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クリスチャンになってから、考えさせられたこと。
今日は、クリスチャンになってから、考えさせられたこと、考えることを話していこうと思う。
まず、家族に理解してもらえないこと。
うちの家はノンクリスチャンで、いわゆる、無宗教の家庭で育った。
だから、親からの理解を得るのがすごく難しい。
うちの場合は、もう、大人だから自分で決めたことは、尊重したいけど、
どうして、洗礼までする必要があるのかが分からないや、
宗教に対する考えなどが分かってもらえないのが、
大好きな家族に分かってもらえない事が、辛かった。
辛いと同時に悔しかった。
自分が説明できるほど、知識がなかったことが、とても。。
ただ、涙しか出なくて言葉が出てこなかった。
でも、うちは洗礼を受けるって決めた時から、あることを決めてた。
日本に帰国したら、ちゃんとクリスチャンとして歩めるように、
今から帰国までの期間は、キリスト教について知識と在り方を学ぶ期間にした。
ある人は、言葉を使って伝道する人もいるだろうし、ある人は、行動して伝道する人もいると思う。
うちは、本当に口下手だから、行動でこれがうちが信じているものだって、
家族に伝えたいなぁって思ってる。
もう一つは、仏教との付き合い方。
多分、日本の多くの家族は、何かしら教派に入っていて、
法事であったり、お葬式が行われていると思う。
キリスト教がベースではない日本という国だからこそ、向き合わないといけない問題。
キリスト教では、偶像礼拝はしてはいけない、他の神は祀ってはいけないって
いうのが、聖書に書いてあるんだよね。
でも、仏教ってガッツリこれに当てはまってるじゃん。
だから、うちもこの問題に今だにぶつかっていて、まだ、どう向き合っていけばいいのか
定まっていないんだよね。
やっぱり、うちの家族は、家族の集いっていうのをものすごく大切にする家だから、
なかなか、言い出しにくくて、難しいなぁって思ってる。
正直、たくさんの人がこの二つの問題にぶつかって、
やはり無宗教で生きようって思う問題だと思う。
やっぱり、普通に無宗教で生きたり、家系の宗教に従って生きていけば、
直面しない問題だし、正解なんてない問題だからこそ、
沢山の人が向き合うことを諦めちゃうんだと思う。
うちが、それにまだ、立ち向かえているのは、
言葉では言い表せないものがうちの心の中にあるから。
今は、いつか、言葉を使って誰かにこの思いを伝えられる日が来ることを祈って、
過ごそうって思ってる。
もし、これを読んでいる人が、この問題に直面しているのであれば、
諦めないで欲しい。一人じゃないから。少なくとも、ここに一人いるから。
読んでくれて、ありがとう。
“なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。』(ヘブライ人への手紙12:6)
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