不作為の魅力
表現者というのは、野蛮だ。
なぜなら、彼/彼女の基準はあくまで自分にあるから。
自分の心に極力忠実であろうとするのが、表現者だ。
はっきり言って、自分にしか興味がない。
しかし、ここで「自分」と言った場合、そこには彼/彼女にとっての世界が内包される。
彼/彼女の心に映ったものをそのままに、抽出する。
その手段は様々だ。
文章、詩、絵画、音楽、ダンス、演劇、写真、舞踊…。
自分を大切にする、というのはそもそも何も表現者に限ったことではない。
生物である以上、誰だって基本的には自分のために生きている。
他者が自己の同心円上に存在する、あるいは自己と他者は内包し合うということを自覚していない多くの人は、
自己と他者を全く別の存在と捉えるだろう。
でも、違う。
だから、自己は他者を含んでいる。
表現者がそれに自覚的であるかどうかは、別としても、
とにかく、自分の心に忠実に生きる人というのは、魅力的だ。
そうせずにはいられないという点で、その衝動は物凄いし、極めて直接的。
メッセージはダイレクトに、こちらの心を打つ。
そこに作為がないからだ。
彼/彼女が魅力的なのは。
という意味では、表現者とは非常に破壊的で、暴力的であるともいえる。
論理で攻めたてられても、わたしたちの心は1mmも動かないが、
表現者のストレートさは、旅人のコートを脱がせてしまうのだ。その熱で。
表現せずにはいられない衝動が、そこにはある。
それは、自己承認欲求の一種、あるいはそのものかもしれない。
でも、彼/彼女の心は、それをせずにはいられないのだ。
しかも、思った瞬間を逃したら、同じ表現は二度と日の目を見ない。
表現者は、知っているのだ。
わたしたちは、今にしか存在しないということを。
2020/1/29
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