ライターは「書くのが好き」じゃなきゃいけないのか
「書くのが好き」って人、時おりいるけれど、あまりしっくりこないなあと思っている。
ライターという仕事上書くことは多いけど「好きか」と問われると「ハイ!」と即答できない。ちょうどこの間も聞かれたけれど「あ〜まあ?ね〜」というお得意のヘラヘラ顔をかましてしまった。
そもそも「書く」ってどれのことよ。
ペンで文字を書くことなら好き。学生時代はノートの端に文字の落書きをビッチリしていたし、テスト勉強はひたすら書いて書いて書きまくっていた。先生の文字の癖を模写したりとかもしたな。
でも最近の「書く」っていったらタイピングかしら。まあそれも好き。ただ文字打つだけなのにスーパーエンジニアになった気分で楽しいからね。こういうゲームをするほど好き。
(昔ピアノ習わせてもらえなかったコンプレックスで、動きの似ているタイピングだけは速くなりたくて頑張ったな、、)
どうやら行動としての「書く」は「好き」と言えそうだけど、「文章を紡ぐこと」に対する私の捉え方はたぶん、そうではなさそう。
とか思ってた矢先、どこかで「『書く』ことは考えること」みたいな話を聞いた。「おお!それだ」となった。
自分にとっては「書く」は「考えて、整理するための必需品」なのかなと。好きとかどうこうじゃなくて、それないと話にならないわよね、という。あの、えっと、あれみたいな、例えたいけど出てこない、、
実際、日記とかはつけてないのに、自分の感情のゲージが振り切れたときはだいたいスマホのメモに書いていた(おもに負のゲージ 泣)。そうすることで、自分の状況を客観視できて、感情の理由もわかってちょっと落ち着ける。書いていく中でわかることがたくさんある。
だから、結局「書く」は、自分の頭の中にあるものと、外から入ってきたものを整理して、外に出すために必要不可欠な行動だったんだ。「好き」派の人も、この過程に対して好きと言ってるのかも。でも私は「好き」というより「必要」。
胸張って「好き」と言えない自分に落ち込んだりもしたけれど、別にそうじゃなくてもいいな、必要なんだし、と思った今日この頃でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?