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室井光広・特別エッセイ「モトをとる」(『多和田葉子ノート』『詩記列伝序説』刊行記念)

「モトをとる」室井光広

 高校の世界史の授業で、ルネッサンスは「古代」の「再生」であり、ラテン語一色の学問の世界において、ギリシャ語が学ばれはじめたことに特徴がある、と習った。世界史の先生には申しわけないけれど、年間を通した授業内容で印象に残っているのは、このルネッサンスの特徴と、付随のエピソードくらいのものである。
 ボローニャ大学で、あるギリシャ語の教師が学生に講義をボイコットされた。ギリシャ語を学習する者は「危険分子」とみなされたからだという。ローマカトリック教会のラテン語訳聖書による教えが絶対の基準になっていた当時、ギリシャ語習得によって『新約聖書』を原文のギリシャ語で読み、教会の教えの誤りを指摘し批判する人々もあらわれたことが背景にある。ギリシャ語を学ぶことは命がけだった。田舎者の高校生の鈍いアタマに、それは鮮烈な事実として刻まれた。
 ルネッサンスという言葉自体に出会ったのはたぶん中学時代だろう。この文化革新運動の歴史的全体像について、中学・高校時より深化した詳細な知識をもちあわせているとはいいがたい私にとって、ルネッサンスなる言葉は、何より読書とりわけ古典(語)を読むことと直結している。
 ギリシャ・ローマの古典の復興を契機に人間性の解放をめざしたルネッサンス......と覚え込んだ私はギリシャの古典はギリシャ語で、ローマの古典はラテン語で書かれていると考えた。それが間違っていたわけではないが、ルネッサンスの基本精神としての人文主義(ユマニスム、ヒューマニズム)が抵抗した、非人間的神学のシンボルであるラテン語......という視点が私にはなかった。教科書だか参考書だかにも、――人文主義はまずもってラテン語を捨てなければならなかった、と書かれていたように記憶するが、両者の関係はしかし、単純なものではない。
 若き日、ボローニャ大学で学んだダンテが、『神曲』を生地中部イタリアのトスカーナ方言で書き上げたこと、そしてまた、ロマン=小説のおおもとが中世、ラテン語で書かれた正規の書物に対して民間の語であるロマン語で書かれた本に由来することを教えてくれたのは、高校の国語教師、モクアミ先生なるニックネームで呼ばれていた人物である。
 モトをとれ――それがこの名物教師の口癖だった。学校に入ったからには、とにもかくにも授業料のモトをとれ。授業をさぼってもモトをとる方法はある。本を読めばいい。特に古典を読んでさえいれば楽にモトがとれる。
 せっかくの苦労や努力がむだになるモトノモクアミとヘビースモーカーのモク(タバコ)をモトとするこのアダ名を、当の先生がどう思われていたかはわからないが、モトを正すいとなみがモトノモクアミと裏合わせになっているという、何度でもどこででも起きる一身上のルネッサンスのありようを私自身が思い知ったのは後年のことである。
 高校を卒業する頃、モクアミ先生は私に古ぼけた文庫本――昭和二十三年に第一刷が出たダンテの『新生』(山川丙三郎訳、岩波文庫)をプレゼントしてくれた。今も所蔵しているが、昭和三十四年の第十三刷で、定価は八十円。すぐにむさぼり読んだといいたいところだけれど、事実は違う。同じ訳者による大作『神曲』(岩波文庫、全三冊)と比べればはるかにやさしい外観だったものの、両方とも長い間通読できぬままであった。
 モクアミ先生は両切りのタバコ『しんせい』を喫(す)っていた。私の生家は主たる副業を葉タバコ耕作とする農家である。祖父母らが汗水流して専売公社に収めた葉タバコは 『しんせい』のような安いタバコにしか使われないと当時聞き知っていた私は、ダンテの『新生』とモクアミ先生愛好の両切りタバコ『しんせい』を〈符合一致〉のように思ったのだった。『しんせい』は岩波文庫『新生』初刷の一年後に発売された銘柄である。
 ルネッサンスは再生の他に、新生、復活、よみがえりといった日本語で受け取り直すことができる。この言葉は世界史上の重要語であるばかりでなく、事態を根本的に新しくする弁証法的な革新運動にまつわるキーワードとして各方面で用いられている。そういえばモクアミ先生は、こわすことが創ることにつながるという主旨で、しばしば「弁証法(的)」を口にしたものだった。
 弁証法的創造は、こわすこと(こわされること)からはじまる。そう書くのはいとも簡単だが、現実上の破壊は一種暴力的に有無をいわさぬ仕方でやってくる。生れ故郷のフィレンツェからの永久追放を宣告され、見つかり次第、死刑に処せられると言い渡されたダンテは、以後処々に流寓し、異郷で死んだ。『神曲』など大部分の著書はその苦しい流浪の過程で生み出された。『新生』は亡命生活以前に書かれたものなのだけれど、ルネッサンスとしての<新生>体験はダンテの生涯を呪縛した弁証法的運動の別名といっていいだろう。
 新生の裏に、かけがえのないものの喪失、欠落がある。内実がダンテ的『新生』からほど遠く、両切りタバコ『しんせい』のように泥臭く卑小なシロモノだったのはことわるまでもないけれど、私も死と挫折にまつわる経験を骨身にしみて味わった。
 内部の「危険分子」が大暴れをやらかしたあげく、弁証法的否定の刃が自分自身に向けられるやいなや、それまで積み上げてきた一切が無に帰してしまう感覚におそわれる。リセット(振り出しにもどる)体験に遭遇してはじめて人はルネッサンス=新生、再生の何たるかを心身に刻むのであるが、そのとき浮上する<モトをとる>営みのモトは、もはや経済効率一辺倒のものではなくなっている。
 モクアミ先生の口癖をルネッサンス的に受け取り直すために、たとえば次のように表記してみよう。 モト(本、源、元、基、下、許、素)をとる、と。物事の根本、存在の基本となるところをあらわすモトという日本語にはざっと引き寄せただけでもこの七つの漢字が当てられる。他に「旧、故、原、因」などもモトと読めないことはない。西欧語のモトとなった古典ギリシャ語でいえばアルケー(もとのもの、原理、始源、根拠)がこれに相当するだろうか。
 モトもコもなくなってしまうモトノモクアミ体験はたしかに辛い。しばらくは仮死状態で伏している他ないような歳月がつづくだろう。だが、危機を深く自覚したルネッサンス人は、“新しい人”に生れかわるべく抜本的に<モトをとる>運動に着手する。失敗を掘り下げたそのモトから流れ出てくるモットー(座右の銘、信条)が<原点=原典=古典へ帰れ>なのである。
 モクアミ先生にすすめられて、よくはわからぬまま読んだ小林秀雄の言葉の一つを、今、ソラで“再生”してみれば――亡びないものが、どうして蘇生することができるか。
 ルネッサンス期にラテン語は「亡び」のターゲットになった。しかしラテン語で書かれた古典の数々はその後さまざまな国々で翻訳され、繰り返し「蘇生」をとげた。<死と再生>の偉大なサンプルとしての古典作品――たとえばつい先頃も新訳が岩波文庫に入った『ハムレット』(野島秀勝訳)をひらくと「ラテン語は亡霊にもっとも親しい言葉だと信じられていた、呼び出すときにも、退散させるときにも」という興味深い下段注に出会う。
 人文主義運動推進の一翼を担ったダンテは“亡霊との対話”能力にたけていた。ギリシャ思想も含めた古典世界の伝統を習得せんと努めた彼がとりわけ愛読し実践的研究の対象にしたのは、ウェルギリウスを中心とするラテン文学であった。孤独な放浪生活がはじまった頃執筆されたという『俗語論』はラテン語で書かれているらしいが、しかし文学をラテン語から解放しようとする意図を有していたとされる。俗語(トスカーナ方言)で書かれた『神曲』はこの意図の集大成である。
 日本語文学のアルケー=モト=草創期に位置する『古事記』の撰録者――和文創出の先駆者太安万侶(おおのやすまろ)と漢字漢文との関係をダンテとラテン語との関係に重ね合わせたりするようになったのはつい最近のことだが、田舎者が当初より興味関心を抱いていたのは、古い権威によりすがる依頼心や妄信を捨てて新しい地平を切り拓こうとするルネッサンス的人間が、一見古くさいものを掘り起こすことで、すこぶる身近なものを再発見し還元させる方法をとるという逆説性だった。
 弁証法など知らぬ中学生の頃から見聞きしていた言葉を使って、一身上のルネッサンスをあらためて説明することも可能だろう。たとえば、『古事記』序文にもでてくる「稽古」という言葉。古(いにしえ)を稽(かんが)えることが根底的に学び、習うことにつながる。朝礼などでの校長先生の話にも繰り返し出てきたと記憶する「温故知新」や「初心に帰る」という表現などもルネッサンスの関連語であったと、今にして思う。
 埋もれた故(ふるき)を温(たず)ね求め、そのモトから新しい何かを再生させる。身モト確認を伴うこの新規まき直し運動には、遠い古典語を学ぶうち、やがて最も近い足下にある卑俗な方言つまりは母語の輝きを再生させる――ダンテの『新生』からタバコの『しんせい』への回路が見いだされるような――“本末転倒” ともいうべき価値転倒が含まれる。
 根源的出発点としての初心がどういうモトにあるのかは人それぞれに違うだろう。だが、原点に帰る営みを手助けしてくれる最も安上がりな手段が、めいめいにとっての心の原典に拠ること、それだけは共通している。古典本を手にとるとき、人は根源的な<本(モト)>をとる。『しんせい』にマッチで火をつけながらモクアミ先生が呪文のように唱えていた言葉がまた一つよみがえる――古典一本、再生のモト!

*当記事は、岩波書店が2002年に刊行した『読書のすすめ第7集』に初掲載されたものを著作権継承者より許可を得て公開しております。

室井光広(むろい・みつひろ)
一九五五年一月、福島県南会津生まれ。早稲田大学政治経済学部中退、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。一九八八年、ボルヘス論「零の力」で群像新人文学賞受賞。著書に『猫又拾遺』(一九九四年、立風書房)、『おどるでく』(一九九四年、第一一一回芥川賞受賞)、『あとは野となれ』(一九九七年、ともに講談社)、『そして考』(一九九四年、文藝春秋)。文芸評論に『零の力』(一九九六年)、『キルケゴールとアンデルセン』(二〇〇〇年、ともに講談社)、 『カフカ入門――世界文学依存症』(二〇〇七年)、『ドン・キホーテ讃歌 世界文学練習帖』(二〇〇八年、ともに東海大学出版会)、『プルースト逍遥―世界文学シュンポシオン』(二〇〇九年、五柳書院)、『柳田国男の話』(二〇一四年、東海教育研究所)、『わらしべ集』(全二冊、二〇一六年、深夜 叢書社)、『多和田葉子ノート』、『詩記列伝序説』(二〇二〇年、双子のライオン堂)。エッセー集に『縄文の記憶』(一九九六年、紀伊國屋書店)。訳書にシェイマス・ヒーニー『プリオキュペイションズ――散文選集1968-1978』(佐藤亨と共訳、国文社)などがある。二〇一二年、文芸雑誌「てんでんこ」 を創刊し第2号まで刊行。二〇一九年九月、急逝。享年六十四。

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