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推しを信じる力は、きっと

「小林岩魚に関してですが、おそらく大怪我を負ったと思います」

ホームFC琉球戦後、吉田達磨監督の記者会見の文面を読んで、私は自分の部屋で泣き崩れた。
3年かけてようやく掴んだスタメンの座。
リーグ戦出場ゼロのシーズンも、今季絶望の大怪我も、全部全部乗り越えて掴んだ定位置。
それが相手選手との一瞬の交錯で、何もかも壊れてしまったように感じた。

もちろん相手選手を責める気は一切ない。
その場面ではイエローカードが岩魚選手に出ていたため、落ち度があるとすれば岩魚選手の方なのだろう。
だからといって岩魚選手を責める気になど到底なれない。
ぶつけようのない悔しさを抱え、その夜はほとんど眠れなかった。

その試合はヴァンフォーレ甲府が5得点を挙げて大勝したため、翌日もTwitterのタイムラインはお祭り状態。
5得点すべてを違う選手が決めており、どの選手も人気があるため、自分の推し選手のゴールに酔いしれるサポーターも多かった。

しかし私の推しは大怪我を負った。
私は歓喜に加わる気持ちになど到底なれず、強烈な悔しさと疎外感を覚えた。
「岩魚が大怪我を負ったのに、何でみんな喜んでいるんだろう」
今考えると恥ずかしいし申し訳ないが、正直そう思ってしまった。

私は個サポなのか。
私は本来ヴァンフォーレ甲府サポーターで、甲府にいる選手の中から岩魚選手を推しとして選んだはずだった。
しかし推しの大怪我により、甲府の勝利を心から喜べないこの状態では、私は甲府サポではなく岩魚選手の個サポだ。

自分でも初めての感覚だった。
岩魚選手が大卒で甲府に加入する前、私には推しが二人いた。
その推し選手も熱を入れて応援していたはずだ。一人の契約満了が発表された際には、人生で初めて推しへの手紙を書き、手渡したこともある。
しかし応援するクラブの勝利を喜べないほど推しに肩入れしたことは、今までまったくなかったのだ。

◆◆◆

岩魚選手を応援しようと決めたのは、2019シーズンの新体制発表会見の後に行われた、サポーティングスタッフ交流会の時だ。
サポーティングスタッフ交流会とは、選手スタッフ全員と、試合設営や運営などを担うボランティアが参加する立食形式のパーティーである。
前年に推し選手が退団してしまったため、私は新しい推しを見つけるために選手達からサインを集め回っていた。
その際、大卒で加入した岩魚選手にもサインを求めた。
「ありがとうございます」
岩魚選手は微笑みながら穏やかな口調でそう言い、魚を模したサインを書いてくれた。
私は「対応のいい選手を推そう」と決めており、岩魚選手を含めた何人かの選手の中から岩魚選手を推すことを決めた。
それだけだ。きっかけはたったそれだけだった。

その年、ルーキーイヤーのリーグ戦出場はゼロだった。
翌年の2020シーズンは過密日程でターンオーバー制を敷いていたため、リーグ戦デビューや初アシストも記録した。しかし8試合の出場にとどまり、90分間出場した試合は1試合しかなかった。
2021シーズンに出場した試合は天皇杯の1試合のみ。天皇杯の直後、練習試合で鎖骨を骨折し入院。術後の経過が思わしくなかったようで、結局その年の残り試合にも、年末のサイン会にも姿を見せなかった。

メンバー表に名前がないことは、もはや当たり前の光景だ。
2021年のリーグ戦。私は当時甲府の要であった野津田岳人選手(現・サンフレッチェ広島)のタオルマフラーを掲げていた。
それでもユニフォームは岩魚選手の27番を着続けた。

「なんで岩魚くんを推しているの?」と言われようと、ガチャアイテムの取引で「私が(岩魚選手のアイテムを)持っていても捨てるだけなんで」と言われようと、私は気持ちを強く持って岩魚選手を推してきた。
しかしなかなか結果を出せず、岩魚選手への気持ちが揺らぎそうになったことも一度や二度ではない。
甲府の中心選手である須貝英大選手のユニフォームを着ている父に「時々ユニフォームを交換してほしい」と言ったこともある。
岩魚選手本人がもがき苦しんでいる中、自分でもファンとして最低なのはわかっている。
ただその時は、自分の気持ちが限界を迎えていたのだ。

しかし父から「じゃあ岩魚が活躍したら、お父さん思いっきり岩魚を応援するからな!」と言われ、私は自分の本当の気持ちに気付いた。
岩魚推しをここでやめたら絶対後悔する。
岩魚選手の活躍はどんなことがあっても諦めきれない。
そう思ったのだ。

また今年の宮崎キャンプに合流し、かれこれ8ヶ月ぶりに姿を見せた岩魚選手を見て、心に何かがストンと収まった。
「やっぱり私は岩魚を推したい」という思いを新たにした瞬間だった。

岩魚選手は今年のホームベガルタ仙台戦で戦線復帰。
途中出場から一気に流れを変え、果敢な仕掛けと正確無比なクロスで一点差まで詰め寄ることができた。
見違えるようなキレッキレのプレーに、私は岩魚選手の血の滲むような努力を感じた。
「岩魚がこれまで感じてきた悔しさは、無駄じゃなかったんだ」
私の3年間の思いもこの時、報われた。

その後は左WBでスタメンとして出場する機会も一気に増えた。
ホーム群馬戦では、FWがゴール前で触れるだけというドンピシャクロスを上げて、三平和司選手の得点をアシストした。

試合後、私が意気揚々とゲーフラを掲げたところ、岩魚選手はこちらに手を振って応えてくれた。
自身の名前が書かれたゲーフラやタオルマフラーに気付くと、いつも手を振ったり手を叩いたり会釈をしたりと、常に何らかのリアクションを取ってくれる。
特別愛想を振りまくタイプではないにしろ、私はその純朴で真摯な姿勢が大好きだ。
岩魚選手を推し始めて4年目のシーズン。ピッチ上でキラキラと輝く岩魚選手を応援できる日々が本当に楽しかった。

そんな中で突如として降りかかった今回の大怪我。
メンバー表に名前のない日々に戻ってしまうことが怖かった。
そして何より、今までたくさんの悔しさを味わい、それでも歯を食いしばって頑張ってきたであろう岩魚選手が、なぜ再びこんな目に遭わなければいけないのだろうか。
やるせない気持ちを抱え、負傷のリリースに怯える日々が続いた。

◆◆◆

試合日から4日後の8月10日。甲府の公式サイトに負傷のリリースが出た。
右脛骨骨幹部骨折。全治約4ヶ月。
やはり今季絶望の怪我だった。
私は改めてショックを受けたが、ふと脳裏に岩魚選手が戦線復帰した今年のホーム仙台戦の光景が蘇る。
岩魚選手は前の年に大怪我を負うも、復帰した際は見違えるように成長していた。
どんな困難も乗り越え、糧にして前に進んできた彼なら、今回の怪我も絶対に克服し、さらに大きく成長して小瀬のピッチに帰ってきてくれる。
そんな予感がした。

リリースからしばらくして、岩魚選手がTwitterでコメントを出した。

このコメントを読んだ瞬間、予感は確信に変わった。
「岩魚ならやってくれる。岩魚ならできる」
疑う余地など1ミリもなく、無条件で推しを信じられる。
この時、私は真の意味で岩魚選手を推し始めた。
推し活は、何もピッチで活躍する姿を応援するだけではない。
推しが苦境に立たされた時に、推しを無条件で信じることもまた推し活なのだ。

◆◆◆

次の試合もホームゲームだったため、私は試合前の設営作業に参加した。
その際、甲府の広報担当の小野博信さんに声をかけられた。
「岩魚、担架で運び出された後、ものすごく悔しがっていましたよ」
小野さんの言葉を聞いて、悔しがる岩魚選手の姿がありありと浮かび、私もいたたまれない気持ちになる。

岩魚選手のためにできることは何だろうか。
家族でも友人知人でもない、岩魚選手からすれば赤の他人である私でも、何かしらの力になれるのだろうか。
もしかしたら、できることは何もないのかもしれない。

「でも岩魚なら、絶対また強くなって戻ってきてくれますよ」
小野さんは明るくそう言った。
いつも選手達のそばにいるからか、その言葉には不思議なくらい説得力があった。
同時に岩魚選手への大きな信頼も感じられた。

小野さんの言葉で、私は気付くことができた。
いちサポーター、いちファンの私が岩魚選手にできること。
それは岩魚選手を信じ続けることだ。
何があっても強い気持ちを持って、ピッチに戻ってくる日を待つことだ。

私が信じなくても、岩魚選手は復帰するかもしれない。
しかし私の微々たる「信じる力」は、きっと誰かの何かの感情に作用する。
小野さんの言葉ほどの力はないだろう。しかし私が岩魚選手を信じることによって生み出される言葉にも、誰かの心を少しだけ動かす力はきっとある。
もはやバタフライエフェクトだが、私の「信じる力」で物事は多少でも変わる。
私はそう確信している。

来年は岩魚選手にとってプロ5年目のシーズンとなる。
シーズン通しての活躍も、まだ決めていないプロ初ゴールも、来季こそ絶対に成し遂げてくれる。

私はこれからも岩魚選手を推し続ける。
強い気持ちで、揺るぎない意志で。
例えるならば、何度苦境に立たされても何度でも這い上がる「小林岩魚」という強い人のように。

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