きの姉が唯一「いいじゃん」と乗り気であった。確かにアメリカもヨーロッパもすっ飛ばして行くところではない。死ぬまでに一度とは思うが、いざ行くとなると不安でいっぱいである。もう少し海外経験を積んでからでも遅くはないだろう。治安や衛生状態などたちまち不安にかられ、「いざとなると怖いからどっちでもいいや」という気持ちになってしまった。どうせ決行は随分先のことだし、どこかのタイミングで「やっぱり行かない」と表明しなければならないにしても、日が近づけば勝手に事は動き出すだろう。

そうした甘い認識のまま日は過ぎて、何度か例のメンツで顔をあわせることもあった。「タジク楽しみだね〜」なんて言葉が出たこともあったろうが、現実味を感じていなかったので「そうだね〜(適当)」などと返していた。その後しばらく経ったある日、高校の面々で集まり晩飯を食う機会を持った。高田馬場の安い焼肉屋でたらふく肉を食って、向かいのスーパーでアイスまで平らげて、恒例の散歩コースで渋谷駅まで歩いてめいめいの方向へ電車に乗って解散した。う氏とは路線が同じで、私の方が手前の駅なので、車内で別れを告げて電車を降りた。じゃあまた。

う氏「じゃ、タジクで」。

あれ?行くことになっている。


話が違うじゃないか

とにかく行くことになった。確かにこの機会を逃せば本当に一生行けないかもしれない。何より、N君がタジクの首都ドゥシャンベで日本語を学ぶタジク人の友人B君を連れてきてくれるというのだ。これは百人力である。喋れないなりに勢いだけでコミュニケーションを取るN君だけではやや心許ないが、日本語も喋れるチャキチャキのタジク人が同行してくれるとなれば話は別である。

駒場祭の休みを利用して1週間の日程を確保した。タジキスタンという国は観光資源に乏しく、かわりに隣国ウズベキスタンが観光大国だという。1週間もタジクにいても仕方がないので、観光は主にウズベクですることになった。OK。まずは空路で首都タシュケントに入り、その日に世界遺産のまちサマルカンドへ移動することになった。OK。N君たちとはサマルカンドで合流することとし、タシュケントからサマルカンドへは自力で移動することになった。聞いてない。

話が違うじゃないか!私はタシュケント空港のゲートを出ると同時にN君たちに温かく迎え入れられ、その後は彼らの案内のもと大船に乗ったつもりで旅を続けるものと思っていたのだ。それをサマルカンドまで、ぼったくり白タクよくわからない押し売りとその他一切のあれこれを華麗にかわし、自力で300kmの道のりを移動しろというのか。あんまりだ…。
あんまりであるが、彼らのルート的にタシュケントまで来るのは二度手間らしい。いくら物価が安いとは言え、高速列車一往復分の運賃を無駄に払わせるわけにもいくまい。

かくして我々は東京からサマルカンドまで、英語もロシア語もウズベク語も喋れない赤子同然の状態で旅することになったのである。



続く。たぶん。







おまけ

文中に登場したサムサやゴシュナンという食べ物について、「食べてみたい」と思った方もいるのではないだろうか。いや、いてもらわないと困る。
サムサは世界一うまい食べ物であり、世界一うまい以上全人類が食べねばならないからである。
以下におすすめのレストランを紹介する。コロナが落ち着いた暁にはぜひ訪れてみてほしい。また、テイクアウトや通販をやっている店も多いので、支援の意味合いも込めて積極的に利用していただけると嬉しい。

サムサ

サムサは中央アジアで食されるミートパイである。中身はスパイスで味付けされたラム肉。生地はノン(ナン)とパイの中間のような食感で、タンドリーチキンでお馴染みのタンドール窯で焼く。

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ヴァタニム

中野にあるヴァタニムは日本で唯一のキルギス料理レストランである。
サムサをはじめ、ここで食べる料理はすべてがべらぼうにうまいことを私が保証する。
昨年高田馬場にカウンターのみの小さな店舗でオープンしたが、いつ行っても満席の盛況であり今年めでたく中野に移転した。店舗もずいぶん大きくなったようで嬉しい。店内にはチャイハナ(中央アジアで典型的な、台の上に設けられた喫茶スペース)も設けられているようだ。


ゴシュナン

ウイグルで食べられるミートパイ。こちらは大きな円形をピザのように切り分けて食べる。中身は無論ラム肉である。
店によって表記がゴシュナンだったりゴシナンだったりする(göshnan)。

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レイハン・ウイグルレストラン

(2020年12月追記:ことし閉店しまったようです。自粛に耐えられなかったのか…。残念。本当に美味しいお店でした。)

巣鴨と駒込の間の線路沿いにあるウイグル料理レストラン。
私が初めてゴシュナンを食べたレストランである。中華料理の雰囲気を残しつつも、中央アジア料理へのグラデーションの途上にあるかのような料理群が楽しい。
私が多数派(たぶん)のゴシナンではなくゴシュナン表記を押し通すのはひとえにこの店への敬意の現れである(それほどこの店で食べた初めてのゴシュナンは衝撃的であった)。五月祭の後本郷から歩いて行ったのが懐かしい。

シルクロード・タリム

初台にあるウイグル料理屋。新宿駅からも歩ける距離である。
しばしば満席で予約なしでは待たされることも少なくない人気店。
授業後駒場から歩いて行ったのが懐かしい。

シルクロード・ムラト

南与野駅から徒歩15分ほど、埼玉大学のほど近くにあるウイグル料理屋。
ここのゴシュナンは羊肉特有のクセが少なく苦手な人にも食べやすいが、好きな人にとってはやや物足りないかもしれない。その代わり(?)、ここのポロ(ウイグル風ピラフ)は絶品である。
店舗前に駐車場はないが、近隣のセブンイレブンとオーナーが同じでそちらの駐車場を使わせてもらえる(車で訪れる際には一応事前に確認してほしい)。


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