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イギリスで過ごした1年半


こんにちは。

前の記事にも書いてある通り、小学生の頃1年半イギリスに住んでいました。

今回はそれについて詳しくお話ししていきます。


イギリスに住むことになったきっかけ


簡潔に言えば親の事情です。
でも転勤とかではなくて、、、


父親が海外の大学院に進学するために家族一緒に連れて行かされたという感じです。

元々父は日本で会社員だったのですが、英語をもっと学びたいと思い
十何年間働いた会社を辞めてイギリスに留学しました。


職種が英語関係の仕事だったのもあって、ずっと本場の英語を学びたいと思っていたみたいです。




ちなみにイギリスでの学費、生活費など全て貯金から出していて向こうでの収入は一切ありませんでした。



日本に帰ってくる頃は貯蓄0になっていました。
今考えるととても恐ろしい、、、



当時小学5年生でした。日本以外で生活をしたことがありませんでした。



両親からイギリスに行くことを知らされた時は


なんか楽しそう

としか思っていませんでした、まさか日本とイギリスでこんなに違うとは知る由もなく、、、笑


イギリスへ


そして、イギリスに渡航。
場所はBristol。

どこ????????

Bathっていう観光地の近く

Londonからバスで2〜3時間かかる場所です。
Londonよりかは田舎だけどめっちゃ田舎というわけでもない、でも海など近くにあっていい街でした。


有名なので言えば、あのバンクシーが生まれ育ったところです。

街中でバンクシーが見れる

街中の至る所にバンクシーの絵が描かれていて、歩いているだけでとても面白いです。


また、ふと気づいたのですが
学校のクラスメイトも絵が好きな芸術的な子が多かった記憶があります。

バンクシーの影響なのかな?



それはさておき、
このBristolという街で1年間半の生活がスタートしました。


父はBristol大学の大学院での大学生活が始まりました。
が、私たちもいくら海外にいるとは言っても小学校にいかないといけません。


なので、小学校を探してみるのですが

ここで問題が発生。


日本人学校がこの街にない。。。


まず街に日本人が少ないのでそんなものの需要がないんです。
なので、現地の小学校に放り投げられました。


ちなみに言っておきます。
英語全く喋れません!!!!


小学5年生って簡単な挨拶くらいしか話せませんよね?

そんな日本語しか喋れない私が、現地の小学校での生活がスタート。


壁にぶち当たる

学校初日。
日本でも転校は何回か経験していたのですが、今回の転校はレベチでした。


なんと、私のクラスには日本人どころか、アジア人すらいない、、、

白人と黒人しかおらず、向こうも1人だけ人種の違うやつが入ってきたと注目の的になっていました。


差別とかあるかな??いじめられないかな??などとめっちゃ緊張していたのですが、

案外みんな気さくに話しかけてくれました。まあそれは最初だけなのですが、、笑




数日も経てば、転校生にも慣れてきて話しかけられることも減りました。


転校生あるあるですよね。最初だけ、物珍しそうにいろんな人から話しかけられるってやつ笑



まあこの場合は、私が全く英語を話せなかったのでクラスメイトからも

”つまんないやつ"

って思われていたんだと思います。


中には、気にかけてグループに入れてくれた子もいたのですが、英語がわからず話題に入れなくて馴染むことができませんでした。


そしていつしか1人で行動するようになっていました。


お昼ご飯も日本と違って、お弁当を持参するのですが一緒にご飯を食べる友達がいないので1人で食べてました。


しかも、私の学年 (Year 6)は何故か雨の日以外は運動場でご飯を食べないといけないという謎の決まりがあったんです。


クラスメイトはみんな友達とワイワイ話しながら、ご飯を食べている中私は運動場の片隅に座ってぼっち飯をしていました。笑

しかも昼休みが1.5時間あるというぼっちからしたら地獄のような昼休みを過ごしていました。


でもたまにクラスメイトが鬼ごっこやかくれんぼをしていて、それは全力で参加しました。言語関係なく楽しめるスポーツはすごい。



もちろんホームシックになりました。

異国の地でのぼっち生活、英語もわからず誰とも分かち合えないこの気持ちに耐えられず、毎日家に帰るたびに泣いていました。

早く日本の友達に会いたい、

イギリスに来る前にみんながくれた色紙や写真を見返してひたすら泣いていました。


初めてできた友達


ホームシックになりながらもちゃんと毎日学校に行き続けました。

自分偉すぎと褒め称えたいくらいです。


そんなある日、
2人の双子の転校生がクラスに来ました。

彼女たちはハンガリーから来たそうで、私と同様英語が話せない子たちでした。

自分と同じ状況の子が現れたことにとても嬉しかったのを覚えています。
そしてすぐに仲良くなりました。


双子の天使


当時はあの子たちに本当に支えられていたなと、思います。


今まではぼっちだった学校生活に2人の天使が舞い降りてきた感じです。

学校帰りに泣くことも無くなりました。



それからはずっとその双子ちゃんと3人で仲良くしていました。

途中からセネガル人の女の子も転校してきて、4人で仲良くしていました。




けれども、そんな楽しい時間は続かなくて、、、


なんと、その双子姉妹が半年でハンガリーに帰ってしまったんです。
これにはとてもショックを受けました。


またあのぼっち生活に元戻りか、、
と嘆いていました。


セネガル人の友達も普通に英語が流暢なので、他に友達を作って
関わる機会も少なくなっていました。



そして双子姉妹がいなくなり、またいつもと同じように1人でご飯を食べていたのですが、


今回は前と違い、


何人か私のことを気にかけてくれて話しかけてくれるように、、!



半年も経っていたからなのか、本当に興味を持ってくれる子たちが話しかけてきてくれました。


中には私が英語をうまく話せないのを知っていて、
google翻訳を使って話しかけてきてくれたり、日本語で書いた手紙を持ってきてくれたりして、

みんなの優しさに号泣しました。


そして、残り帰国までその友達と一緒に過ごすことができました。

言語の壁はあったけど、みんなは変わらず優しくて本当に恵まれた環境だったんだなと。



卒業して帰国



そして、無事に小学校を卒業して日本に帰国しました。
父も単位を落とすことなく卒業できたそうで、


振り返ってみると、すごい濃い1年半だったなと改めて思います。


でも当時はいくら友達ができたからといって、
日本に早く帰りたいの一心でした。


早く日本に帰って美味しいご飯食べて、友達に会いたいと、
もう海外には行かないと決めました。笑

↑なのに今カナダにいる。


日本との違い


日本との違いはやはり、多様性なのかなって感じます。



カナダでも感じるのですが、イギリスもLGBTQだったり自分の個性がそれぞれあって、幼いながらにも感じていたのかなと。


当時もクラスメイトみんな個性があって、自分の意見を持って自信に溢れている子が多くて感化されました。



そんな環境だったので、
私も素で過ごせて心地よかったのかなって思っています。


でも、食文化などは日本に勝るものは一切なく、、、



外食しても、どれも本当にまずいんです。
完食できないくらい。

バンクーバー来て、海外の外食は不味くないんだって気づいたほどです笑




あと、日本食が売ってない。売ってたとしても本当に高いんです。バンクーバーよりもはるかに。

日本人があまり住んでいない分、日本食の需要も少ないみたいでなかなか手に入りませんでした。


そう考えると、イギリスにもう一度戻って生活するのはやっぱり難しいのかなとも思ったり。
The海外って暮らしはできますが、、



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