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今思うこと、すべきこと

茶犬の余命宣告を聞いた翌日、今日。
いつも通り在宅勤務をして、いつも通り犬たちと戯れた。


いつも通り?…んなわけない。

「いつも通り」と書いてみたが、戯れている中で感じたことがある。
何も意識しないと、「これからいなくなってしまう存在」として
茶犬を見てしまうことがあるのだ。これではいつも通りから程遠い。

今までは、茶犬がいなくなってしまうことなんて考えていなくて、
もしそうなるとしてもずっと先のことだろうと安心していて。

でも今は、茶犬を触るたび、
「ああもうこうやって触れるのも最後かもしれない、この表情も最後かもしれない、これからどんどん元気が無くなって行くのかもしれない、、、」
と、不安な気持ちが押し寄せてくる。

そうやって考えていると、「目の前にいる茶犬」より、
「これからいなくなってしまう茶犬像」の方が大きくなってしまって、
撫でている飼い主の気持ちは、すごく悲しくなってしまうのだ。



それがいいわけないだろう

だが考えた。それがいいわけないだろうと。
目の前に可愛い可愛い茶犬がいて、暖かな体で息をしていて、私が撫でると反応を返してくれる。お菓子を見せれば飛びかかってくるし、散歩に行くとわかれば目をキラキラさせて喜ぶ。

「残り少ないかも」という後ろ向きな気持ちで茶犬と接して、
私も茶犬のその瞬間が、本当に良い時間になるのだろうか?
いや、ならない。ならない!(大事なので2回言った)

残り少なかろうと、少なくなかろうと(実は希望が捨てきれない)、
そんなことはどうでもよいのだ。

今茶犬と私が同じ場にいること。
暖かな体に触れられて、茶犬の自由な行動を見守れること。
そばにいて、息を感じられることが今は一番大切なのだ。

先のことを考えてばかりで、今目の前のことを見逃すことはしたくない。
いや、そんなことは、させまい!

茶犬には「とっても愛されている」感覚に包まれて過ごしてほしい。
それに全力を注ぐ。




そうと決めたら、これからは

茶犬がこれからどうなるんだろうとか、心配する気持ちが片一方にあって。
そしてそのもう片一方に、できるだけ前向きでいようという気持ちがある。

両方、両立して然るべきもののはずだ。

幸い勤務は在宅で、上司にもオープンに話ができる。(ありがたい)
これから先しばらくは、時間も気持ちも生活も犬に全振りすることに決めた。残業は一切しないし、犬を中心に時間を組み立てる。

それ、具体的にどうすんの?と自分自身疑問に持ちながらではある。
ただ、手段はなんでもよくて、できる限り犬を見て、考えて、触れる。
それだけに集中する。

大好きな散歩に行くこと、大好きなご飯を食べること。
そして、大好きで大切だよと伝えること。
そういう普段の日常を、大事に大事に噛み締めて過ごして行きたいと思う。


五感で接する!!!

後ろ姿でも可愛いってほんと奇跡だな。(散歩にバテた様子)

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