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九死一生で目が覚め、そして「修行」へ…。下積み時代も波乱万丈

 
九死一生で目が覚め、そして「修行」へ…。下積み時代も波乱万丈
 
シオノギを退職し、起業準備のために僕が門戸を叩いたのは『株式会社ゲイン』。
愛知・岐阜・三重のグッドローカルマガジン『KELLy』を筆頭に、さまざまな自社メディアを展開している名古屋の出版社です。

もちろんこれは近い将来、起業することを前提とした転職でした。
そのはずだったのですが…。

いざゲインで営業として働いてみたら、これが思った以上に楽しくて。
起業へのたぎる情熱はどこへやら、「これが天職かも?」と感じてしまうほど、出版、ひいてはメディアで働くことそのものにのめり込んでいってしまったのです。

ワクワクを創造する編集力に魅せられ、たくさんの学びを得たゲイン時代
 
僕がゲインで最も学びたかったこと。
それは、情報がどのように加工され、どのように世の中に発信されているのか?でした。

もっと言うと、情報があふれる現代において、いかに「編集」することで、読者に更なるワクワクや感動を提供しているのか?この部分を学びたいと考えていました。

また僕の前職・MRの場合、既存の商品(新薬など)を売ることしかできませんが、出版、もといゲインには、『KELLy』という自社メディアはあれど、商品(記事や広告)に「これ」といった明確なものはありません。

自由に内容を考え、アイデア次第でさまざまな企画を商品にして売ることができるため、その発想や企画の作り方なども勉強できたらな…と思っていました。

こんな感じで血気盛んに、ゲインでめちゃくちゃ吸収して起業への足掛かりにしようと決めていた僕は、入社早々から朝は誰よりも早く出社し、夜は誰よりも遅く退社。

2年目になると通勤にかかる往復3時間すら惜しくなり、職場近くのホテルに泊まることで睡眠と勤務時間を確保。土日もよく出勤していました。

貪欲に「学んでやる」と意気込んでいたこともありますが、ゲインには本当にたくさんの学びや気付きがありました。

例えば、企画の作り方。

「来月号が雑貨屋特集だから、インテリアの広告企画を打ってインテリアショップに営業をかけよう」といった雑誌と絡める手法のほか、連載企画、セミナーやスクール開催の提案など、さまざまな角度から広告主にアプローチしていく視点がとても勉強になりました。

また、編集との連携についても大きな気付きがありました。

雑誌には「編集タイアップ広告」といって、編集者が一緒になって制作していくスタイルの広告があります。

広告主の依頼に対して、編集者と一緒に情報を整理しながらコンテンツ(広告)を制作していくのですが、「こんな切り口で訴求すると、こんな魅力的な情報になるんだ」と驚かされることが多かったのです。

「お客さん(広告主)の思いをどう形にするのか?どうやって魅せるのか?」
この部分を作り込む大切さを実感しました。

ちなみに転職先は当初、広告代理店を目指していたため、出版社であるゲインで起業に関連するどんな学びを得られるのか…。最初は正直、手探りな部分がありました。

しかし、いざ飛び込んでみたら、自分が思い描いていた「人々が幸せになれる情報発信=世の中には楽しいことがたくさんある!」の実現方法を考える上で、ゲインほど恰好の場所はなかったと確信。
世の中の情報をもとにゼロからワクワクを創造していく、『KELLy』というメディア作りに携われたことは、何ものにも代えがたい経験だったと今でも思います。

営業がかかわる業務領域も幅広く(事務作業のほか、パンフレットやノベルティの制作、取材ロケハンや撮影立ち合い、時には広告のちょっとしたコピーやライティングも担当しました)、「こんなにトータルで学ばせてもらえる環境、ほかにはない!」と、心底ゲインでよかったと感じたものです。

さらに、職場環境も魅力的だったんですよね。
みんなとにかく“がむしゃら”で、それでいて楽しく働いている感じが素敵だったし、仕事自体もクリエイティブで刺激的。
仲間思いの先輩、厳しくも期待してくれる上司など人にも恵まれ、「働くのってこんなに楽しいことなんだ」と毎日が充実していました。

いろいろなレセプションや映画の試写会(受付係として)に行けたり、イベントなどで芸能人と会えることもあったり(さらにはちょっとモテたり)、とにかく居心地がよかったので、

「これもありかな」

なんて、現状に満足し、流されそうになっていました。

そんなときです。

生死を、人生を左右する、決定的な出来事が僕の身に降りかかったのです。

人はいつ死ぬかわからない。だからこのまま、この場所にいてはいけない
 
あれは深夜、友人との会合を終えて一人で運転しながら帰宅中のときでした。
少しお腹が空いた僕は、「ちょっとラーメンでも食べようかな」と、岐阜県庁近くのお店に入ろうとしました。

するとそのとき、いきなり後ろから、ものすごい勢いで「ドンッ!」と追突され、僕が乗っていた車はグルンッと横転しました。

混乱しながら車の中で放心状態でしたが、見物人に引き上げられ車外へ。
そこには後部をえぐられ、白煙をあげ続ける僕の車がありました。
…どれほどの時間が経ったでしょう。
意識はありましたが、体の震えは止まらぬまま。気付けば僕は、現場に駆け付けた救急車に乗せられていました。

病院での診断結果は軽傷で、少量の口内出血とむち打ち、膝を打撲した程度でした。
しかし、現場検証を担当した警察官のこの一言に、僕の背筋は凍りつきました。

「もし後ろに乗っていたり、普通車じゃなくて軽自動車だったら、おそらく命を落としていたよ」

………

思えば僕は高校時代から、【生きることと死ぬこと】について、よく考えていました。

そしてたどり着いた死生観が、「人間、いつ死ぬかわからないんだから、好きなことをやろう」というもの。
この信念のもと、これまで生きてきたつもりでした。

でも、違った。
現実には死を「まだ先のこと」と思い込み、向き合えていない今の自分に気付いたのです。

このときの僕は、出版営業という仕事にも慣れ、売上目標も達成。
クリエイティブ業務にも邁進し、水を得た魚のように「ゲイン」で働くことを楽しんでいました。

その矢先に、この事故です。

「死は僕の身近にある」
「本当に、いつ死ぬかはわからない」

九死に一生を得たことで、忘れかけていた情熱が再び沸き起こるのを感じました。

「ゆっくりしている場合じゃない」
「起業に向けて、今すぐ動き出すべきだ」

錆びつきかけていた【起業】というスイッチが入った瞬間であり、ゲイン退職を決意した瞬間でもありました。

まさかの「今じゃない」発言。起業を保留にされた僕が目指した次なる場所
 
名残惜しい気持ちはありつつも、転職から2年後、ゲインを退職。
 
「よし、起業するぞ!」と燃えに燃えていた僕とは正反対に、これまで熱く語り合い、起業目指してビジョンを共有してきた旧友はなぜか「どこ吹く風」。
 
ビジネスパートナーになるはずの彼がずっとふわふわ、モラトリアムな感じだったので、単刀直入、
 
「起業しないの?」と聞いてみたところ
「今じゃない」と一言。
 
実はこの旧友、そもそも僕がゲイン退職の意を伝えたとき、「いやいや、あと一年くらい勤めてみたら?」「もう一社くらい挟んでもいいんじゃない?」と、起業を先延ばしにしようとしてきたんですよね。
このため「本当に起業できるのかな?」という不安は退職前からありました。
 
でもだからといって、彼が提案するいずれの選択も、当時の僕にとってはあり得なかったことはわかっていただけると思います。
 
とはいえ旧友の返答により、身動きがとれなくなったことは事実。
 
「これからどうしよう…」と頭を悩ませた僕は、ゲイン時代に感じた「気がかり」を払拭するべく、少々(かなり?)突飛な行動に出たのでした。
 
******
 
突飛な行動について語る前に、その背景について少し説明させてください。
 
僕はゲインで働く中で、紙メディアにはどうしても克服できない弱点があることに気付きました。
 
それは、【時差】。
 
例えば11月開催のイベントを紙メディアで告知する場合、制作スケジュールの関係上、9月ごろまでに確定している情報でPR内容を決めなければなりません。
イベント直前に決まる最新情報など、リアルタイムな発信には向いていないんですよね。
 
また営業としての立場から「出版不況」を痛感し、「今後、出版の広告営業だけで食べていくのは厳しいだろう」とも感じていました。
 
そんなモヤモヤとした気持ちを抱きながらゲインを退職後、縁あってWeb制作会社の経営者とお話する機会を得たのですが…。
 
ここでの気付きが、次に進むべき方向性を指し示してくれたのです。
 
「これからはWebだ」と。
 
正確には「Webメディアのスピード感・自由度の高さと、紙メディアのクオリティの高さ、この両方を組み合わせたらスゴいことができる」と、浅はかながらも、胸が高鳴りました。
 
「起業後、Webの知識は必ず役に立つ」と感じた僕が、次に起こした「突飛な行動」…。
 
もちろん、転職ではありません。
 
あえて言葉をつけるのならば、それは「修行」でした。
 
To be continued…

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