あなたが私に出会うまで生きてきたこと
2019年も年の瀬となり、今年1月から書き連ねてきた拙文も12回目となりました(※編集部註 本連載記事は毎月発行しているニュースレターからの転載になります)。
この間、折に触れて感想をくださる方もいらっしゃり、大変有難いことでした。お礼申し上げます。
拙文についてはさておき、印象に残る日が年を巡ってやってくるたびにその日を祝うということを私たちはしばしばします。結婚記念日、設立記念日などなど。
そんな数々ある記念日のなかで、誕生日という記念日ほど祝われているものはおそらくないでしょう。しかし幼いころ私は、なぜ誕生日が「記念日」なのか不思議でした。
私は生まれたことを経験として覚えているわけではありません。
そればかりか、そもそも私は自分で意図して生まれてきたわけではありません。
たまたま生じた、思い出せもしない日がなぜ私の「記念日」なのか。
思えばずいぶんと嫌な子どもです。そんなことを考えつつ、プレゼントはこれ幸いと貰っていたのですから。
けれど、真にそう問わざるをえない子どもがいたとして、私たちはどう答えるでしょう。
誕生日は他のどんな記念日とも違って、祝福される人にとってではなく、祝福する人にとって記念日なのだと、私は次第に思うようになりました。
目の前にいるあなたが生まれたことは、あなたが私に出会うまで生きてきたこと、あなたに私が出会えたこと、そして年を巡ってまた出会えていること、それら全てを祝福したいと思う、私にとっての記念日なのだと。
私のように性格の偏屈さではなく、生まれた境遇のために誕生日、あるいは誕生そのものの意味を問わざるをえない子ども達がいます。
しかし、ひとりの誕生を祝福したいと思う人の存在が、その誕生日を記念日とするのでしょう。それまでどうだったかにかかわらず。
先日も、Living in Peaceの活動で長く関わりがある子の誕生日でした。
おめでとう。心からの祝福を送ります。
本年も一年間、有難いお力添えをくださった皆さまに、末筆ながら心よりお礼申し上げます。
どうぞ温かな年末と年始をお過ごしくださいませ。
執筆:中里晋三(Living in Peace 代表)
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