ヨガとは何か?
ヨガのグループクラス、というのは元々はなく、
本来ヨガは、超個人的な師弟関係の中で伝えられるものだったといいます。
現在、ヨガは世界中でブームです。
わたしもその中でヨガを知り、出逢うことのできた1人です。
初めは、今流行りのホットヨガから。グループレッスンで、スタジオにたくさんの人がいる中、手を伸ばすとぶつかってしまいそうな距離感の中でのクラスでした。
ヨガには2006年くらいから興味はありました。院生の時にたまたまネパールを事例国としていましたし、
わたしの論文を査読していただいた尊敬する教授が、チベットでヨガの修行をされた方でもありました。
2006年当時は、わたしは体調を崩していた最中で、雑誌でヨガの情報に触れる程度でした。
その後様々努力して体調を回復し、
どんなひどい条件でも生きていくと自分に約束した後に(震災も自分の覚悟を決めさせてくれました)、
ヨガに出逢わせていただきました。
ヨガはわたしにとって、救いでした。
合わない会社でのストレス、体調不良を解消してくれて、
さらには自分に体力と、自分をもう一度信じる気持ちを養ってくれました。
段々とホットヨガでは飽き足らなくなり、もっとヨガを勉強したい気持ちが強くなってきたので、
迷いましたが、
結局は自分の心に従い、ヨガの勉強をさらに深めるために資格を取得する決意をしました。
限られた資源や時間の多くを使って、学びを深めてきました。
こんにち日本でヨガというと、アーサナ(ポーズ)を取ることが中心と考えられていますが、
本来ヨガには様々な方法があり、
本来の目的である解脱(輪廻からの解放)に向けて、インドの先人たちは様々な道を創り出されました。
現在ヨガは世界中に広まっていますが、元はインダス文明にまでその起源を遡り、
インドの宗教や哲学の中で、発展してきた学びの道です。
現在、ヨガにおける世界的な一つの基準として、全米ヨガアライアンス協会のRYT(Registered Yoga Teacher)200等の資格があります。
この資格は一つの基準ではあるとは思いますが、
やはり、ヨガの学びを深めて行く、人に伝えるという本当の資格とは、わたしは別のものではないかなと思います。
ここで、ヨガは元は師匠が弟子に1対1で口頭で伝授する教えであったという話に戻ります。
日本では、1990年代に社会的な事件もありましたので、ヨガが広まって行くには障害もありました。
アメリカでは、1960年代の反戦運動や70年代のヒッピー文化、ビートルズ、禅など東洋の文化への関心の広まりの中でヨガも広まっていったそうです。
ヨガは、元は政治や宗教との関わりも深く、また元々仏教もインドで生まれた宗教であることもあり、
日本でも様々な歴史的な過程も経て、現代においては2005年くらいから社会一般に広まってきたということです。
わたしは政治には本質的な関心はほとんどありません。
特定の宗教にも、関心はありません。
ただ、自分らしく生きていく上で、ヨガと出逢わせていただきました。
偉大な叡智であり、国などを跨いで受け継がれるべき智慧の一つと思います。
わたしはまだインドやネパールには行ったことはありませんが、学びを深めるために少しの期間でも良いからいつか行ってみたいとは思っています。
グループクラスにも良いところはあると思います。
ヨガを一緒に学んで行く仲間と出逢うこともできます。
経営ということを考えても、ヨガの先生の人生や限られた1人の人間の体力、人生の学びを人にお伝えしているということを考えても、
グループレッスンの良さはあると思います。
ただ、グループレッスンの良くないところ、商業としてヨガをお伝えすることの弊害というのも、わたしなりに感じるところもあります。
ヨガは基本的には自分に向き合うために行うものなので、人と競争するために行うものではない。
現代においては、先生も極めて人当たり良くしなければサービス業としては難しいかもしれません。
でもわたしは個人的には、先生には必要以上に生徒たちに歩み寄っていただきたくない、
先生と生徒の間には線引きがあって然るべきと思っています。
先生といっても、種類といいますか、自分にとっての本当の師匠と、様々な学びを授けていただく先生たちとは異なるそうです。
ヨガ以外の芸能や伝統の職人の世界と同じように、その結びつきは客観的な基準というよりは超個人的、霊的な結びつきだといいます。
わたしも、そうかもしれないなと思います。
文章長くなりましたが、大切なことと思いましたので、書かせていただきました。
間違えているところ、誤解があれば、わたしよりも経験の豊富なヨガの先生方からご指摘、ご指導いただければ幸いです。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
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