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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#24 小田真也編

西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、残り1ヶ月あまり。ここでは出場予定のライオンズOBたちの、一味違ったプロフィールを紹介していきます。

小田 真也(おだ・しんや) 

投手 左投げ・左打ち 1961年1月18日生まれ
ライオンズ在籍:1982~92年
通算成績:196試合 4勝 6敗 9セーブ 防御率4.76
背番号:52(82~92年)

 
81年ドラフト3位でライオンズ入りした細身のサウスポー。社会人出身ながら入団2年間は1軍登板がなかったが、アメリカの教育リーグへの派遣をひとつの転機にして、3年目の84年4月12日の日本ハムファイターズ戦の5番手でプロ初登板。大量リードされたなかでの敗戦処理だったが、1イニングを無安打無失点で投げ終える。

その翌日の阪急ブレーブス戦では、早々と降板した先発投手のあとを受け、2回表から登板。そのまま7回途中までを1失点に抑えるロングリリーフ。この好投が認められ、2週間後の5月2日ファイターズ戦ではプロ初先発する。だが、2回途中5失点でノックアウト。これが、この年最後の1軍登板になってしまう。

その後、イースタンでは防御率ランキング2位になるなど、一定の成績をおさめたのだが、首脳陣の信頼は回復せず。翌年の春のキャンプで、サイドスロー転向を言い渡される。

当時のライオンズには、左打者に対して絶対的な自信を持つリリーフ左腕の永射保がいた。あまりに永射のことが打てなくて、生涯打率.320を誇るロッテオリオンズのレロン・リーが、右打席に入ったことがあるくらい。左打者から「自分の背中からボールが来る」と言われるほど、一塁側から腕を振るサイドスローの左投手だった。

そんな永射を参考にしたフォーム改造が実ったのは、小田の入団5年目となる86年。この年に新たに就任した森祇晶監督は、南海ホークスとのシーズン開幕戦の8回表、無死2・3塁のピンチで、先発の東尾修に代えて小田を投入。すると3番グッドウィンをサードフライ、4番門田博光を見逃し三振と、左バッターふたりを抑える見事な火消し。現行のルールなら、文句なしにホールドがつく好リリーフで、ベンチの期待に応えてみせた。 

ここから左打者相手のリリーフとして重用されるようになり、5月13日のホークス戦でプロ初勝利をあげるなど、シーズン35試合に登板。自分のポジションを確立する。

88年には自身最多の41試合に登板、91年には開幕から20試合連続無失点をマークしている。

日本シリーズにも4度出場。クロマティ、吉村禎章(読売ジャイアンツ)、小早川毅彦、前田智徳(広島カープ)、荒井幸雄(ヤクルトスワローズ)といった左打者に打順が回るたび、マウンドへと向かっていき、通算7試合すべて無失点に抑えている。

92年に現役を引退したあと、西武池袋線「大泉学園」駅近くで、お好み焼き屋「おだちゃん」を開店。その後は故郷の和歌山に戻り、林業の仕事や新聞記者をしていることが紹介されて、話題となった。

永射から始まる、ライオンズの「左打者キラー」の系譜は、小田、市村則紀へと受け継がれ、さらに杉山賢人、橋本武広、土肥義弘、星野智樹あたりへと続いていく。

ただ、最近では松永浩典、中崎雄太が挑戦したくらい。小川龍也、公文克彦も短期間の在籍で引退してしまった。このライオンズ伝統のポジションを、再び輝かせてくれるサウスポーが登場してくれると、うれしいのだが…。

小田 真也 年度別成績

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