飽きる

ボクは飽き性だと思う。
興味関心や活動において一つのことが長続きしない。
取り巻く環境はそれを促進する。
多様な情報を容易に得られる環境に加え、望まぬも経済や政治的な思惑で流れくる情報過多環境。
そして実際に多様な選択ができる平均的な「豊かさ」環境に恵まれてきた。
そんな環境にも要因はあるっちゃあるんだけど、個人の特性として「飽き性」傾向ってやっぱりあるんやないかいな。という今回の話。


飽き症の特徴

「飽き性」について書かれた心理学やビジネス書には、いくつかの特性や行動傾向について挙げられている。
ポジティブなキーワードを抜粋すると
①新しい情報に敏感、流行に敏感
②好奇心旺盛
③チャレンジ精神旺盛
④行動力がある。フットワークが軽い。
⑤器用貧乏、広くそつなくこなす。
⑥強い責任感をもたない。

自分について、ちょいと個別性

飽き症の特性を全般的に捉えると「刺激を求める」との記載が多い。
僕も好奇心は持っていると思うのだが、
気分によっては新しい情報を入れること(音楽鑑賞や読書)でさえ苦痛な時もある。刺激や変化を自らは求めない。世は望まぬ刺激に溢れている。外部情報の選択的注意のチカラが弱い。音源に優劣なく拾ってしまう。どちらかと言えば感覚過敏なので就労生活においては望まぬ刺激を避けるには?が目下(もっか)のテーマだ。
パート職員さんのおしゃべりの声やとなりの席のA君のパソコンのキーを叩く音で気が滅入ってしまう。
プライベートでも視覚情報が選べない。車の運転中、車外の風景(飲食店などの開店、閉店や看板・新商品や期間限定のぼり旗)の変化や、通りすぎるヒトの姿が視野に入り込み、気になり、思考が巡るそれらについての話題を助手席の妻に話すと、運転に集中するよう注意されることがある。(HSS型HSP)

好奇心旺盛か?

興味の対象が目まぐるしく変わる。TVを観ていても読書をしていても誰かと会話して過ごしていても思考連鎖が激しく興味、関心、疑問の対象が変わる。頭の中は今、起きた事に対してとは異なる思考にうつっている。風が吹いて桶屋が儲かったら、風がふとやんだ時、桶屋の生活はどうなるのか?と思考が始まる。

チャレンジ精神は旺盛か?

チャレンジ精神は旺盛ではない。現状維持バイアスが張りめぐらされる。ただ頭

行動力は高いか?フットワークは軽いか?自分のことになるとフットワークは軽くない。どちらかというと行動までが慎重。石橋は叩いて壊れたらアカンので、非破壊検査業者に頼みたい。併せて非常に億劫。腰が重い。
それでも仕事では過敏なセンサーが反応し多動のスイッチを押すシステムが作動。億劫を押しのけて、動きながら考え、考えはまとまらないまま走り回っている。

器用貧乏か?

専門職にしては現在の職業に関する知識だけでなく、様々な職業を経験し、趣味や興味が浅いが広くもっているつもりでいる。
ボクがソーシャルワークに関わった頃から変わらず、異業種など多様なヒトと人とのつなぎ方(LINK、ネットワーキング)を模索しているのは歩んできた「飽き性」人生が背景にあると思う。

飽き性も悪くない。(転々職→)

ボクは相談屋(ソーシャルワーカー、相談支援専門員、精神保健福祉士)としてはスペシャリストにはなれない。でも飽き性も現在の職業においては、ストレングス、つよみだと思う。
ボクはゼネラリスト。イキルに関わるソーシャルワーカー向きだと思っている。
プロフェショナルとしてヒトと社会の何を活かし、何につなぎ、何を創るか、何を大切に守りつづけるのか?を追究し、ぶれずに揺れる(揺らし揺らされる)オールラウンダーでありたい。

強い責任感を持っていない。か?

否定語で来たか。
でも、そうなのだと思う。転職回数からみても弁解の余地なし。
ヒトとの信頼をベースに仕事をしてきたのに、ヒトの信頼を裏切ってきた。
後悔?いいえ、今に「活きる」ことにします。

恋愛においては?

概ね…同。(語ると長くなるんでね💦)
これは、飽き性の個別性?か成就せぬ恋ほど、あきもせずくよくよと思いは後をひき、俄か芸術家を生んだりします。

で、ちなみにボクは妻帯者です…

あきまへんなあ。(どう言う、意meaning?)