変わっていく世界

自分はいわゆる脱毛サロン的なところに行ったことがない。コンプレックスがないのかというのでは全くない。むしろ剛毛で毛深い。季節によって変化する服に合わせ腕毛をある程度コントロールすることくらいだ。

こんな寒い季節は腕毛を剃らなくていいのでとても楽である。脇も同じくだけれど、年中ぶかぶかしたトップスとパンツスタイルの同じ格好ばかりしているのであまりそこまで気にならない。もう、諦めというか毛は私の一部になっているのでこのくらいになると愛している。

ところで面倒なことがある。接客でのレジ会計や人と話すとき、鼻の下の産毛が気になっていつも剃っている。マスクをするようになってもこれだけはしておかなければと、思うところが面倒なのだ。しかしそれも最近はサボり気味だ。では眉毛はどうか。

全体的に体毛が濃いので眉毛などは勇ましく某人気漫画 ○滅の刃のL獄さんのように束になりかねない勢いである。ではまつ毛はというと毛深いことでこれでもラッキーだなと思えるかというと、若い頃はマスカラを盛ることにより、もう私つけまつげよりギュンギュンだし。みたいな優越はもう消え去って 時代もナチュラルセパレートな感じが流行っているしもういいやという感じである。しかもビューラーでまつ毛を上げないことにより眼球にまつ毛が接触してしまう、さかまつ毛未満かもしれない状態が続くといつも眼球が炎症している気がする。

歳とともに全体的に体毛は徐々に張りが穏やかになりしなやかになっていると思う。しかし小学生くらいからと比べると、確かにキューティクルらしいツヤ感はないのは良かったなと思える、ポジティブに反転することの一つに指の毛がある。


ゆび毛、それは鼻の下の産毛よりも濃いのにもかかわらず年中とういうか毎日のように目に入るし、不快である。もちろん人や男性のものとなれば別であり、気になっているのは自分だけかもしれない。しかしこのゆびの毛を見ているとなんだか可愛いかもしれないと思ってきた。

どことなく田園のように見えるのは気のせいだろうか。PCのモニタから発されるライトにかざして棚田のように見えなくもないかと指を段上にして曲げてみたりくねくね遊んでみるとなんとも夢中になれてしまうものだ。こんな私でも脱毛に悩んだこともある。けれどゆびの毛だけはしっかりと生えている。T字カミソリを当ててもよく剃れないので10本とその下のなんて云うか、小指の下のあたりと親指の下の肉が少しついてるあたりのファサッとした一部は常にソラなければならない。

突然自分の意識を小さく小さくしていくと、そこには多分銀河があるんだろうななんて遠のく現実を眺めてそしてゆび毛の畑へ迷い込むのだ。暖色LEDライトの球体の形状は夕陽のように下の基盤の部分がちょうどよく水平線くらいに欠けている。この様子がお分かりになってもらえるか分からないが写メを撮るほど綺麗でもないし載せたくない。このゆび毛のファサり具合がゴッホの絵になって麦畑に溺れているかのようにまで思えてくる。今はやりのカラーマスカラのコッパーなんてお洒落な色を塗ってみたらいいかもしれない。それはもう芸術かもしれない。棚田 というタイトルで一枚ポートレートができそうである。

こんな朝方に一体私は何を書いているのかなと思うのだけれど、これもしょっちゅう手元を見ていることの表れなのかと思うと相当社会が今までと違うのだなあと思う。いろんなことが変わってくる。いろんなことが。色が、変わって季節が来るように。


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