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(前編)「言葉だけで音楽する」 音楽の視点から見る中原中也 (ゲスト:小田晃生*佐藤yuupopic 司会:宮崎智之)

文芸誌『しししし4』(2021年12月刊行、双子のライオン堂)では中原中也を特集し、宮崎智之さん、大崎清夏さん、岸波龍さん、長尾早苗さん、川村のどかさん、遠藤雅司さんらに中原中也への論考を寄稿いただきました。刊行を記念し、2021年12月17日、Twitterスペースにて、中原中也にまつわるトークを開催しました。司会は、フリーライターの宮崎智之さん。音楽家の小田晃生さん、詩人の佐藤yuupopicさんをお招きし、双子のライオン堂の竹田信弥を合わせた4人で「詩と音楽と中原中也」をテーマに中也の詩が持つ音楽性について語り合いました。

*この記事は、Twitterスペースで行った『「しししし4」刊行記念スペース配信〜音楽家と詩人による対話〜「詩と音楽と中原中也と」(ゲスト:小田晃生*佐藤yuupopic 司会:宮崎智之)』を加筆・再構成したものです。前・後編の2回に分けてお送りします。

中也は「詩に音楽をつけて歌ってもらいたい人」だったのでは

宮崎 本日は、普段から「言葉」をテーマに音楽や詩のリーディングをされているお二人と、言葉が氾濫するこの時代、中原中也を問い直す内容のトークをお送りできればと思います。ちなみに小田君と僕は15年来の友人でして、小田君にはかつて中原中也の『湖上』に曲をつけてもらい、僕が書いた脚本の劇中歌として歌ってもらったことがあるんですよね。

小田 演劇の脚本で、宮崎さんがセレクトした中原中也の5つの詩の中から、1つ選んで曲をつけたんです。

宮崎 確かあのとき5つの詩の中で、最後まで『湖上』と『雪の宵』のどちらに曲をつけるかで迷っていましたよね。あの2つで悩んでいたのはなぜだったんですか?

小田 僕、前提として本をほとんど読まないんですよ。活字離れ甚だしくて、このイベントに呼んでもらったことに引け目を感じるくらいなんですけど(笑)、実はこの時、初めてきちんと中原中也の詩を読んだんです。もともと「この詩にどんな意味が込められているか」まで読み込んで曲にしようという考えがあまりなく、歌い出してみてから自分の中で引っかかってくるものを頼りに曲をつけられたのが、『湖上』と『雪の宵』だったんですよね。

宮崎 小田君の音楽感覚にあった詩を選んだ。

小田 そうです。沸点が意味を超えて、結果的に曲がついていったのがその2つでした。

宮崎 僕は音楽をつくることがないから、新鮮な話です。この時できた『湖上』は2008年に発売された小田君のアルバム『発明』に収録されています。サブスクでも聴けるのでぜひ聞いてみてください。

中原中也の『湖上』がどんな詩なのかを改めてみんなと味わいたいのですが、せっかく佐藤さんに来ていただいているので、読んでいただけないかと無理なお願いをしたところ、なんとカバーリーディングしていただけることになりました。

小田 「カバーリーディング」という言葉と初めて出会ったのですが、どういう意味なんですか?

佐藤 私は詩を読むとき、朗読ではなくリーディングしているという感覚が近くて。特に他の方が作った詩を読むときは、息継ぎやリズムなどが異なるので、音楽と同じでカバーしている印象なんですよね。そのため、「カバーリーディング」と呼んでいます。

宮崎 僕も佐藤さんのCDを聞いたんですけど、自らの呼吸で表現されていて、カバーリーディングの意味が分かると同時に、こんな表現方法があるのかと感じました。

佐藤 ありがとうございます。今回、宮崎さんからカバーリーディングのお話をいただいた後に、改めて『湖上』を読み直しました。詩って、読んだときの環境やタイミングで印象が変わるのものだと思っていて。今回読み直して、また大きく印象が変わりましたので、今の私の気持ちで読ませていただきます。

*『湖上』のカバーリーディングから再生されます。

一同 (拍手)

宮崎 いや〜、素晴らしかったですね。ここからはぜひ実際に作品をつくっているお二人にお話を聞きたいのですが、佐藤さんは小田君の『湖上』を聴いてどう感じました?

佐藤 私自身、詩を書いて読む者として、中也って詩に音楽をつけて歌ってもらいたい人だったんだろうなと思っていて。でも、日本の音楽がまだ彼のイメージにちょっと追いついてなかったんじゃないかなと感じていたんです。小田さんの『湖上』は、まさに中也がやってほしかったことなんじゃないかなと曲を聞いて思いました。もし中也が聞いていたら、ニヤニヤしちゃったんじゃないかな、と。

小田 ありがとうございます。

宮崎 小田君は先ほどの佐藤さんのカバーリーディングを聴いてどう感じました?

小田 男性が思い描いた言葉で紡がれているはずの『湖上』が、女性の声を通して聴くと、また違ったイメージを感じましたね。中也も男性だし、演劇で歌った時の配役が「酔っ払いの男性役」だったので、どこかで男性の先入観があったんですよ。

宮崎 この詩の面白いところで、例えば「――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を」とモノローグ的に入る部分もそうですし、ここで「あなた」という言葉を使っていることなど、割と男性なのか女性なのかわかんない中性的な詩だと僕は感じていました。

小田 確かに、言われてみれば中性的な柔らかな感じがより一層しますね。

佐藤 今回改めて読み返して、今までと全然違う印象があって、個人的には「夢の中のデート」みたいだなって感じました。相手は中原中也くんか、今自分の傍らにいる人か、もう会えない人か、夢の中で出てきた知らない人か、人じゃなくても概念だったりでもいいんですけど、目が覚めそうで覚めなくて、このまま覚めないでほしい夢の中で、船を漕ぎ出すと月が湖面を照らしている、というイメージで今日は読ませていただきました。

宮崎 カバーリーディングに込められた表現が、詩を愛する者としてすべてだと思うんです。でも、一応史実的なことを言うと、この『湖上』は『在りし日の歌』に収録されているので、後期の歌だと誤解されがちなんですけど、実は昭和5年、中也が23歳のときに書いた詩なんです。いわゆる、長谷川泰子をめぐる小林秀雄との三角関係があったのが18歳の頃で、まだ傷が癒えてないあたりに歌った詩だっていうことはちょっと注目に値するかと。

技巧的な部分も、「でしょう」が続くこと、モノローグ的な部分をどう読むのかということなど課題があったと思うんですけど、そこら辺についてはどうでしたか。

佐藤 中也の詩にはリズムがありますよね。音楽に乗せやすいオノマトペなど、比較的読みやすいリズムで詩を書いてくれていると感じます。カバーリーディングでは、基本的に、言葉のリズムと自分の中にあるものとで合致するところを合わせて読んでいく感じ。今日はリスナーの方の顔が見えないため、夜の広い湖で、皆さんと一緒にいるイメージで読んだんですけど、会場で面と向かってお客様がいると、今日と全然違う読み方にきっとなるんじゃないかなと思います。普段から感じたままに読むようにしているので、技巧的なことは極力薄く、逆に準備しないようにして臨みました。

宮崎 やはりそこは小田くんと同じで、感じたままを音や曲に乗せるのが共通してあるんですね。

佐藤 なにぶん、中也の作品がいいので、それが伝わるようにっていうことを心がけてというところでしょうか。

言葉だけで音楽してる。中也の作品にある音楽性

宮崎 先ほど、佐藤さんから「中也の詩は音楽や声を想起させるものである」といった趣旨の話があったんですけれども、『湖上』に限らず、中也の詩の音楽性やリズム、オノマトペに関連して感じることはありますか? 僕は例えば、『湖上』の「ひたひた」っていう表現がすごく好きなんですよね。

佐藤 これ、いいですよね。

宮崎 海じゃなく、湖ですからね。「ひたひた」というのはやはりハッとするオノマトペです。これが「ザブンザブン」とか「ザアザア」だったら違うってなると思うし、「ひたひた」というオノマトペがこの詩のイメージを決定していると言えるんじゃないかと。

佐藤 中也の詩には有名なオノマトペや、韻を踏んでいるものも結構多いですよね。彼自身朗読がすごく好きだったっていうのもすごく腑に落ちるというか。自分で音読しつつ作品を作る「朗読詩人の書く詩」だと、私自身そうなので感じるところがあります。

宮崎 あと、中也の作品には基本的に五七調の詩が多いんですよ。韻を踏むこと、独特のルフランがあることなどから、もし現世に中原中也が生まれていたら、ラッパーになったんじゃないかって思うこともある。小田君は、中也の詩から何か感じる部分はありますか?

小田 僕も歌詞から曲を作るときに、五七調に頼っちゃうことがあって。

宮崎 やっぱりつくりやすいんですね。

小田 そう。特に「どういう曲にしようかな」という段階で、言葉から切り始めたときに、自然と五七調になることが多くて。すごく魅力的なのは、その文字数ですよね。音符の数を考えずに綴れるって、すごいことで。

『湖上』や『雪の宵』は、折り目正しくリズムがこっちに届いてきてくれる感じがします。だからこそ、自然と曲につながった感じがあったのかな。

宮崎 「ポッカリ月が出ましたら」の『湖上』も同じ調子がずっと続くし、他を見ると、例えば中也の代表作の『朝の歌』は、七五調で続く上に、西洋のソネットという形式を守ったガチガチの定型詩。そこを中也はどう考えていたのかなとは思いますね。形式を作ることで、音を入れやすいと考えていたのかもしれないです。

小田 もし中也が現代のリズムマシンを所有していて、自分と伴走して音楽を作れる技術を持っていたら、詩でリズムを作らなくてもよくなっていった可能性もあるのかなと。言葉だけで音楽してるのがすごく魅力だと思うので、逆に詩以外の方法があると、僕なんかは言葉のリズムがどうしてもそこに陥っちゃうのに抗いたくなることがあるんですよね。

宮崎 確かに中也は言葉だけで音楽になっていますよね。有名な詩で言うと『サーカス』。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」っていうオノマトペがあるんですけど、人によってどういうふうな抑揚をつけるかが違ったりして、読む人が皆、自分の中で各々の音楽をしているのかな、なんて思ったりしました。

佐藤 音楽と詩のユニットとして活動する中で、音楽に委ねたり全部言い切らなくてもできることがあったりするのがすごく新鮮に感じています。隙間を作る作業を今、いろいろ試しているんです。言葉だけでもやれることはいっぱいあるけど、「やらなくてもいい」を選べるのを、音楽のおかげで感じていて。小田さんのおっしゃっていることは、詩人側からも、とても腑に落ちるものがありました。

宮崎 ここまでで竹田さん、なにかご感想はありますか?

竹田 なんか「いい話だなぁ」と思って聞いています。

一同 (笑)

竹田 いや、本当に(笑)。創作側の話を聞けるのって、面白いですね。

宮崎 そうですよね。僕はどちらかと評論の方面から読んでいる人間なので、まったく思いつかないようなお話とても面白かったです。

ここで一つ、中也の人柄が分かる小咄をしたいと思います。『山羊の歌』を出版した文圃堂の野々上慶一が残している、四谷花園アパートでの話。四谷花園アパートは、青山二郎や中也が住んでおり、当時、文士たちの集まるサロンのようになっていた。中也は、青山次郎の部屋にあったイギリス製の深い椅子に腰掛けて、小男だったので足がバタバタするので自然とあぐらをかいていて、そんな情景の中ですよ。

「そうした格好の中也は、飲んでいて、時に突如として自作の詩を、嗄れた、しかし、しっかりとした声で、また時には悲しげな声色で、抑揚をつけて朗誦したりしました。いまでもその姿が目にうかびます。そしていつもまだ雑誌などに発表しない新作の詩を、披露していたようです。いま思えば、『在りし日の歌』に収められた詩の多くです。しかし、中也の朗読がはじまると、みなイヤな顔をして、座は白けたものでしたが、そして私もまたはじまったと、その時は迷惑に思ったものですが、歳月はふしぎなものです。私は、いまでは時々、このことをとてもなつかしく思い出すことがあります」(『さまざまな追想』文藝春秋)と。

佐藤 (笑)

小田 すごいな、それ(笑)

宮崎 ちなみに中也は他の文士が議論している中でも、遮ることなく割って入るでもなく、無視して勝手に始めるらしいんですよ。始まった限りはみんなも聞かなきゃいけないみたいな雰囲気があったらしく、中也自身も「さっきの詩どうだった?」と質問することなく、勝手に自分で作った詩を朗唱して一人で悦に入っていたという。

小田:友達にいたら不思議ですね(笑)。

宮崎:迷惑千万でもある(笑)。けど、それが『在りし日の歌』に収められているのはすごい話で、歳を重ねてからそういう話を懐かしく語れるのも泣けるところですよね。

(後編に続く)

文:山本莉会

【告知】
双子のライオン堂が協力、出店、宮崎智之さんが司会を務める、詩の朗読と本の野外フェス『POETRY BOOK JAM』が6月3日(金)に上野公園野外ステージで開催されます(17時開場、17時30分開演)。出演は、高橋久美子さん、ラGOMESSさん、鳥居さん、Kacoさん、宮尾節子さん、向坂くじらさん(Anti-Trench))、平川綾真智さん、村田活彦さん(poetry reading tokyo)。バンドは、・ミコ・トコマレさん(Gt.)、小林洋さん (Ba.)堀口たかしさん(Dr.)。
書店&出版社ブースには、ネコノス、代わりに読む人、本の種出版、書肆海と夕焼け、カラポネヤミ書房、百年の二度寝、双子のライオン堂、Après-midi 、田畑書店、左右社、ナナロク社、駒草出版、素粒社が出店します。
入場無料のチャリティーイベントになります(カンパ制)
詳細は、ホームページにて。
公式Twitter:@poetry_book_jam

【プロフィール】
◆ゲスト
小田晃生(おだこうせい/Kohsey Oda)
1983年生まれ・岩手県出身。音楽家・シンガーソングライター。
2006年頃より、ギター弾き語りを中心としたライヴと音楽制作を始める。日常の気持ちや趣味や出来事をヒントに、自身の思い出や悩みについての歌、言葉遊びやパズルが仕掛けられた歌、短編の空想話のような歌など、様々な切り口でコミカルかつ切実な楽曲を描く。フォーキーでアコースティカルでジャンルは不定形。穏やかでややこしい人生の音楽。
ソロの他に「COINN」「ロバート・バーロー」など、子どもたちへ向けた創作活動を行うグループにメンバーとして参加。そのほか、ギターレッスン講師、映像作品の音楽制作や出演、ナレーションなども務める。現在は、山梨県上野原市在住。野菜農家を営む妻との雑談ポッドキャスト『TORCH TIMES』を毎週配信中。https://linktr.ee/kohsey

佐藤yuupopic(さとうゆうぽぴっく/Sato Yuupopic)
1973年、東京出身。名前の由来はyuu×popmusicから。野球詩人(右投右打)。声とことばと本と本屋さんにまつわる活動を行っている。「詩のレーベル風神雷神や。」の運営やアーティストの笹谷創と共に、音楽と詩のユニットpopi/jectiveとしても活動中。公式サイトはこちら。 Slam PoetとしてKOTOBA Slam Japan初代準優勝、2020-2021東東京大会および横浜大会には主催として関わる(KOTOBA Slam Japan公式YouTubeチャンネルはこちら。 詩人+ラッパー8人によるマイクリレー『#詩ラレザル狂騒 ―東京ver.―』の公開も)。本屋・生活綴方の月イチ店番詩人や、妙蓮寺 本の市事務局スタッフを行うなど、精力的に活動する。名古屋の詩人・クノタカヒロと共作した正岡子規のカバーリーディング『ベースボールの歌』Full ver.はこちらから。詩集取扱店舗一覧はこちら。1st.ミニアルバム『popi/jective』(2021年)取扱店舗一覧はこちらから。5月29日(日)にNEWリリースしたカセットテープ仕様のExtra edition_001『CASSET TAPE FAN CLUB』の試聴はこちらから。

◆司会
宮崎智之(みやざきともゆき/Miyazaki Tomoyuki)
フリーライター。1982年、東京都出身。幼少期から父と共に中也の詩を朗読、暗唱し、大学の卒業論文では中也を研究。著書『モヤモヤするあの人』、『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(以上、幻冬舎)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)、ポケットアンソロジー「宮崎智之セレクト 中原中也名詩選」(田畑書店)など。詩に関する論考に、「早熟な晩年  中原中也試論(一)」(双子のライオン堂『しししし4』)、「中原中也の「朝の歌」」(田畑書店『季刊 アンソロジスト 2022年 春 創刊号』)などがある。『文學界』『週刊読書人』などに寄稿。今夏、晶文社より新刊を発売予定。
Twitter:@miyazakid


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