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SM小説「路上の恋文」⑰卒業【完結】


蒼い手紙

あれから13日が経った。

奴隷卒業試験の前日に敦司の家のポストに一通の手紙が届いた。

厚手の淡いブルーの封筒だった。

宛先だけが書かれていたが、敦司はすぐにそれが麻美からのものであると察知した。家の中に戻り、そして応接室のソファに座り込んで封書を開けた。

深愛なるご主人様

まずは、姿を現さず、このような形でのご挨拶となり申し訳ございません。実際にお会いして私の口からお伝えし、そして、ご主人様からの罰をお受けすることが本来あるべき形と理解しています。

ですが、その場に居てしまうと、心地の良い流れに身を委ねてしまうと思い、手紙にしました。

奴隷からご主人様への最初で最後の手紙です。

昨年、私を見つけて所有していただいて本当に幸せでした。ご主人様の導きのおかげで、やっと私は本当の私を知れた気がします。ご主人様が厳しく、そして優しく導いて頂けたからこそです。あっという間に私はSMの、そしてご主人様の虜となりました。今となっては手遅れですが、機会があったなら、私のどのようなところをお気に召されたのかも聞いてみたかったです。

私の貪欲な衝動によって私は奴隷卒業に向けてまっしぐらでした。何も不安や迷いはありませんでした。ですが、卒業間近になり、不安と迷いに苛まれるようになりました。

卒業試験を受けてしまえば、選べる選択肢は二つしかないのです。

一つ目は、本当にご主人様の奴隷から卒業することです。

ですが、一度本当の自分を知ってしまった以上、私は私を抑えられないでしょう。きっかけはどうあれ、今となってはご主人様は敦司様しか考えられないのです。誰でも良いという訳にはいかないのです。

そんな状況でご主人様から卒業してしまえば、肉欲に負けて仮初のご主人様を見つけるのだと思います。そして、それは失敗に終わり、何度も何度もそのような空虚なサイクルから抜け出せないのだと思うのです。そして、失敗する度にご主人様を思い返すでしょう。そんな無意味な繰り返しが私の中のSMを嫌なものの象徴に変えてしまうのではないかということを恐れています。

だから、私はご主人様の奴隷を卒業するわけにはいかないのです。

二つ目は、ご主人様に低頭懇願し、試験合格後も卒業せずにご主人様に引き続き可愛がってもらうことです。

本当はこれが私の求めていることなのだと思います。しかし、晃子のことが頭から離れなかったのです。いつしか、私も晃子と同じポジションになり、同じ葛藤を抱くのでしょう。

私はまだまだ勉強不足の奴隷です。それゆえ、そうなることの本当の意味が今の私では理解できないのです。そして、晃子は私にとって表の世界の大事な友人でもあります。

先日、ご主人様は、晃子のことは大丈夫と仰っいました。私がご主人様の奴隷を続けないことで、晃子がご主人様にとっての唯一の奴隷になれるのではないかと思っています。私は引き続きご主人様の傍に置いて頂くわけにもいかないのです。

だから、私はこれら二つの選択肢のうちどちらかを選ぶ卒業試験には伺えないのです。その時が来る前に答えを出さなければならなかったのです。

一方的ですが、私は卒業試験を受けないまま去ります。そして、もうご主人様にお会いしません。

客観的に見ればこれは既に主従の崩壊なのでしょう。だけど、私にとっては違います。ただ、私の心が落ち着くまで、私の中ではご主人様でいてもらいたいのです。

私は私の中のご主人様の存在を大事にしつつ、だけど、時間をかけて小さくしていきます。それがどれほど大変なことかも今の私には想像できません。

でも、いつか、私も賢くなり、小さくなったご主人様よりも大きく感じるご主人様に出会えることがあるならば、その方にお仕えしたいと考えています。その時がいつ来るかは分からないのですが、私にはそれしかないのです。

このような勝手なことを言う奴隷はご主人様から破門との烙印を押して頂ければと思います。だけど、そのことは私にはお伝えにならないでください。お願いです。

どうか、ご主人様にがこれからも健やかに幸せな生活を送られますように。心よりお祈りいたします。

奴隷 麻美

麻美の手紙


麻美の苦悩と覚悟が沁みた手紙だった。

敦司の考えはどうあれ、反論の余地がない麻美の強い思いを実現するための手紙だった。

敦司はしばらく応接室から出てこなかった。


奴隷が紡ぐ幸せ

敦司から麻美に対して連絡することはなかった。それは、破門とも、いつでも帰ってきて良いとも受け取れたが、真相は謎のままである。

麻美もまた、敦司への一切の連絡を絶った。ただし、スマホの監視アプリは入ったままだったので、いつ・どこで・誰と何をやっているかは筒抜けの状態だった。もちろん、敦司がその機能を使うかどうかは分からない。しかし、麻美はこの後2年間スマホを変えなかった。

お互いに連絡することはなかったのだ。

そして、その2年間、麻美は東京で自分を探す旅を続けた。

負けず嫌いでしっかり者の自分を愛しながら。

・・・

少しずつ、麻美の中の敦司の存在が小さくなり、そして記憶も朧気になっていった。いろんなことが薄まっていったけれど、麻美はあの時の匂いをまだ覚えている。

彼女のアイデンティティを確立するために必要なのがSMだった。敦司だった。晃子だった。

麻美の憧れたSMは、まだ彼女の中で輝きを持っている。

「ありがとうございました、ご主人様。」

「私、自分のことが前よりも好きになりました。」

「私、次に進めそうです。」


FIN

<路上の恋文・完>


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