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歌がウマいとモテる。かもしれない

今回は完全に私の一人称視点のお話で、しかも男目線での自分語りとなるため「下世話なテーマ嫌い」「顔も知らないアラフィフのオッサンの戯言など読む時間は無い」と思われる方は、速やかにブラウザの戻るボタンを押下してお引取りいただき、癒やされるワンちゃんの画像でも見て、汚された心を浄化いただくのが最善と思われる次第。

きっかけは曽祖父からの投げ銭

母方の実家で盆や正月には親戚一同集まって宴会をやるのが恒例であった。
曽祖父は歌が好きな人で、家にはカラオケの機械があった。
本体は巨大なスピーカーになっておりマイクが接続されていて、たしか8トラックとか呼ばれるでかいテープにカラオケ伴奏が収録されており、それをスロットに挿し替える形で好みの曲を歌うというもの。

宴会が盛り上がってくるとこのカラオケマシーンを使って皆でどんちゃん騒ぎをする、というのが定番スタイルであったように思う。
曽祖父の家は農家で田舎にあったため、隣の家とは数十メートルは離れているし、現代のように近所迷惑だ、などと怒鳴り込んでくるような輩もいなければ、そもそも近所付き合いの結束も硬いのでたまに近所の人達も宴会に混じっていた記憶すらある。

記憶が定かでないが、たしか3歳か4歳くらいの時。
ある日の宴会で、曽祖父は初孫の私に歌ってみてくれとリクエストした。
昭和歌謡か演歌しかトラックが無いそのカラオケマシーンで、私が唯一知っていたのが松村和子「帰ってこいよ」という演歌だった。
おそらく母が、これなら歌えるんじゃない?と勧めてきたのだとと思う。

私は親戚の前だし、自宅でもテレビを観ながら歌っていたらしいのでカラオケで歌うに緊張はせず、のびのびと歌ったらしい。
声変わりしてない幼少期のため、女性曲でも高音キーでも難なく歌いこなせていた。

曽祖父はこの帰ってこいよに甚く感動してくれたらしく、その場で賞金として1,000円を授けてくれた。
当時の私にとっては大金である。

自分の歌でこんなに喜んでくれる人がいるのか、と今思えば衝撃的なほどに承認欲求を満たされたのだと思う。
随分と朧気な記憶ではあるが。

高校時代にカラオケ流行

小学校時代も歌番組は好きでほぼ毎週ベストテン、ヒットテン、夜のヒットスタジオなどを視聴しており、音楽を聞きながら過ごした。

そうして過ごしている中、高校生になりカラオケブームが到来する。
カラオケボックスがそこら中に出現して、学校帰りなどに友人とカラオケへなだれ込む日が来る。

現在と違い、曲はネットで配信されるわけではない。
紙冊子の目次本で選択して、該当する曲コードをボタンで入力しLDやCDが昔のジュークボックスのように、物理的に入れ替えられプレイヤーにセットされて演奏が始まるというもの。
カラオケ店(機種?)により曲のラインナップは大きく異なるのが当たり前の時代であった。

当時好きだったB'zばかり歌っていた記憶しか無いが。。。

大学時代の小学校同窓会でヒロインにキスされる

大学になってもカラオケの盛り上がりは凄まじく、店に行く度に新たな曲が次々に追加され、目次本はどんどん分厚くなっていった。

友人たちもカラオケ好きな野郎どもばかりだったので、集まってはカラオケ、酒飲んではカラオケ、と定番になった。

そんな大学時代に成人した頃、小学校の同窓会をやろうと招待が来る。
参加して居酒屋にいると、卒業以来会えてなかった級友達が次々に現れてテンションが上がった。

中でも小学校5年〜中学1年までずっと好きで片思いだった坂井仁奈ちゃん(仮名)の登場で心は満充電された。
子供の頃から少し大人っぽく綺麗な顔立ちをしていたが、大学生になってさらに美しさに磨きがかかっていた。

一次会では仁奈ちゃんとはほとんど話せず、そのまま有志で二次会のカラオケに流れた。
仁奈ちゃんも参加。
しかもけっこう結構酔っているらしく帰ろうとする者を無理やり二次会に引っ張り込もうとしていて、小学校時代からアクティブな女の子であったがこちらの面でもパワーアップしていたらしい。

結局男女合わせて20人程度が二次会に残った。
カラオケでは当時の流行りの歌を歌った。
特にWANDSというバンドが好きだった。

聞いてくれた級友達は私の歌を褒めてくれたので、結構調子に乗っていたと思う。酒も入っていたし。

たしかB’zの曲を歌ったあとに仁奈ちゃんが私の隣にどっかと割り込むように座ってきて、
「ライオくん歌うまいね〜♪ 惚れ惚れする〜」
と甘えた声で私の肩に手を回して顔を近づけてきた。

女性免疫に乏しかった私は
「ありがと。…仁奈ちゃん……顔近いね……」
と、モテない男全開のどうしようもない反応を返した。
内心は天にも昇る気持ちで冷静に考える機能を完全に失ってしまった。
「嫌〜?ライオくん嫌なの〜?」
と完全に小悪魔モードで更に迫ってくる。
「いや、小学校の頃から仁奈ちゃんのこと好きって言ってたじゃない。」
と酔いに任せて精一杯の好意を伝える。実際に告白して振られていたのだ。
「本当〜?気を使わなくっても良いんだよ?」

みたいな完全に周囲を置き去りにしたイチャイチャぶりを展開する。
カラオケボックスの大部屋なので当然他の友人達はこの様子を見ていたのだろうが、私の歌が終わって他の友人が歌っているので普通の音量での会話は聞こえず、上記のやり取りはお互いの耳元で相手にしか聞こえてないと思われる。

その後も仁奈ちゃんは私の隣から席を動かず、私に次はこの曲を歌ってほしいとリクエストしてくれた。
また仁奈ちゃんは自分が歌う時に「あなたが好き」などの歌詞を「ライオくんが好き」に変えてみんなの前で堂々とアピールし始めた。

嬉しいやら恥ずかしいやら、だったが全員酔っ払った仁奈ちゃんを苦笑いで見守るしかなく、もう仁奈ちゃんはライオが好きが公認のような状況になった。

しかし仁奈ちゃんは学校でも一番カワイイくらいのヒロインだったので、野郎どもは、当時ひ弱で目立たなかったライオなんぞに持っていかれてたまるものかと、争奪戦の様相も呈した。
歌で対抗しようとする奴、仁奈ちゃんを無理やり他の席に移動させようとする奴、仁奈ちゃんの隣の席を確保し口説こうとする奴。

私は既に仁奈ちゃんにこんなに褒めてもらい、好きと歌ってもらい、たとえ嘘でも小学校の時の片思いが報われた気持ちだったので、彼らの攻撃に対して対抗する気は無かった。

ただ、このまま仁奈ちゃんともっとに一緒にいさせてくれたら、とは願っていた。

宴も終盤、私が歌ったら隣にいた仁奈ちゃんが感極まったらしく、私の頬にキスしてくれた。
周囲のライバルどもにはダメ押しのような攻撃。
女子達もみんな引いていたように思う。

こうして夢のような二次会が解散。
割り勘会計のダラダラした時間にも仁奈ちゃんは私の傍を離れないどころか、腕を掴んでまるで恋人のような状態だった。
彼女の大きな胸が腕に押し付けられる感触で夢見心地だった。
私は多分鼻の下が伸びっぱなしであったろう。

そうしていると不意に仁奈ちゃんが
「ねぇ。このままホテル行こうよ。」
と信じがたい漫画のようなセリフを耳元で囁いてくれた。

周囲ではクラスのリーダー的な存在だった井上くん(仮名)が三次会のメンバーを大声で募っていた。

「うん。じゃあ、三次会に連行されないよう、みんなに見つからないうちに逃げよう。」
極力冷静に言い放ち、即座に集団から抜け出し、誰にも声をかけることなくタクシーを捕まえた。
誰かが遠くで私達を呼び止めたが、そのまま仁奈ちゃんと二人でタクシーに乗り込みホテルへ向かった。

その後はご想像にお任せする。

社会人になってもマドンナにキスされる

就職して社会人になった。
地元を離れ、関西へ配属された。
そこで数ヶ月働いていると、同じ年の超絶美人が中途入社してくることになる。
同い年の川本たまみちゃん(仮名)である。

たまちゃんはモデル級の顔とスタイルの持ち主で、実際にビジネス系フリーペーパーで「今月のヒロイン」として取材され、出版元に問い合わせが相次いだほど。

彼女と一緒にお昼ごはんとかに出かけると、すれ違う男性陣が振り返って二度見するのを何度も目撃している。

彼女に好意はあったが、私はのちに結婚することになる彼女と付き合っており遠距離恋愛状態だったため、たまちゃんを口説くようなことはできなかった。
たまちゃんにも当然のように彼氏がいた。

それでもたまちゃんとは、時々仕事終わりで二人で飲みに行ったりして、同僚としての仲は良かった。

そんなある日、ある社員が退職することになり、送別会が開かれた。
一次会では20名ほどの社員がほぼ全員参加し、二次会はカラオケになった。たしか水曜とかで週末ではないド平日だったので、二次会は家が遠い人などは早めに帰るということで不参加となり、参加者は5〜6名だったと思う。
メンバーは所長、主役の退職者、たまちゃん、私の仲良し同期、結構怖い先輩、私。
会社に入って上司や先輩方とカラオケに行くのはこの時が初めて。
この日は最後にL'Arc~en〜CielのFlowerを熱唱させていただいた。
これにたまちゃんのハートに刺さってくれたらしく

「ライオちゃんすごい〜!めっちゃ歌上手いや〜ん!感動してちょっと涙出たわ〜。」

ということで、最寄り駅までの帰り道は、私の腕を抱えるように組んでぴったり寄り添って歩いてくれた。
その道すがら、先程の歌が本当に上手くて感動したとか、声が本当にセクシーで心に響いたとか、とにかくこんな美女にこんなに褒められるとか、都合の良いドラマでも嘘くさくて描かれないようなシチュエーションが現実となった。
アルコールの手伝いもあり、テンションが高くなったたまちゃんは、抱きかかえていた私の腕をぐいと引っ張り、頬にキスをしてくれた。

酒で酔っていたせいもあって、頭がぼーっとするような夢見心地で、視界がピンク色に染まった。
驚きを隠せず、どぎまぎしながらもヘラヘラとお礼の言葉を述べて前を向いて歩いていると、ニコニコ微笑みながら頭を私の肩に乗せるように寄り添ってくる。彼女の髪のいい匂いが鼻孔を突いて、頭がクラクラした。

さらにモテ期は続く

その後も日本のカラオケは一時のブームで終わることなく、現在も定着していることからわかるように、この数十年で新曲はネット経由でリアルタイム配信に進化を遂げ、相当マニアックな曲も多数収録されるカラオケ天国と化した。

新社会人だった先述のエピソードの後も、社内で同僚とカラオケに行くこともあった。むしろ喜んで参戦してクチだ。

そこでも素人ながらに上手いと評していただくこと多々あり、小さな頃から止むことなく歌い続けてきた甲斐があったというもの。
女性が参加していることもあり、色恋沙汰に発展した事もあった。
20代半ばで結婚していたので、詳細について多くは語らない(語れない)が、歌が全てでは無いが大きなファクターであったことは女性当人の口からも聞いたので、歌上手い=(一部の異性に)モテるの式は間違いではないらしい。

若い頃は全く行かなかった、所謂キャバクラやスナックは付き合いもあり30代以降で行くことが増えた。そういった業種でもカラオケが設置された店舗もあり、そこで歌うこともしばしば。
数回通って仲良くなった女性キャストが私の歌唱力を高く評価してくれることもあり、彼女の好きな曲をリクエストされる。
私が知っている曲ならばその場で歌い、知らない曲の場合は次回来店時までの課題曲とされ、しっかり練習してから披露するような事も。
行きつけになった飲み屋さんの中にはキャストと仲良くなってお友達関係になっている女の子達もいて、中には歌に感動して涙を流しながら聴いてくれる娘もいたり。
歌を歌うのが好きな私からすれば最高の褒め言葉よりも嬉しいリアクションである。

そしてボーカルスクールへ

女の子が私の歌を聴いて涙を流してくれたり、久々に会った同期入社で最も仲の良い友人とカラオケ行った時も思い出の曲で泣いてくれたり、自分が歌うことで人を感動させることができるんだ、と非常に高いレベルで承認欲求を満たされた。一言で表すとめちゃくちゃ気持ちいいものだ。
歌上手いね、と褒められることが快感になった。

スナックのように、他のお客さんにも歌が聞こえるようなシチュエーションだと、他のお客さんからも喝采を浴びることもあり、その場で意気投合して仲良く一緒に飲ませていただくこともあった。

そんな風に過ごしているとさらに上手くなりたい!という欲が出てきて、ついにはボーカルスクールの扉をノックすることになった。
たしか当時38歳くらい。

目標としてはカラオケでONE OK ROCKがちゃんと歌えること、と掲げロック系の指導に長けた先生が担当についてくれることになった。
初のボーカルスクールは非常に緊張したが、初回は体験入学ということで発声法を学んだ。
テレビで見たような練習だったが、どのメニューも初体験なので新鮮で面白く、体験入学を通じて俄然興味が強くなり即日入学した。

月に4回通えるチケットを購入し、自分の好きなタイミングで予約して通えるシステムだったが私は毎週土曜日に通い、コンスタントに1週間置きに声を出していた。

徐々に声帯が鍛えられ、週を追う毎に出せる音域が拡がっていくのがわかった。声帯は筋肉なので、筋トレをすればだんだん強くなっていくのだそうだ。
毎回発声練習だけだと飽きるので、先生は発声練習と課題曲歌唱練習を交互にメニュー化して教えてくださった。
歌唱練習では歌のストーリーや情感の解釈を話あったりして、どのように表現したら良いかなどの方法も教えていただき、さらに歌が好きなった。

スクールの中では毎月生徒が課題曲などを披露するライブが開催され、私も参加した。
他の生徒さん達の歌のクオリティに圧倒されることもあれば、スタッフさんの中に私のファンができたりして、それもまた楽しい体験だった。
他の生徒さんたちは若い人たちが多かったが、年齢関係なく友達になって一緒に飲みに行ったりカラオケに行ったり。当時アラフォーのオッサンと仲良くしてくれる若者たちが可愛くて仕方なかった。
そして歌が上手い子達が多かったので、カラオケは本当に感動させていただいた。
歌を歌うのも、聴くのも、本当に良いもんだな〜と実感させていただいた。

結局、私が飽きてしまうまで3年ほど通わせていただいた。
大人になってからの習い事は20代のゴルフレッスン以来だったが、本当に楽しく、また新しい世界を見せていただける貴重な体験だった。
まさしく四十の手習いであった。

さすがにONE OK ROCKの神ボーカルTakaの音域には週1程度通っただけでは届くことはなかったけれども。

ボーカルスクールに通った、と言うとよく聞かれるのが「通ったら上手くなりますか?」とご質問。
ちゃんとしたスクールでちゃんと真面目に練習に取り組めば上手くなる、と毎回回答している。
スポーツと同じでどのレベルを目指すか、にも依ると思うが練習なくして一足飛びに上手くなるなんて都合の良い話は無いのだと思う。

この先も声が出る限り、喜んでくれる人が1人でもいるなら、私は色んな所で歌い続けよう。

実は父親が昔バンドマンでボーカルを努めていたりするので、遺伝パワーも借りているのでは疑惑もあるが、その話は別の機会に。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!!

サポートしようかな?と考えていただいたそこの素敵な貴方。 本当にありがとうございます。 サポートいただいたらお返しします。 お互いのnoteを盛り上げていきましょう。