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海が繋ぐ思い出

「私と海」と言われて、最初に思い浮かぶのは、母の出身地である和歌山県の海です。幼い頃は毎年、長期休みになると遊びに行けると、とてもワクワクしていたのを覚えています。

 母の実家から徒歩5分程で海が見えてきます。海岸が数百メートル続き、その南側に波止場があります。幼い頃、夏休み=身内達と泳ぎに行くというのがお決まりでした。海岸と言っても海水浴場のように整地された砂浜が広がっているのではなく、砂と石が混じったような、歩くと足ツボマッサージ状態の浜が広がり、防波堤(堤防と呼んでました)側には台風や波が高いときに打ち上げられた大きな流木や海藻、いつのかわからない缶やゴミ等の漂着物が石の間に挟まっているような海岸です。
 潮が引くとごつごつとした広い磯が現れ、潮溜まりでイソギンチャクや小魚、ウミウシやカニを探したり、海岸でシーグラスや貝殻を拾ったりしていました。

 海藻が張り付いた磯を50mほど沖の方へ進むと、ある地点から段差のように一気に深くなり水深1.5mほどになります。ここまで来るともう足を切るような岩もないため、このあたりで私はよく泳いでいました。もうちょっと進むと水深3mほどになり、魚の数もどんどん増えてきます。
 素潜りの練習もしましたが海底に体を這わすように潜水するのがすごく下手でした。結局この歳になっても、泳げますが潜れません。すぐにプカーと浮いてくる私の姿を見た、高い泳力スキル持ちの身内と、漁師で素潜りはできて当たり前&数分間潜っていられる祖父に、爆笑された覚えがあります。

 泳ぎは得意でしたが今思えば我ながらよくライフジャケットもなしで足がつかないようなところで泳いでいたと思います。穏やかな海ですが、結構リスキーですね。

 泳いだこと以外にも海との縁はあります。

 お盆の時は、15日の夜中に野菜等のお供え物を持ち、起きている身内たちと懐中電灯を片手に真っ暗な海岸に行きます。海岸に線香を立てて、お供え物を海へ流します。送り盆と言われる習わしです。

 正月は初日の出を見に行ったこともありました。早起きをして海風が冷たい海岸でみる初日の出は格別です。

 堤防の上に戎さんとお稲荷さんとお地蔵さんがあり、長年ずっと海を見守ってくれているため、幼い頃から祖父母の家に行くたびに必ずお参りに行っています。ここ数年は、海に行く前に自販機で缶コーヒーを買い、お参りをしてから堤防の上に腰掛け、コーヒーを飲みながらしばらく海を見てボーっとするのがお決まりです。普段私の脳内は色々なことでごちゃごちゃしていますが、ここにいるときは一切何も考えず、完全に無の状態になれるので気に入っています。

真冬に堤防でコーヒーと共に

 そして、海に関連することと言えば、私の中で絶対に外せないのが祖父のことです。
 祖父は30代くらいから数年前まで50年以上漁師をしていました。現在は完全に漁業生活を引退していますが、私の中での祖父の姿は常に海と共にありました。今でも海と祖父のイメージはとても密接ですし、これからも変わらないでしょう。

 仕事終わりの祖父を波止場まで迎えに行ったこと、小屋(正式名称を知らないですが波止場を使っている漁師達が共同で使う場所)で漁師仲間と作業をする祖父を待つ間に生簀にいる魚たちを眺めたこと。自分の小屋で網を編む姿、波止場に停泊した船を整備する姿、私たちが起きてくるころに一仕事を終えてバケツや発泡スチロールに魚を入れて帰ってくる姿。祖父の仕事姿をもう見ることはできませんが、私の中ではずっと写真のように心に残っています。

 時が経つにつれて人が歳をとるように、環境も変化していきます。海に行くまで細い道を抜けて行きますが、昔あった家が取り壊されていたり、空き家になっていたり、畑が耕作放棄地になっていたりと、時代の流れを感じます。波止場にあった船の数も今ではめっきり減りました。

 時々しか訪れない私でさえ、景色の移り変わりを感じているので、長年住み続けている町の人々や、この地で生まれ育った身内達は、より一層変化を感じているかもしれません。

 記憶を辿って文章化していますが、何だか懐かしさで泣きそうになってきました。


 私にとっての海は、幼い頃によく遊んだ場所であり、気分を落ち着かせてくれる場所であり、身内と自分を繋げてくれる思い出の場所となっています。

  いつか、今見ている景色が変わって、記憶の中にしか存在しないものになってしまう日が来るかもしれません。それでも私は、海がくれた思い出や縁を忘れることは無いでしょう。


 では最後に、気に入っている海の写真を貼って終わりにします。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

海岸線の向こうは徳島県


 以下余談です。
 私の趣味の一つが旅行ですが、いつも無意識に海がある場所に行っていることが多いです。気がつけば海にいます。海が近くになかった旅は人生でほんの少しでしょう。ここまでくると私自身、海と何かしらの縁があるのかもしれないと思えてきます。

 一番はやはり見慣れた和歌山の海ですが、瀬戸内海も落ち着きます。以前岡山へ一人旅に行った際に鷲羽山に登りましたが、瀬戸大橋と数多の島々と雄大な空を見た時の感情は一生の宝物だと思っています。

鷲羽山からの瀬戸大橋


 また艦船も好きなので横須賀、舞鶴、呉、佐世保にも何度か訪れています。私は呉にも少しルーツがあるので、呉の海は和歌山の海と地元である大阪の見慣れた海に次ぐ、第三の故郷ならぬ第三の海のような存在です。人生で呉に行った経験は数えるほどしかありませんが、どこか懐かしさを感じる海です。2年前に一人で行きましたが、今年もできれば行こうと考えています。

アレイからすこじま からの夕日

#わたしと海