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「顔出しNGアーティスト」の終焉

2000年代から顔出しNGのアーティストが現れました。

古くはGReeeeN、ClariS、比較的最近だとadoさんやヨルシカなど。ミステリアスさの演出や個人情報漏えい対策などそれぞれに理由はあるかと思いますが、なによりそれを可能にしたのは、インターネットの登場によりアーティストが露出できるメディアが格段に増えて、収益を上げられる方法も多彩になったからでしょう。

歌手のオーディションに顔出しNGを希望する参加者も増えました。それもあって、今は顔出しNGでもOKのアーティストオーディションなどもあります。

しかし、その顔出しNGの流れもそろそろ一旦収束するかなと思います。

その要因がAIです。今やAIで上手い歌を簡単に生成できるようになりました。ビジュアルも生成できます。作曲能力がなくてもそれらを組み合わせ「バーチャルアーティスト」を作り出し、ネット上で表現活動することが可能になります。これからおそらく「アーティスト」の粗製濫造が始まります。

しかし、人は基本的に「フィクション」よりも「リアル」を好みます。
架空のキャラクターやストーリーに対して嫌悪感を持つ人は案外多いのです。

もしバーチャルアーティストを、架空のキャラクターであることを隠して活動してそれがバレたとき、ものすごい失望や反感を買うことになるでしょう。

2016年、キズナアイを機にVTuberが台頭してきました。ユーチューバーが不祥事で世間を騒がせていたその頃に言われていたのが

「VTuberは架空のキャラクターだから不祥事を起こさない」

でした。

架空のキャラクターとしての設定があり、アニメのキャラのように振る舞う。声はあくまで声優であり替えがきく存在と認識されました。

しかし、ファンは架空のキャラであるという「お約束」を踏まえた上で、外見ではなくその奥にある魂(内面)を見ていたのです。声優が不祥事を起こせばそれはVTuberの不祥事と捉えられ、声が別の声優に変われば大炎上しました。

多くの人々は実在する人間のメッセージが聴きたいのです。AIが完璧な歌を歌う時代でも、実在する生身の人間の生の声が、叫びが聴きたいのです。

そこに必要なのが「顔」です。VTubarのようなアバターやイラストでもできなくはないですが、ファンがアーティストの素顔を見たいという欲求は、その人が本当に実在するという安心感を求めてさらに強くなるでしょう。
そして反対に顔を見せないことは、実在しないことを隠しているんじゃないかという不信感を強めていくだろうと予想しています。

「音楽」とアーティストの「人格」は切り離して考えるべきかという議論がたびたび起こりますが、もう完全に切り離せない時代が来たと私は考えます。

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