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思いこみが壊されるのもまた楽しい
私がヨガを教えるということをやめたのは、第一には背中や頸などを痛めたことが要因ですが、
理由は、ほかにもいくつかあります。
それをここで細かに述べるつもりはないですし、この先また復帰するのかどうか、
それも定かではありません。
自分にとって、とても大切なことであるからこそ、
容易に言葉にすることができないと思います。
生きることそのものがヨガであるといわれています。
今、これもなにかの導きなのか、
ネパールの人達と知り合う機会に恵まれています。
ネパールは、私が学生のころ、研究の事例として取り組ませていただいた国です。
当時文献研究で、現地には残念ながら行ったことがありません。
目から鱗、
やっぱり百聞は一見に如かず、かなと感じています。
外部からの評価(他者がなんらかの動機と目的のために分析の対象として観察した結果、文字で表されたもの)と、
自分が自分の目で見て触れて感じたこと、というのは、
その国の人々と少しかかわっただけでも、やはり違うらしい、と感じました。
もちろん、ここは日本、関係性によっても見えてくるものは違うかもしれません。
でも、あえて例えば「研究」や「調査」などと構えないほうが、よりそのままのその人たちが見えるかなとも思います(日本様式に合わせているかもしれませんが)
ヨガを教えさせていただいたことでも感じましたが、
大雑多に、〇〇とはこういうものだろう、というのは自分の思い込みである場合があり、
細かく見なければ、物事というのはわからないと感じています。
思い込みが壊されるのもまた楽しいかなと思います。
友達になれそうな人とは、直接情報を交換することができて、嬉しく思っています。
久しぶりに文章書かせていただきました。
お読みいただき、ありがとうございました(^_^)
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