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アメリカで初めての出産体験記

今日は出産・産後ブログリレー・シリーズです。

リスナーで、アメリカ  テキサス州ヒューストン在住のさやかちゃんよりアメリカでの初めての出産体験をご紹介します。
17年前のことを振り返ってお話してくれました!

(インタビュー・文 ひろみ)

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嫁いでアメリカで生活、働いていた頃、妊娠し、8ヶ月まで勤めて退職しました。初めての出産で海外。
生まれた後、頼れる人もおらず(義母は仕事をしていたし、体調的にも頼れそうではなかった)、自分の母に、日本から2ヶ月間、来てもらうことにしました。

〇予定日より1週間前の出産 観光したかった母もできず…

母は、予定日より少し早めに来て、観光し、日本食の買い出しなどもしてから、赤ちゃんのお手伝い。。。のつもりで来ましたが、なんと母が来た翌日、陣痛が始まって、私は病院に行くことになり、母は全く観光することなく、自宅待機になってしまいました。


〇アメリカでの出産体験

お腹の痛みが始まって、一応行っておく、くらいのつもりで行った病院で、そのまま入院することになってしまい、びっくり。
アメリカでは、陣痛待機室と分娩室が同じ部屋で、数も多くないので、タイミングが早すぎるといったん帰されることも多い、と聞いていたので、そうなるかも?と思いながら行ったのですが、即入院で正直びっくり。

アメリカでは無痛分娩が一般的で、そのせいか、入院したら氷しか食べられなくて、それ以外の飲食は一切なしだったんです。
病院に行ったのが夕方で、お昼以降何も食べていなかったので、「え~、何か食べてくればよかったー!」と思いました。
結局お産には丸一日かかり、その間、飲まず食わずになってしまいました。また、はじめは無痛分娩にするつもりはなかったのですが、当然のように「無痛分娩にしますよね」と聞かれ、「いえ、普通で…」と答えたら、
「なんであなたたち(多分、アジア人というくくり)は、そうやって我慢するのかしら?」と言われ、その後も、あまりにも無痛ありき、という感じだったので、はじめは頑張るつもりだった私も結局、途中からだんだん辛くなってきて、無痛分娩に切り替えました。

力み始めてからがなぜかとても長くて(後で聞いたところだと、肘がひっかかって赤ちゃんが出てこられなかったそう)、私は、立ち合いだった夫が枕もとで頑張れと声をかけてくれる図を想像していたのですが、気が付いたら夫は先生の隣にいて、「え、あなた、そっち側で見てるの?」と思ったのを覚えています。

―赤ちゃんは、生まれたときからやっぱりハーフっぽかった?という質問に対して

いや、生まれたときは、まさに「赤ちゃん。おサルさん」でした(笑)。
綺麗にしてもらって初めて「あ、やっぱり色が白い」と思いましたね。
それまでは本当に「赤ちゃん(笑)」。でも髪の毛があまりなくて、日本人の赤ちゃんは髪が黒々しているイメージだったので、そこはハーフっぽいのか?とも思いました(笑)。

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今回、さやかちゃんが、「そういえば生まれた時はまだ目の色がヘーゼル色でした。生後、数ヶ月で茶色くなりましたが、これは日本人の赤ちゃんも一緒ですか?」と聞いてくれました。

日本人同士のカップルの子は、大概、目ははじめから黒々してますよね。

以前、国によっては、赤ちゃんが生まれたとき、まず「瞳の色は何色?髪の色は何色?」と訊く、という話を聞いたことがあり、「へ~、なるほど~」と思っていましたが、ところ変わればいろいろ、「一般的」と呼ばれるようなことも変わってきて興味深いです。

〇衝撃だった出産直後の食事

会陰切開したので、その痛み止めの薬と食事がすぐに運ばれました。
24時間食事をしていなかったので、お腹はペコペコ。
でも、運ばれてきた食事を見たら、ミードボールパスタとサラダと機内食で出てくるような袋に入ったパン。
「えっ?!これが出産直後に食べる食事なの?」とあまりにもイメージと違っていたので愕然としました。
全然食べられずにいたら、ナースにすごく怒られて
「薬を飲みたいなら、このパンだけでも食べて!」とパンと薬を渡されて、
もう半強制的にパンを食べさせられました。

お腹は空いていたので、母に連絡して、食事を持って来てもらうことに。
待っている間に買い物した母が、おにぎりとうどんを持ってきてくれて、「そうそう、これこれ!」と思いながら食べました。

〇母子同室の入院生活 いきなり赤ちゃんをポンと渡されて…

出産した部屋から産後の部屋に移動し、そこに「赤ちゃん連れてきましたよ。あとはよろしくね」とポンと渡されて、「え、私は何をしたらいいの?」ってまたビックリで。
私のイメージでは、新生児室に赤ちゃんが並んでいて、授乳の時だけオッパイあげにいくイメージだったんですよね。

それがしばらくして戻ってきたナースに、「おむつ替えた?オッパイあげた?えっ、やってないの?」って言われて。
出産準備の親クラスに参加はしてたけど、どうするんだった?と動揺してしまい、そのときは一緒についてやってもらいましたが、
「定期的に来るけど、泣いたら自分でやってね。何かあったら呼んで」と言われてそういうものか…と。夫とオロオロしながらおむつを替えてました(笑)。


〇出産翌日、夫が病室に同僚を連れてくる!

さらに驚いたのは、翌日、夫が会社の同僚を病院に連れて来たんです。
私は疲れてるし、顔はむくんでいてもちろんノーメーク。
夫は赤ちゃんを早く見せたい!という気持ちだったのか?ランチタイムに連れてきたようで、赤ちゃん見て帰っていきましたが、「連れてくるんだ…。相手も断らないんだ。これが普通なのかしら??」と本当に驚きました。

まぁ、皆さん赤ちゃんを見に来たのであって、私のことは気にしていなかったと思いますが(笑)


〇泣き止まない赤ちゃん、夫が「もうムリだ!」と言って病室を飛び出す

夫と言えば、もう一つ、忘れられないことがあって、産後2日目の夜、泣き止まないことがありました。

病室にソファがあって、夫も一緒に泊まってくれていたんですが、赤ちゃん泣き止まなくてどうしようと思っていたら、夫が突然「もうムリだ!耐えられない!」と言って、病室を出て行ってしまったんです。
彼は理系なので、解決方法はあるはず、と理論的に考える方なんですね。
そして、「やることは全てやったのに、なぜ泣きやまないんだ!何してもダメってどいうことなんだ、おかしい」と。病室を飛び出したきり、なかなか帰ってこないので、私は「せっかく赤ちゃん産んだのに、まさかシングルマザーになっちゃうの?」と悲しくて泣きました。
何時間後かに、「ごめん、パニックになってた」と言って帰ってきて、その後は一緒に赤ちゃんのお世話をしてくれました。

彼はもう忘れているかもしれない、それについてその後、話したことはありませんが、私もきっとパニックのようになっていたんでしょうね。忘れられない出来事です。


〇何でもオプション式のアメリカ

アメリカでは保険の種類によって、産後何日間病院に滞在できる、というのが決まっていて、48時間後とか72時間後、とかなんですよね。そのあとは一日何十万円とかかかることもあって。うちの場合は72時間後。前日に母子の健診があり、「赤ちゃんがよく泣くのでオッパイが足りていないのかも。マッサージの仕方や授乳について教えてくれる人がいるけど呼ぶ?」と訊かれました。「これもオプションなんだ~驚き。みんな教えてくれるわけじゃないんだ。」とこれも驚きました。こっちは何でも、「はじめから」ではなくて「困ったら」教えてくれる、なんでしょうね。それで呼んでもらって、マッサージ方法を教えてもらい、翌日、退院しました。

〇ミルクあげれば?という母と母乳で育てたい私、葛藤の苦しかった日々

退院してからもよく泣いて、よく母に「お腹空いてるから泣くんだよ。ミルクあげたらいいじゃない」と、ことあるごとに母に言われたのが辛かったです。
私は、「母乳で育てたい!」と強く思っていて、ミルクをあげることは考えていなかった。意地にもなっていたんだと思います。
母にはいろいろ手伝ってもらって、本当に助かったのですが、この件では苦しかったですね。
結局、小児科※の健診で、おしっこの色が濃くて水分を足した方がいい、と言われ、最終的には納得してミルクと併用することにしました。

※小児科 アメリカでは、退院が早いこともあるのか、事前に出産前に健診を受ける小児科を決めておくことになっています。


〇抱っこしながらダンスする夫 寝かしつけは難しい子だった

3ヶ月くらい、ベッドで寝た記憶があまりないんです。
クリブ(ベビーベッド)のけっこういいのを買ったけど、ちっとも寝てくれなくて、何かリズムがあると眠れるようだったので、よく夫がダンスしてクルクル回りながら抱っこしてました。

あとはスイング(ブランコのように揺れるゆりかご)をよく使いました。
それはリビングに置いてあって、それだと寝てくれたので、私もその脇のソファで寝たりしました。

あとは添い寝ですね。添い寝をすれば寝てくれることもありました。

2ヶ月居てくれた母は、帰るときは正直「やっと帰れる」という気持ちの方が強かったと思います。母もよく疲れていて、「少し休むわ」と言って寝ようとするけど、赤ちゃんがうるさくて結局、眠れず部屋から出てくる、ということが多かったので。

寝かしつけや夜泣きの点では、難しい子でしたね。

〇アメリカの赤ちゃんの寝かし方事情

よく言われることですが、本当にこちらでは小さいうちから1人で寝かせるうちが多いんですよね。クリブが別室に置いてあって、モニターが付いていて、泣いてもすぐには行かないでしばらく様子を見る。時には、泣き疲れて寝る、諦めて寝る、ということもさせて、1人で寝る習慣をつけさせます。

うちの場合は、義母は何も言わない、子育てには介入してこない人だったので、その辺りは助かりました。

添い寝については、「君が楽ならそれでいいよ」と夫が言ってくれ、かなり長いこと添い寝をしていました。所謂、日本でいう川の字になって寝ていましたね。でも、多分、夫はそのことをよそでは言っていなかったと思います。添い寝については、やはりいろいろ言う人が多いのであえて公表せず、といった感じだったと思います。

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話しながら、また終了後、写真を探しながら、都度懐かしがったり、長く蓋をしていたけど呼び戻された感覚に戸惑ったりしながらも、全体としては楽しんで話してくれたさやかちゃん。

ありがとうございました。

次は、今回から数年後、実のお母様の助けなしだった、アメリカでの息子ちゃんの出産話もしてくれるそうです。お楽しみに。


(2022年2月10、11、13日の記事より)



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