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「犬に全振り!」2.0

愛しの茶犬がいわゆる余命宣告を受けてから1週間。
今の様子と、人間側の気持ちを書き記しておく。

意外と元気

まず、前提に、意外と元気だ。
1週間前、飛んで帰った時は「もう動けなくなってたらどうしよう…」なんて心配していたのだが、かなりの杞憂。

散歩も行くし、ご飯もたくさん食べる。相変わらずの食欲旺盛。
ご飯は残さず綺麗に食べるし、なんならご飯を巡って黒犬と喧嘩してる。(やめろ)

人間が玄関を開ければ鳴くし(置いてくなアピール)、
台所でりんごの皮をむき始めたらすぐさま飛んでくる。(もらえる)

茶犬が、手を見つめている動画。手にはボーロが握られている。(ボケていて見えない)
おやつに向ける眼差し

病気を患ったことで、生活が一変してしまうかな?と
悪い方に想像していたので、
人間としてはかなりありがたい。

なんというか、「本当に病気だったっけ?」と
病気のことを忘れて、いつも通りに振舞ってしまいそうである。


「犬に全振りする」って難しい

一つ、難しいと思う背景として、この間まで「犬に全振りする!」と言った時の気持ちの濃度が薄れてしまうことがあることに気がついた。

「犬に全振りする!」というのは、
自分の時間や注意や意識を全て犬に向けるということを想像していた。

もちろん、今だってその気持ちは変わっていないのだが、
「あれ、もしかしたらまだこの先があるのかも?」と思うと、
無意識にいつも通りの雑な扱いをしてしまいそうになる。

例えば、ドアの前に寝ている犬を足でどかしたりとか。
犬に見向きもしないで、適当に「あとでねー」と言ってしまったりとか。
雑である。


そしてもう一つ、難しい理由同時に、私が持っている「集中力」的にも、
「犬に全振りする」ことは難しい気がしてきた。

私にも息抜きが必要だし、やらなければいけないことだってある。

だけど、「犬以外のことをしている自分」を見つけると落ち着かなくなっていたが、実際、「犬が好き!」と「犬のことをずっと考える」は両立しなくてもいいのかもしれない。
一番好きな食べ物のことを常に考えていないように、人間の脳の作り的に、何かにずっと集中を向けることは、かなり難しいことなのかもしれない。


油断はしたくないけど、人間も犬も心地よく過ごしたい

「犬に全振りする」という気持ちは変わらないけれど、
中〜長距離走で付き合って行くことになっても、ずっとその気持ちを保てるように、自分の息抜きもしっかり確保していくことにします。

今はほぼ四六時中一緒にいるけれど、他に見てる人がいる時は時間の上限を決めて離れるとか(もしものことがあったときに立ち会えないのは嫌だから、連絡は取れるように、すぐ戻れるようにはしつつだけども)。
一緒にいる時も、時間を決めて自分のことに集中して、そのあとたっぷり犬たちと戯れるとか。

そうやってメリハリ持って生活していきたいですな….

車椅子に乗る黒犬。前足が弱くなってきたので、人の支えありで立っている。




<余談>茶犬の元気じゃないところも書いとく

ただ、やはり体は辛いらしく、1日の大半は寝て過ごす。
いつもなら過敏に反応する音に無反応だったり、
歩くときに少しよろついたりと、いつもよりも動きが鈍い。

昨日の夜から今日の夕方にかけては発熱してしまっていて、
全然動かなかった。舐めてくれた舌がとても暑くて驚いた。
病院に行って、解熱剤をもらったら熱は下がった。

散歩も、普段より距離をずっと抑えている。
いつもなら「もっと歩く」と無理にでも引っ張って行くところを、
最近はおとなしく「日向ぼっこ」を受け入れてくれている。

茶犬の後頭部。背景はコンクリート。秋晴れの暖かな日差しが茶犬を照らしている。
日向ぼっこ中の後頭部。たまらん。



<余談>人間的に辛いところも書いとく

夜がつらい!普段は12時には布団に入って寝るんだけど、寝たくない。
夜寝ようとすると、茶犬の苦しむ姿を想像してしまって、眠れなくなる。
実際は苦しんでないし、どんなふうになるのかもわかってないけどね。

私は朝が遅いので、夜更かししても生活できるくらいの睡眠時間になる。
眠いとかはないので、体調は大丈夫なんだが。

「こうなったらどうしよう」と考えるのは私の得意技なので、付き合って行くしかない部分はありつつ、どうにか気を紛らわせて普段の生活リズムを保っていきたいなあ。(ここは願望で終わる)



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