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心エコー検査に行きました。

半年ぶりに心エコー検査を受けに行った。

上半身の衣類を脱いで検査台に寝そべる。Dr.の指示に従って腰を無理くりひねった体勢を保つのに腹筋ぴくぴくさせるのも限界を感じた頃、はい終わりとDr.に告げられた。

服を着てください。
服を着てDrに対面したくるくる椅子に座る。
指し示される画像を観ながらDrの説明を受けた。
「特に悪くは、なっていない」

三尖弁と僧帽弁の閉鎖不全。心臓が送り出すべきものが弁が閉じないので逆流し漏れモレなのである。実に非効率なポンプ性能だ。

良くなるものでもないらしく、酷くなったら手術するとのことなので検査を受け続けている。Drから次回いつ頃来るようにとは、言われなくなっているが、一応当初から半年を目途にクリニックに電話し「ずーっと予約いっぱいなんですよねぇ。どうします?」とメンドクサそうに話すクリニックスタッフにイライラしながら予約する事を繰り返している。

Drが前回よりは詳しく前々回と同様のインターネットでもちょちょっとしらべれば分かるような説明をなぞるように話す(ぐらい状態は変わらないのだろう)のを聞きながら、思うことがあった。

ボクはイライラしてる。Drはボクの望むこととズレた言動をするからだ。ボクは今のシンドサをどうにかしたくてココに来たのに、今の心臓の絵面を見せられ講義を受けている。。日頃、何を気をつけて過ごせば良いか尋ねると「無理な運動はしないようにぐらいかな」と答えがある。「無理」が分からない。ボクの日頃を訊かぬ、知らぬものに「無理」の例を語れるわけもないだろうが、横に立っていたスタッフの様子からボクの持ち時間があまりないようなので伝えあいを控えた。

こうも思った。
ボクがDrに求めていることが、そもそもズレている。

このDrはボクのココロを観ているのではなく、心臓を診ている。Drはあくまで身体の局所的な部位の状態や機能が通常通りであるかを確認している。または前回と変化がないか、しかるべき処置を必要とするかの判断「診断」をしている。併せて患者に説明まで行い、医師に求めれられている責務を完遂している。
以上。

Drが「何も変わりないでしょ?」とボクに尋ねた。

Drは検査をし、「変わりはない」と言う診断を下し、変わりないでしょ?と患者に伝えた。「ハイ」以外の答えは予測しないのだろう。

実際、変わりはないと言えば、ない。変わらず、胸痛や背の肩甲骨下あたりの痛み、酸欠感と生あくび、睡眠時の中途覚醒、抗えないだるさ、疲れやすさ。動悸や心拍動の激しい上下、熱のこもりやすさ、手足末端の冷えやすさ、忘れたころにくる左側の痺れなど、ある。

ボクはDrの見立てに異を唱えるように、あいかわらず疲れやすいことと、心拍数が上下しやすいこと、、たま~に左腕に痺れがあることをピックアップして伝えた。
Dr.「それは関係ないよね。」と。

それとはどれ?じゃあどんな推理ができる?ドクターG。

ボクはイライラしながらも、「そうなんですねぇ~。」と返す。訊きたいことを尋ねもしない。

さて、「変わりない」と告げられている。併せて、次回の検査は1年後で良いと伝えられた。
素直に 一安心。

一連のイライラはボクのセンシティブな精神状態に起因し、Drは「心配性の患者」のココロを観て、その対応として淡々とボクに関わっているのだろう。。。多分。

とセカンドオピニオンと言う選択を思いとどまった。

ただ、ボクは反面教師と言う言葉を知っているのだ。