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カウントダウン「LEGEND GAME2024」#30 新谷博編

「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、1ヶ月を切りました。ここでは出場が予定されているライオンズOBを紹介していきます。

新谷 博(しんたに・ひろし) 

投手 右投げ・右打ち 1964年7月14日生まれ
ライオンズ在籍:1992~99年
通算成績:238試合 54勝47敗 14セーブ 防御率3.64
背番号:17(92~99年)

82年夏の甲子園。県立佐賀商の3年生エースだった新谷は、1回戦で青森県立木造高を相手に、9回表2死までひとりの出塁も許さない。完全試合達成まで、あと1死。27人目のバッターに対して、新谷のこの試合で投じた94球目は、右ヒジに当たるデットボール。夏の甲子園史上初の快挙はならなかった。が、新谷博の名前は一躍全国区となった。

この年のドラフト会議では、ヤクルトスワローズから2位指名されるが、かねてから志望していた駒澤大への進学を選択する。駒大では3年秋までに、東都リーグ通算16勝。ところが、右ヒザの大ケガがあって、4年のリーグ戦では、春・秋いずれも0勝に終わる。大学卒業時には指名なく、日本生命に入社する。

頭角を現したのは入社4年目の90年。10月の日本選手権の初戦となったNTT東北戦で、6者連続を含む、毎回の14奪三振の完封勝利。ここから21イニング連続無失点の快投で、チームを初優勝に導き、みずからはMVPに輝いた。翌91年のドラフト会議で、ライオンズが2位指名。27歳のオールドルーキーが誕生した。

やや低い角度の腕の振りから、スライダーを中心に多彩な変化球を投げ分け、プロ初先発となった8月2日オリックスブルーウェーブ18回戦では、先制を許しながら7回途中まで3失点。清原和博の逆転3ランなど、打線の援護もあって、うれしいプロ初勝利となった。

また、初勝利の半月前の7月15日福岡ダイエーホークス戦では、駒大の後輩で同期入団の竹下潤が先発、2番手新谷へとつなぐ投手リレーで大勝。竹下がプロ初勝利、新谷はセーブと、同じ試合でふたりのルーキーが勝利とセーブをあげる、珍しい試合になっている。

ライオンズ 同一試合 新人勝利&セーブ

1年目から先発、中継ぎ、抑えと、すべて経験。108 2/3イニングの登板で、108三振を奪ってみせた。翌年は5月から先発ローテ入り。8勝1敗と貯金をつくり、リーグ優勝に貢献する。

プロ3年目の94年には、再び先発、中継ぎ、抑えにフル回転。初の二桁勝利をあげつつ、チームトップの9セーブもマーク。シーズン最終130試合目に
1 回 1/3を投げて、規定投球回の130イニングに到達。この年パ・リーグ唯一となる2点台の防御率で、最優秀防御率のタイトルを手にした。

新谷本人によると、工藤公康に頼み込み、オフに自宅に泊まり込んでの合同自主トレを行った。そこで間近で見た工藤の動きを参考に、自身の投球フォームを改良。「負担が軽くなって、身体全体で投げられるようになった」ことで、コントロールやボールのキレ味が格段に向上した。これが自身初のタイトル獲得につながったのだという。

ここから3年連続二桁勝利。96年には初の開幕投手も任される。だが、翌97年には「こんな球(これまで)投げたことない、というような球しか投げられなくて、自分でも信じられなかった」と言うくらいの不振に陥る。白星は2勝に激減。防御率は6点台にはねあがった。

復活を期した翌シーズンは、5月下旬から先発ローテに入り、5勝をあげた。が、横浜ベイスターズとの日本シリーズ第5戦、5点をリードされた7回表から登板。8回表に3失点、9回表に5連打を含む7失点。次戦以降に投手を温存しておきたいベンチの事情もあって、シリーズワースト記録となる1試合10失点の屈辱を味わってしまう。

チーム最年長投手となった99年は、開幕ローテーションに入ったものの、相次ぎ炎上。4月に2試合先発したのを最後にファーム暮らしが続き、オフに自由契約となる。

その後日本ハムファイターズで、2年間プレーして現役引退。引き続き2年間コーチを務めたあとは、埼玉県川越市にある尚美学園大学の女子硬式野球部監督や、マドンナジャパン監督などに就き、女子野球の指導に関わるように。20年には、新設された「ライオンズ・レディース」の監督に就任した(23年からはGMに)。

また昨年、自身の現役時代のライバル企業となる「明治安田生命」のヘッドコーチに就くと、チームが4年ぶりに都市対抗野球本戦に出場と、その手腕を発揮した。

新谷博 年度別成績

主なタイトルなど
 最優秀防御率(94年)
 オールスター出場(94年)


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