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12年前の『回想録』もっとも大変な時の記録と、這い上がって立て直していく時の在り方

2022/3/11

12年前の回想録が出てきた。

はじまりの文章  
2015  2月5日 『回想録』

回想録なので、それを実際に体験したのはさらにもっとずっと前だ 
ボロ雑巾みたいになっていた時から比べて、おそらく18年くらい年数経っているので
もうすっごくまともになってるし、すっごく立て直してきた。
這いつくばって、這い上がってきた、地を這う虫みたいな感覚の自分から
ずっとずっと、努力と自制と矯正とちょっと変わった使命感で、どっかきっと使命で
もしかして誘導でさ 仕事も頑張ってきたし、仕事できないときもあったし
何もできない時もあった。
とうとうここまできたよ、自分

昔の話をしよう


不思議な体験をした。当時のことは今でも伝えきれないと思います
2015年 2月5日に書いた回想録
何か心療内科系の体験記を書く副業?なんだったか忘れたけどのために書いたんです。

にわかに信じられないとおもうのですが、信じなくてもいいのすが書いておきますね。
もうずっと前15年くらい前からスピリチュアル界ではアセンションってキーワードがあります。
もうずっと前で、忘れてしまったくらい前の時に
わたしは、とある黒歴史のいまはもう古傷の後半戦にいました(どんなのだったかとかいいたくない、なんせとにかく嫌な痛い思い出だから)

同時系列でアセンションというキーワードをわたしが知るようになり
ある時に、年末にクリスマスイブを超えた頃に
アセンションするという感情、使命感になんかとりつかれ
地球丸ごとアセンション!って想いに集中して、3日間の間
飲まず食わず寝ずみたいになった(同時に走っていた背景は割愛します)

その3日間のことは、結構怖い体験もしたので詳しくは書かない
たぶん書けない。
今となっては、どこまで真実だったかは検証できないし
ただ、言えるのは、わたしは、わたしの中ではそれは起きていたし
その時系列その時を体験していたってと、真偽不明なので
読み物的に回想録として置いておきます。
読んでくださった方にとって、何か良いきっかけになってくれたらという心持ちでおいておきますね。

かいつまんでいうと、スピリチュアル界でいうアセンション!
地球まるごとアセンションしなくては、なイメージに過集中して3日間彷徨って
大変な感じになって、ぶっ飛んでしまって
おそらく静養と回復のために精神病院にぶち込まれた
救急搬送でって感じです

以下 2015年2月5日に書いた回想録です
少しだけ加筆修正してますが、微々たるものです

________________

はじまりの文章  
2015  2月5日 『回想録』

不思議な体験をした。
いまはすっかり元気になって、普通の暮らしができるようにまで回復し、当時を振り返り回想録を記する勇気もでた。笑えないことを笑えるまでになってきた、その道のりで気づいたこと。元気ないまだから言えること、そして元気な方々は、どうかその暮らしと健康を維持して、自分の生活がどれほど恵まれているか、日々の生活をより充実と楽しみをもって暮らせるきっかけみたいになれたらいいな…そう思って記録しておきます。あくまでも個人の体験と主観と感想です。過去5年で2回の入院をしていますが、病院によって差はあると思います。ご了承ください。皆様がご多幸大き生活であり続けられますように願いをこめて
実際の心療内科や精神病院の入院生活がどのような体験か、なんて知らないほうがほんとうはいいのだと思います。
だけど、いまはもうすっかり元気になって、普通に生活できるようになったいまだからこそ、言えることがあると思い筆をとりました
いまだから、すこしだけなら言えることなのです。当時の事を思うと普通の暮らしのありがたさを感じずにはいられなくなります。
わたしは過去5年の中で2回の入院生活をしました。おそろしく笑えない経験をして、もうくり返したくはないので経緯は割愛です。
あの頃のわたし、5年前で1回目の入院をしました。医療保護・・強制入院です。
憔悴しきってました…たぶん生死の一歩手前ぐらいまで、いや
おそらく一瞬だけ死んですぐ戻ってきた、そんな気がします
意識がすうっと遠のいていくのを感じました
そして1人でいたけど遠のく意識の中で、母がわたしの名を呼び
お茶わん洗ってっていう声が聞こえて、意識が戻ってっきたのです。

数日たってあと自分の顔を見ると、三途の川をさまよって憔悴していたような顔でした。救急車で運ばれたんです。誤解のないようにですが、自○未遂とかではないです。入院時の記憶はあいまいで、気づいたら閉鎖病棟に中にいました。
。もちろん外出不可、自由に歩けるのは各病室にはさまれた廊下のみ、わずかな通路だけです。
ほんの病室と廊下をあわせたスペースとテレビのあるわずかな空間のみが、自分だけで自由に歩けるスペースでした。
どれくらいのイメージかは、病院にお見舞いにいった際の病棟のイメージ。ほんとうに狭い移動範囲でした。
まさかの状態に愕然、院内は各病棟に分かれていて、病院の中の他の場所のも自由にいけないほどでした。
まさに堀の中です。廊下と自分のいるベッドまでを歩くことしかできずにし1週間ほど過ごしました。
そのうち、院内散歩30分OKという権利が与えられ、病院の中なら30分以内で散歩してよくなりました。
その時の涼しい空気と院内の廊下の新鮮さを思い出します。
もう二度と戻りたくない、と本気で思います。院内散歩も時間オーバーせず、おとなしくしてれば徐々にステップアップできると他の人から聞き、次のステップへの道を願うのでした。
おとなしくまじめに過ごして、回診の際には最近調子がよいとアピールするおだよっと教えてもらいます。
頃合いおみて先生にお願いして、次は外出許可をもらう。そして外泊して、退院する。これが皆の夢でした。

当時のわたしは、自由のきかない体で必死にノートに「次は外出の許可を得る!」って、目標とアクションを書いていました。
字も薬の副作用で、たどたどしいけど、必死に自分の希望を書いていました。
振り返れば、いまでも共通項はあると思います。自分はこうなりたい…そして次のステップへのアクションを起こす。
周りの人からアドバイスをうける、自分でも考えて実行する。叶って、次のステップを願う…その繰り返しでしょう。
5年後のすっかり健康になったいま、当時の100倍はよくなった…あらゆる面において。いまでも、あの頃を思い出すと、
いまの現状にも何もかも、感謝できる。たとえ、やや思い通りにいかない状態でも、こうしてみると感謝できるのです。
なんでもできる気さえします。むしろ、まだまだやれる。
普通の暮らしに甘えず、やれることはなんでもしていけるんだ…と思い起こされます。たとえいまできなくても、
希望をもって、一歩づつステージを上がって叶えていけばいいではありませんか。入院してた頃は、あまりに切実で
次はっこうなりたい!という夢と願いしか見えなかった。
いまこうして読んでだくださっている方も、きっと十分素晴らしく、過去のつらさもしんどさも乗り越えてきてらっしゃると思います。
その自分の力を信じて、信頼して褒めてあげてください。いま乗り越え中の方は、いつかきっと乗り越えられます。
だから、こうなりたいって希望をもち前向きに…です。
ここまで、悲壮感たっぷりな過去のわたしが、いまこうしてすっかり普通に暮らせているのだから。
どうか自由な生活を楽しんでください。いま日々や周りの人に感謝をこめて、多少のままならさにも、とりあえずの敬意と感謝をこめて…きっといづれ、いづれ素敵になることを願い、愛をこめて。
__________

実際の入院生活はいたってシンプルで、
朝起きて、顔を洗って歯を磨き、朝食を待つ。
そんな感じではじまります。
昼食と夕食、そして服薬。消灯時間になって就寝です。
他の患者さんと話したり、テレビをみたりお菓子を
食べたり、読書して過ごしました。

患者さん同士の会話や読書以外は何にもないに等しいから、やっぱり食べることが楽しみで、お菓子をぽりぽり食べること、それが小さな楽しみで、ちょっとした癒しでした。
おかげで、入院してた頃は太ってました。

初めの頃は、自分で買い物も許されずに、看護婦さんに買物リストを渡して売店に行ってもらうのです。
そのうち許可がでるのですが、はじめはそんなところから始まったのでした。

普通病棟と違い閉鎖病棟では、家族や誰かの付き添いがないと外出もできず、閉塞感からの自由を求めドクターや看護婦さんに外出の申請をします。

入院患者さんたちにとって、外出できることはある種のステータスで、外出から戻ってきた人は明るい顔をしています。
中にいる人たちは、やや うらやましげにそれを眺めます。

外出できたときはつかの間のリフレッユ、自由です。
その間に、欲しかった買い物をしたり、気がかりな用事を片付けます。ご飯もそのときは自由に食べていいのです。

待ちにまった初めての外出で、素敵な喫茶店で飲んだ、おとした珈琲の美味しさったらなかったな。

そこで、外にでれた安堵と、今後退院するまでの道のりを思いと願いを新たにするおでした。ようやく外出できたけど、退院するまでの道のりはまだはじまったばかりと…そう案じたのです。

_____________

忘れられない景色がある。朝の5時、すでに皆が起き始める。正確にいうと、自分が朝5時に目覚めると、もうすでに仲のよい女の子が起きてコーヒーを飲んでいる。暗いホールで肩にバスタオルをひっかけて、マグカップを持っている。まだほの暗いホール、電気をつけてもいけない時間、いや・・自分で電気をつけることができない。彼女の姿をみて、わたしもコーヒーを飲むことにする。。いつものマグカップ、インスタントコーヒー お湯を入れて口に含む。そうこうしているうちに、もう1人が集まる・・・暗いちょっとしたスペースに、3人集まって、皆でコーヒーを飲みだす。誰も何も言わず言葉少なに、それぞれのマグカップを口にする。そうして朝の起床時間までを過ごす。その風景の中にいたわたしの思ったこと・・人は、たとえどんな時でも、人らしくあろうとするのでしょう。どのような表現が適切かはわからないけど、むしろ、どんな時でも、らしく・・こんな表現は不適切かもしれないけど、最期の一服や、最期の晩餐だとか・・小さな、贅沢のような人の大げさだけど尊厳みたいな、そんなことを感じました。朝、まだ薄暗い早朝・・そう、人はいつでも、どんなときでも 人らしく過ごさねば、時にやり過ごさねばならんのです。そう、きっとどんな時もです。こんな風に自分と環境につきあって、どんな場所でもその中で華麗に過ごしてやらねばならないのでしょう。

あけない夜はない、ベッドで寝れない夜を憂いでいた夜も、必ず明ける。

どんな時も、希望と願いのきぼうを保っていけばいい。
長く、遠い道のりだった入院生活は、ようやく終わりを迎えた。

しばられていたと思ったけど、ほんとうは病院に守られていたのだと、退院した直後に感じた。

今日から自由や!となって、さて
いままでしばっていたものがなくなり、目標を達成して
妙な、寂寥感と心もとなさを感じました。
糸のきれた風船みたいな変な心境でした

数年が経って、もうそんな気分は吹っ飛んだけど
たしかに謳歌してるけど、いまに感謝しつつ
でも現状に甘んじないで、やはり願いや希望をもって
こうなりたいをすっかり形に変えていきたいと、
そう思います。

これまでの道のりを回想して、いまだから思うことは
ネガティヴに意識を集中しない。
ネガティヴなことを話しぎない、考えない。
話したときはポジティブに変換することだと思います。協力してくれた人には感謝をこめて、お礼をいう。
家族やサポーターを大事にすることだと思います。
いまもってるものに感謝をしながら、望んだ未来を形に変えていく。
いま、自分のもっているリソースを最大限にいかして、また次の願いに繋げていくこと。
明るいポジティブなマインドで過ごし、かつ感謝と愛をもち暮らしていくことがいまのわたしの気づきです。

この記事もまた、こんな頃もあったと笑えるようにありたいのです。
自らの素直な願いを形にすべく…また、ここまで乗り越えてきた自分もたまには褒めてあげましょう。
見守ってくれ、導いてくれた様々に感謝をこめて、筆をおきます
読んでいただき、ありがとうございます。

皆さまの前途が、益々素晴らしくご多幸多き暮らしとなりますいうに願いをこめて。

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