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今年の英ブッカー賞は自分の中で受賞者が決まってしまってから読んでいる

7月20日に今年のブッカー賞のロングリスト(候補作品)が発表されてから、少しずつその中から読み始めているんだけど、実は最初に手をつけたタイトルがハマりすぎて、もうこれを推すしかない感じになっちゃって、でも他のを読まずにそんなことを言っても説得力ないんだろうなという気がするので、もう少し他のを読み終えてから、そのイチ推しを明かそうと思っている。

で、今回の2タイトルはロングリストが発表される前に既に読んでいたのを遅ればせながら紹介しておこう。まずは、またしてもスコットランド(「エレノア・オリファント」以来)、しかもサッチャー政策のあおりを食らって不況真っ只中の80年代のグラスゴーを舞台にしているというので、刊行前から気になっていたShuggie Bain「シャギー・ベイン」。「シャギー」というのは、イングランド男性名HughのスコットランドバージョンがShugで、その息子だから「若Shug」みたいな愛称がShuggieという、主人公の名前なのだ。のっけからスコッチなトリビアかまして済まない。(そのうちアイルランド女性名とその発音、という何の役にも立たない紹介をやろうと思っているのだが。女優のシアーシャ・ローナンって読めた?)

あらすじをかいつまんで書くと、この本の主人公はどちらかというとShuggieの母親アグネスで、彼女は若きエリザベス・テーラーばりの美貌の持ち主、一軒家とイケダンを夢見ながらいつも貧乏クジ男を引き当てて、今の夫Shugも最初は家を買ってやるだの甘い言葉を囁いたり、子どもたちの面倒も見ていたが、結局タクシーの運ちゃんしか仕事がなくて、夜勤に出ては浮気を繰り返している。アグネスはまた実家に出戻ったり、一念発起して3人のシンママとして暮らして行こうと決心しては、毎週火曜日にもらえる失業手当で安エールを買い込み、バレないように(バレているが)それをマグカップに注いで生活費にも事欠く落ちぶれよう。(ストロング系を大人買いしているそこのお前、それはアル中の始まりだと肝臓に命じておけ)

シャギーは異父兄弟の末っ子として、健気にアグネスの世話を焼き、彼女が酒をやめて立ち直ることを願っているが、最初は同じだった兄も姉も、自活できるやいなや、母親を捨てて家を飛び出していく。シャギーはシャギーで、幼い頃から「なよなよした変な子」としていじめられ、ゲイであること自覚もないまま自分なりに生きていくのに必死だ。

なんどもアルコールから足を洗おうとして挫折し、さらに堕ちていくアグネス。人前に出るときは、自慢の黒髪をきちんとセットし、総入れ歯の白い歯を輝かせ、昔買ってもらった毛皮のコートを着て、せいいっぱいのおめかしをして仕事を探しにいくが、夫は帰ってこないし、仕事も続かない。私あんなに美人だったのに、みんなよりは実家が金持ちなのに、というプライドが邪魔して今の自分が受け入れられない。そんな母親を見捨てられないもどかしさ。

取り立てて、ストーリーとしては新しい切り口もないし、文体もそんなにスコットランド訛りがすごすぎて読めない、ということもなく、アル中壮絶人生物語にしてはちょっとレトロな感じなんだけど、言い換えればそこに古典的な王道のストーリーがあって、やるせない気持ちにさせる説得力はある。そうだ、フランク・マコートの『アンジェラの灰』を思い出させるんだ。あっちはアイルランド発のメモワール、こっちはスコットランド発でフィクション仕立てという違いはあるが。

ひっかかるのは、著者ダグ・スチュワートは現在ニューヨークのファッション業界でそれなりの仕事をしていて、これからも作家として次々に作品を発表するかといえば、それはなさそうだな、と感じるところ。なにせ、Shuggie Bainにしたって、これはもう半自伝的なお話なので、次はどうするのよ?という気がしないでもない。本人もそんな感じだし。(追記:訂正。ニューヨーカー誌には短編も載っているし、次作の内容も発表された)

でもブッカー賞ってのは、作品だけじゃなくて作家のキャリアも考慮して授与されるところがあるから、これはデビュー作だし、ショートリスト(最終候補作)に残らなさそう。でも個人的にはとっても好きで、下手すっとまた読み返してリピしてしまうかも。

そしてもう1冊、既読だったのがカイリー・リードのSuch a Fun Age(そんな楽しい世代)。これは面白い。今年になって初めて読んだ本だったかも。そりゃそうだ。これ、アメリカ発の本だもん。著者の彼女、例のアイオワのライティング・コースの卒業生だもん。本が出る前にリース・ウィザースプーンが映画化権を押さえた本だもん。

あらすじを紹介すると、黒人女性エミラは定職に就かず、ベビーシッターなどのバイトを掛け持ちしてこれからの自分の人生どうするかをモラトリアム中の25歳。夜中に急に呼び出されて、白人女性アリックスの女の子、ブライアーの面倒を見ていたのはいいが、意識高い系スーパーでふざけてダンスを踊っていたら、なぜかその子を誘拐したんじゃないかと(これがいわゆるsystemic racism)警備員から怪しまれて、警察まで出てきて、じゃあ親を呼ぶわよとブチ切れ。

翌日、そのとき応援してくれたケリーという年上の男性にナンパされ、つきあうことに。彼がスーパーでの一幕をケータイで撮影していたと知り、削除してもらう。一方、雇用主のアリックスは、何でもかんでも手紙で文句を書き送ったり、それとなく試供品を企業に催促したりするのが得意なブロガーで(それってやんわりとはしてるけど、クレーマーじゃんw)、エミラには寛大な一方、娘のブライアーはネグレクト気味で、慣れなれしげにあれこれエミラの私生活に興味を示す。

まぁ、この辺までは軽妙な若者の会話や、異人種間のデートの様子など、いかにもありそうな現代的な語り口で、初期のゼイディー・スミスやテリー・マクミランを思い起こさせるんだよね。ケリーは黒人文化に興味と理解を示す、リベラルな紳士だし、年下のエミラを上から目線でマンスプレイニングしてきたりしない。みんな、差別主義者とは程遠い「いい人」に見えるんだが…。

そしてここでこのストーリーのヒネリがくるわけなんだが、はっきりいって、これはアウト。偶然すぎてありえない。まぁ、ネタバレになるので書かないが、終盤はどちらがエミラのことを思っているかというケリーとアリックスのバトルになる。

ここに描かれている、リベラルな人たちの黒人文化への理解とか、黒人女性とばかりつきあう白人男性はフェチなのか、何かを証明したがっているのかとか、そして一方のアリックスのエミラに対する気遣いも本物なのか、それとも彼女もそれは表向きの話で、実際はしょーもねーKarenなのか、みたいな話で、本人たちは自分は絶対人種差別主義者じゃない、みたいなことを証明したがるのは実はそんな気持ちが差別なんじゃないのか、みたいなthe white pursuit of wokeness(これってなんて翻訳しようかねぇ?)の争いになってるんですな。悪い人じゃないんだけど〜という女性が出てくるあたり、Celeste NgのLittle Fires Everywhereを彷彿とさせるんだが、結局この小説もリース・ウィザースプーン主演で映画になったらますます混乱するよ〜。ちなみに「リトル・ファイアー」はなかなかいい仕上がりのドラマシリーズになってるのでおすすめ。私は米Huluで観たけど、日Huluには入ってなくて、なぜかアマプラで観られる。

でも、この辺の話、今アメリカでBLM運動がネオナチ保守バカとカウンターの人たちの殺し合いにまで発展している昨今、ずいぶんとイノセントな昔の時代のようにも思えてくる。

というわけで、この作品もブッカーはなし。ショートリストには残らないでしょう。

引き続き他のノミネート作品も読んで参ります。

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