生きること=ヨガ
〔2022/5/3 過去記事再掲〕
自分は一体、何がしたかったんだっけ…。
「自分を救ってくれたヨガで、人の役に立つこと」
「自分がしてきた経験を、なんらかの形で人の役に立てること」
若い頃の自分のテーマは、
「他者貢献」
「幸せとは何か?」
「女性の生き方」
「差別は嫌い」
昨年の夏に、身体が悲鳴をあげたことは、神様からの恩恵であった、と本当に思っています。
なぜなら、このおかげで私は、コロナについての情報をちゃんと調べ始め、やっと実情を認識して、家族や友人に情報や危惧を必死で伝え始めることができたから。
おかげさまで、伝わった人には3回目や1回目を阻止することができました。
もちろん、身体は痛めましたし、私のレッスンを受けてくれていた方たちには、継続してレッスンを提供することができなくなりましたが…。
コロナが始まって間もない2020年4月〜、オンラインでのレッスンを始めました。
この頃はまだ私もやる気に満ちており、とにかくヨガで私のレッスンを受けてくれる人たちの役に立つんだ、という気持ちでいっぱいでした。
世の中がどうであろうと、自分は自分、と。
しかし、私も段々と疲弊していきました。
私の場合は、ないないづくし、むしろ状況としては巨大なマイナスといいますか、極めて理解されにくい状況を抱えながら、身一つで、それでも情熱だけで突き進んでいましたが、
色々な課題が同時進行であったこともあり、世の中の状況が厳しくなるにつれて、次第に無理も効かなくなっていきました。
昨年夏以降は、松葉茶などの物販を開拓することにはなりました。
このひどい状況で、自然のものに触れていると、心が癒されました。
意味のあることに携わりたい、と思いました。
私にとっての大きな成果は、オンライン・ヨガで私には分不相応なお立場の方に1年3ヶ月にわたり、レッスンをさせていただいていたことです。
2019年春から、それまでの自分の人生では出逢ったことのないような方達ともたくさん知り合わせていただき、勉強させていただたりということもありました。
ヨガスクールでは、先生たちから目をかけていただくようにもなっていました(と認識しています(^_^))
今の自分の状況、なぜこのような状況にいるかは、一通り説明はできると思います(もしそれが必要なら)
一つ言えることとしては、
ヨガというのは、マットの上で様々なポーズをとることだけではない、ということ。
生きることそのものがヨガであり、経典に書いてあることのさらに奥を追及し出すと(私はサンスクリット語は読むことできません、インドやチベットにも行ったことありませんが)
さらに深淵な世界がある、ということです。
いわんや、ダイエットなどがヨガの目的などではありません。
もちろん、この解釈は私自身のものであり、人によってその捉え方は異なると思います。
究極的には、ヨガは人から教わる必要も、教える必要もなく、極めて個人的なものとも思っています。
とこのように、追求し出したらキリがないですし、自分のためのヨガと人に伝えるヨガはある程度分けて考える必要があります…。
文章長くなりました。
お読みいただき、ありがとうございました😊
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