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HSPと共に生きていく・繊細すぎて考えすぎてしまう人たちへ

ひょんなことから最近人間関係が変化した。
変化したというより、私は周囲の人たちに対して、特に変わった態度はとっていないのだけれども、良い意味でも悪い意味でも、周りが私に対して変化したのである。

もしかしたら、少なからず気がつかないうちに自分が変化して、その結果、周囲の私に対する態度が変わったと言う方が妥当かもしれない。
なぜなら前回のnoteで、ある事が自分に起きているのは、結局全部自分がその選択をしたせいなのだから。と自分で書いたばかり。

そして、ようやく自分の中でこの変化した人間関係の現実を受け入れて、今後どうしていくか前向きに考えていけるようになったから、こうしてnoteを開いて書いている。

私はHSP。
HSPとはHighly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、周囲から刺激を受けやすい、繊細な人のこと。

ちなみに私は外向的なHSP、「HSS型HSP」である。
これは外向的で社交性も高く、外の世界に刺激を求めるが、刺激を求めすぎて、敏感が故にその分とても疲弊してしまう性質。

HSPは共感力が高く、感受性が豊か、そして第六感、直感がよく働く。

周囲の状況を素早く判断することができ、またその場の空気や人の気持ちを深く読み取る力に長けているけれど、情報を読み取りすぎてしまうため、その分疲れてしまう。

そして知らなくてもいい情報をも知ってしまうこともある。知ってしまうというより、想像できてしまうこともある。
優しさのゆえに友達が自分についた嘘もなんとなくわかってしまう。それはありがたいけれども、時として辛い。

そして、HSPは物事を先読みして、次に起こりうることを想像することもまた得意の一つ。次の人が使いやすいようにと、気づかって先読みして、あれこれ準備することも容易にできる。

どうしても感受性が高いと、人一倍、その場の雰囲気、その人の気持ちがわかってしまって、自分まで疲弊してしまう。

なら、こういう場面に直面した際にどうすればよいか。

非HSPの人はこういうことを感じることができない、というように捉えたらどうだろう。
自分がHSPであることを認めてあげて、それを特技として捉える。

きっとこのように感じるのは、他のみならず、自分だけの感性なのだ、と。

そしてその感性を大切にしたい。
そうすることで、HSPである自分を大切にして、繊細でその優しい感性で他人が救われることもあるのだよと言ってあげたい。

その優しい感性や感受性のおかげで、誰かを救えたり、気づかって先読みすることで、それにまったく気がつかない人もいるわけだから、そういう人たちに「ありがとう!」と感謝されるかもしれない。

HSPは深く考えすぎてしまう傾向があるが、考えても現実は現実のまま変わらない。ならば、今この現実を受け入れた上で、じゃあ、どのように未来を作っていくかは、「あなた次第で何とでも変えられる!」と考えよう。

未来をどうしていくかを考えたら、自ずと、今自分のやるべきことが見えてくるし、それに向かって努力することができる。今にフォーカスすることで、未来はいくらでも変えられるし、自分も変わることができる。

そうすることでHSPである自分のことを、もっと好きになれるのではないだろうか。

そう思うと、私はHSPでよかったって思える。

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