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あの木戸とあの家と小石の思い出

父の仕事の都合で、4歳の時に東京から北関東に引っ越した。
もう50年近く前のことだ。……「50年」という語感と実際の感覚の隔たりに驚く。

引っ越した先は木造の小さな平屋だった。
地続きに大家さんの住むさらに小さい家があった。大家さんは高齢のご夫妻で「山口さん」といったが、近所では「ご隠居さん」と呼ばれていた。
ご主人は丸い黒縁眼鏡をかけていてすらっと細身、奥さまは色白でふっくらした、女優の京塚昌子さんのような雰囲気の方だった。おふたりとも洋装でいるところは見たことがなく、きもので過ごされていた。

「ちょうどいい距離を保ちながら静かに見守っていてくれるのがありがたかった」と、母は当時を思い出して話したものだったが、実は私はかなり深く大家さんと関わっていた。

もともとインドア派というか、あまり活発に外遊びをするこどもではなかったが、朝食が済むとよく庭へ出ていた。
三輪車に乗ったり虫を見たり枝で土に穴をほったりしていたなか、なんといっても一番楽しみにしていたのは、週に一、二度、大家さんのお宅を訪ねることだった。

木戸を通って玄関の前で「おはようございます」というと、中から「はいはい」と声がして、引き戸がすーっと開く。でも、家に上がることはない。
私の目的は玄関にある「あるもの」だった。

玄関脇の棚には、いつも季節の草花がしつらえられていた。
花瓶が使われていることはなく、だいたい水盤におかれた剣山に花や枝ものが活けてある。
活けられた花のこともたぶんきれいだと思っただろうが、私が一番惹きつけられたのは、その水盤に化粧石として敷かれた色とりどりの玉石だった。

白、ピンク、茶色、黒など角が取れた丸い石は宝石のように見えた。
同じ白でも、透き通るような乳白色のつるっとしたもの、真っ白でざらっとしたものなどいろいろある。
ミルクチョコレートのように見える茶色の石もお気に入りだったし、あいだに白い層が入った黒いものなどは、とんでもなく価値のあるものに思えた。

いま考えれば大変迷惑なことだと思うが、私はその玉石を、行くたびにひとつずついただいていた。
奥さまが一緒に選んでくれることもあって、「その石を勧める理由」を聞くと、それまでは興味がなかったような石も「いいもの」に見えたりした。

子供心にこのご夫妻のことを「信頼できる人たち」と考えていたのだと思う。
いつも快く迎えてくれたが、取り立てて歓迎されるふうでもなく、ご夫婦ともにごく自然に接してくれた。

一方で、苦手と感じる大人もいた。
ともすると、「こども好き」という人にかぎって、実は自分中心になりがちで、つまりは自分の「かわいがりたい」気持ちを優先していたり、またこちらの気持ちを必要以上に汲み取ろうと踏み込んできたりしがちだ。それを快く感じなかったということなのだろうと思う。(面倒くさいこどもだなと思うが、今でもその傾向がある。笑)

人生の早い段階で接した身内以外の大人が山口さんだったことは幸運だった。
それから私たち家族は近くの町に引っ越し、山口さんとは年賀状だけのおつきあいになり、しばらくしておふたりとも鬼籍に入られたことを知った。

あの木戸とあの家はまだ残っているだろうか、と今でもたまに思い出すことがある。

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