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サヨナラ、愛しのスポーツジム
3年半続けたアルバイトを辞めることにした。
昨日お店の人に伝えて、帰りの電車で7月以降のバイトの予定を消した。
カレンダーの白さに少しびっくりした。
辞めることになった理由は沢山あるけれど、一言でまとめるなら
「自分の乗っている列車が変わったから」
とでも言おうか。
別にこれは私が引っ越して違う方面から通うようになったとか、JRをやめて阪急にしたとか、そんな話ではない。引っ越してないし。
同じ駅から出発して途中まで並走していた電車がそれぞれの線路に従って段々方向を変えて離れていく、そんなイメージだ。
同じ空間にいても、自分だけ違う場所にいるような感覚になるのだ。
これは、きっと私が3年半前と変わったから。
3年半もすれば人は多少変わるけれど、その変化が私にもたらしたものが、バイト先では大きかったな、という話。
そして最近になって、変化が加速度的に大きくなってきたというか顕在化してきたというか。
もちろん、きっかけになる出来事もあったし、ただ「雰囲気が違ってきて…」というだけで辞める訳では無い。
でもその出来事だって、誰が悪いというと突き詰めていけば誰も悪くなくて、ただ「自分のいる場所は今、ここではない」と私が気が付くきっかけになっただけで、その意味では感謝すらしている。
自分の今いる場所は、3年半前よりも穏やかで、本が積んであってコーヒーの香りが漂い、レコードが回っていて楽器が置いてある、こげ茶色の小ぢんまりした部屋、みたいな所だ。
(私の部屋はこげ茶色ではないので、あくまで脳内イメージ)
うーん、合わないのは当たり前かも、と字面を見て改めて思う。
この脳内イメージと、スポーツジムねぇ。
もちろん私は今でも体を動かすのが好きだし、自分ではジム通いも継続する予定だ。
でもそれと、「どこを自分の場所とするか」はまた別問題である。
今は違う場所に自分が立っている感覚があるけれど、このジムでのバイトが私にもたらしてくれたものはとてもとても大きい。
私がスポーツジムで働かなかったら、接客をせずにいたら、もっとコミュニケーション能力の低い低いままだっただろう。
入ったばかりの、1回生だった私は本当にコミュニケーションが取れなくて、スタッフ相手にもお客さん相手にもたくさん失敗をした。
たくさん叱られたし、上手くいかなくて何回も泣いた。
それから、「医学生」という肩書きにたくさん苦しんだ。
ある時は「医学生キャラ」で売りすぎた。
ある時は「医学生」という肩書きが一人歩きして誤解を生んだ。
知られれば強烈な印象として残ってしまうこの自分の特徴を上手く扱えずに持て余していた。恥ずかしい。
私は、「医学生」であることにもちろん誇りを持っている。
たくさんこれまでの人生で勉強を頑張ってきたのは事実だし、実際良かったと思う。
でも、「医学生」であることなんて、大学の同級生の間では特別なことでもなんでもない。
むしろその肩書きに慢心しているなんて、非常にかっこ悪いと個人的には思う。
「勉強以外何も出来ない、知らない。でも勉強出来るしいいでしょ?」な人にはなりたくない。
それに、自分のことについて語る時に「医学生です」というひと言でしか語れなかったら寂しい。
もっとカラフルな、厚みがあっておもしろい人生を生きたい。
様々な考え方があるけれど私は、そう思っている。
バイト先では、物珍しい「医学生」であることで、「頭がいいからこんな事すぐに覚えられるよね」とか、「将来金持ちで」どうこうとか、「頭良いし人に興味なさそう」だの、たくさん言われた。なんとなく悲しかった。
多分私の特徴である「医学生」ということに対してどう反応するのがいいのか考えた結果だったのだろう、というのは分かっている。
それに、私のコミュニケーション不足で彼らにマイナスの感情を抱かせてしまった事もあったと思うし。
私はその人たちがひとりひとり好きだし、縁あって知り合えて良かったと思っている。
楽しかった記憶もたくさんある。
これからも明るく元気で、幸せでいてほしい、と思えている。
ただ、「医学生」から連想されるイメージの逆張りをするのに必死になりすぎて、明るく振る舞おうと、周りとワイワイしようとしすぎて、いつも帰り道は抜け殻になって帰っていたし、しんどかったのも事実だ。
しんどかったなぁ。うん。
でも、私はここで大人になれた。
これも紛れもなく事実だ、と胸を張れる。
話したことのない人とそれなりに話して盛り上がれるようになったし、伝えなければならないことは伝えられるようになった。と思う。
私が今まで勉強を頑張るあまり捨ててきた、社会で人と生きていくのに必要なことを、バイトを通して学べたと思う。本当によかった。
私はこの愛すべき私のバイト先で、四年制大学を卒業していく大好きな大好きな同期を見送って、スタッフの入れ替わりを実感して、今きちんと完全燃焼して卒業出来そうな気がする。
誰しも、ずっと同じではいられない。
立っている場所は刻一刻と変わっていく。
それに従って、ある時は出会うし、ある時は別れが訪れる。
それをいかに穏やかな心で受け入れるか、で幸せかどうかが決まるのかもしれない。
受け入れた上で、人生の最後の瞬間まで絶対に傍にいてくれる「自分」という存在とどう付き合っていくか、どう「操縦」して面白い人生を送れるか、試されているのかも。
「過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる。」というのは本当に言い得て妙だ。
7月からのカレンダーの空白に、どんな予定が埋まっていくのか楽しみだ。
手放したら、新しいものがそこに訪れてくれるはず。
どうなるかな。
カラフルにジューシーに、私らしく日々を過ごしたい。
同時にまろやかなコーヒーのある静謐な空間に佇むように、平熱で先を見据えていたいし、日々考え続けていたい。
まるごと全部で見た時に、幸せな人生であるように。
〈BGM: Starting Over / sumika〉
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