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儒林外史 第一章 序にかえて (2)

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王冕がぼんやりそう考えていると、遠くの方から、大男が肩におかもちをかついで近づいてくるのが見えた。もう片方の手には酒瓶を下げている。おかもちの上にはフェルトの敷物がかかっている。柳の下までやってくると、敷物を広げ、おかもちを開いた。さらに、学者帽をかぶり、きれいな直綴を着た3人の男たちがやってきた。1人は紗の入ったサファイヤ色の直綴、あとの2人は墨色の直綴を着ている。みな四、五十代のように見えた。手には白い紙で張った扇を揺らし、ゆっくりと歩いてくる。サファイヤの太っちょが樹の下まで来ると、墨色のヒゲに上座を、もう一方のやせっぽちに対面の席を勧めた。どうやらサファイヤが2人をもてなすらしい。2人に酒を注ぎ始めた。

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食事が始まると、サファイヤの太っちょが口を開いた。
「危先生がここに戻っていらしましたね。都の鐘楼街にお持ちのお宅より、さらに大きなお住まいをお買いになったそうで、銀貨2000両のねうちがあるそうですよ。ほかでもない危先生がお買いになれば自慢になると、家の持ち主は何十両かまけて売ったそうです。先月の10日に引っ越されてきて、県知事なんかもみなお祝いに来たんです。引っ越し祝いは夜中まで続いて、通りの住民も喜んだそうですよ。」
やせっぽちが言う。
「県知事さまといえば、壬午の年の挙人(地方試験合格者)で、危先生の門下生でしたね。当然、お祝いには駆けつけるでしょう。」
ふとっちょが言う。
「うちの婿も危先生の門下生でしてね。いま河南のほうで県知事をやってるんです。つい先日うちに寄って鹿の脚を2斤置いてったんですが、この皿がその鹿肉ですよ。河南に戻ったら、私が危先生にお目にかかれるよう実家から手紙を出してくれるって言うから、そのうちこの村にも先生をご招待しましょう。そしたら村の連中はたまげて、もう豚やらロバやらで我々の畑を荒らすような真似はできなくなるでしょうなあ。」
やせっぽちが言う。
「とはいえ、危先生は権力というより、ただの学者さんでしょう。」
ふとっちょが言う。
「それが、聞いた話ですがね。先生が都を出発なさるとき、なんと皇帝陛下自ら、城門のところまでお見送りをされたというんですよ。先生の手をお取りになって何十歩か一緒に歩いて、陛下に三度、もったいないので宮殿にお戻りくださいとお願いして、ようやく陛下はみこしに戻ったというのですね。これは危先生が官僚に取り立てられる前触れだとは思いませんか。」
3人はああでもない、こうでもないと、いつまでも話していた。

空が暗くなってきたのを見て、王冕は牛を引いて帰ることにした。

このときから、集めたお金は本を買うのではなく、人に頼んで町で臙脂や鉛粉の類いを買ってもらい、蓮の花を描くのに使い始めた。はじめはちっともうまくいかなかったが、描き始めて3ヶ月も経つと、蓮の花のいきいきとした様子や色は、紙さえなければ本物かと見紛うほどになった。まるで湖から摘んできたものを、紙の上に貼ったようであった。噂を聞いて絵を買ってくれる村人もいて、王冕は得たお金で母に雑貨を買う孝行ができ、うれしかった。あれよあれよと噂は広まり、諸暨県の一帯で、没骨画法の花卉画の名匠としてよく知られるようになり、絵はすぐ売り切れるようになった。17,8歳の頃になると、秦さんの家で手伝いをするのはやめ、毎日何枚か絵を描き、古人の詩文を研究するようになった。日に日に暮らし向きはよくなり、母親は心底喜んだ。

王冕は聡明で、弱冠二十歳に満たないのに、天文といい地理といい、およそ大学問といえるもので通じていないものは一つとしてなかった。しかし彼の性格といえば、地位にも名誉にも興味がなく、会う友達もほとんどいない。日がな一日引きこもって本を読み、楚の図鑑で見た古人の衣服を真似した服を自分で作り、花が咲き風景の美しい時期になると、母を牛車に乗せ、ひょろっとした帽子とだぶだぶの服を着て、上機嫌で鞭を振り振り、鼻歌を歌いながらでかけた。湖のほとりや村を通ると、その奇妙な様子に子供たちが指を指して笑うが、彼は一向に気にしなかった。

第一章 序にかえて (3)

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