宮下浩司

株式会社LinkStoryの代表取締役。 ビジュアル系バンドraison d'…

宮下浩司

株式会社LinkStoryの代表取締役。 ビジュアル系バンドraison d'être(レゾンデートル)のボーカル。

最近の記事

修行で知識・技術を習得するも、自信は皆無。しかし賽は投げられた

九死に一生を得た大事故によって目を覚まし、それなりに満足していた日々から大きく飛び出す=起業する人生へと舵を切るべく、ゲインを退職。 意気揚々と旧友に起業を持ち掛けるも…見事に出鼻をくじかれた僕。 まずは、地元のプログラム教室でコーディングの勉強をして何か仕事につながればと思っていました。ただ、勉強しているだけでは駄目だと感じ、Web制作会社に応募するも、「営業はどう?エンジニアよりそっちをやってよ」という感じでなかなか難しい。 その後、名古屋のWeb制作会社の『オフィ

    • 九死一生で目が覚め、そして「修行」へ…。下積み時代も波乱万丈

      九死一生で目が覚め、そして「修行」へ…。下積み時代も波乱万丈 シオノギを退職し、起業準備のために僕が門戸を叩いたのは『株式会社ゲイン』。 愛知・岐阜・三重のグッドローカルマガジン『KELLy』を筆頭に、さまざまな自社メディアを展開している名古屋の出版社です。 もちろんこれは近い将来、起業することを前提とした転職でした。 そのはずだったのですが…。 いざゲインで営業として働いてみたら、これが思った以上に楽しくて。 起業へのたぎる情熱はどこへやら、「これが天職かも?」

      • 「本当に起業できるのか?」のしかかる重圧を吹っ飛ばした一通のメール

        この先の人生に「起業」という活路を見出しながらも、「本当にシオノギを辞めていいのか?」と悩み続けた僕ですが、ある一通のショートメールをきっかけに起業を決断! …と、前回は起業を決意するまでをサラリとまとめましたが、現実にはそんな簡単に気持ちを切り替えられたワケはなく。 「起業して成功するんだ」と本気の覚悟が決まるまでには、想像を絶する【心の葛藤】がありました(それはもう吐きそうなくらい悶々・鬱々としていました)。 とはいえ、これは僕が「起業」というキーワードに出会って約

        • 合コンや精神病院で僕が考えたこと【シオノギ退職を意識するまで】

          MRとしての会社員ライフ、最初は満足していたんです。 入社して2年目までは…。 ***** 同志社大学を卒業後、僕が入社したのは『塩野義製薬株式会社』。 言わずと知れた有名企業で、僕にとっては第一志望でもありました。 しかも当時は就職氷河期。 やむことのない「不採用通知」の嵐に、「就活なんて余裕っしょ」と思っていた僕はがく然としたものです(大げさではなく、エントリーした100社中95社に採用を見送られました)。 苦渋を味わいながら、それでも「1社落ちたら2社受ける」「

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          はじめに。僕の胸に潜む、目標という名の「情熱」のひとかけ

          こんにちは。LinkStory代表の宮下浩司です。 まずは僕に興味を持っていただき、ありがとうございます! おそらくこれを読んでいる99%の方が「はじめまして」だと思うので、まず簡単に自己紹介させてください。 僕は大学を卒業後、『塩野義製薬株式会社』にMRとして入社しました。 みなさんご存知、あの「シオノギ」です。 最近だと、新型コロナの飲み薬実用化に向けた取り組みが話題になりました。 ちなみに1964年スタートの音楽長寿番組『ミュージックフェア』の冠スポンサーを務めてい

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