メンズのスーツについて
メンズのスーツの選び方について質問をいただきましたので、わかることを少し書こうと思います。
まず最初に前提として、洋服というものは西洋のものであるので、そこには西洋ならではの美意識が表現されているということを覚えておいてください。男性服は男性服としての美しさを追求しています。
衣服、特に織物が発達してからの衣服の歴史は、最初、布に頭が通る穴をあけただけの貫頭衣、そして身体にドレープを作って巻き付けたトーガと呼ばれるものへと続きます。
トーガで思い出されるのはギリシャ、ローマの衣装です。絵画や彫刻も数多く残されていますし、美術にうとい人でも、漫画の『テルマエ・ロマエ』の主人公が身に着けていた衣装と言えばわかるでしょう。
ギリシャ、ローマ時代は美について深い認識のあった時代です。なんせ、美は、プラトンのイデア論で「真善美」として語られたように、三つのイデアのうちの1つとして選ばれています。それほどまでに美は重要なのです。
では、男性にとっての美とはどんな美なのでしょうか。
これもプラトンの時代に一つの男性美が確立しています。そうです。鍛えられた肉体です。ミケランジェロのダヴィデ像のような均整がとれた、鍛えられた肉体の美こそ、西洋の美の目指すところ。ギリシャの古代オリンピックも、この美の追求のために行われていますよね。
で、このギリシャ・ローマ的な男性の美に対する考えはルネッサンスを経て、現代まで続いています。いまだにヨーロッパで美しい男性とは、筋肉を鍛えた肉体美を持つ男性です。
ではスーツ、つまりジャケットとパンツの組み合わせは何かということです。スーツの中でも特にジャケットは、筋肉のデザイン化であると、ヒストリアンのアン・ホランダーは『性とスーツ』の中で語っています。ではジャケットはいつごろ出現したのでしょうか。
ジャケットの原型となるものはルネッサンス期ごろにはありますが、テイラードカラーや丈、袖の形状など、はっきり形になりだしたのは、イギリスで、ヴィクトリア朝のカントリージェントルマン(田舎に住むジェントルマンという階級の男性です)が着始めたころだということです。そして、19世紀になると、庶民にまでスーツは普及します。
アン・ホランダーは次のように断言します。
「ここではっきりと断言できよう。四肢の形がはっきりとわかる男性の裸体は、今なお西洋の男性服の基盤として__ぼんやりと背景に浮かぶ視覚的なイメージとして__暗示されねばならない、ということだ。いかに表面がすっぽりと覆い隠されていようとも、中世の鎧のスーツや初期の新古典のスーツのように、裸体のイメージが浮かばなければならないのである。」
つまり、スーツとは、男性の肉体美を衣服として表現したものであり、それを着てもなお、裸体の美しさを感じさせるものでなくてはならない、ということです。
男性にとって必要なのは「おしゃれであること」ではなく、「美しくあること」なのです。おしゃればかりを気にしている男性を見ると、なんとなく違和感を感じるのはこのためでしょう。男性が目指すべきなのは、おしゃれなどという甘ったれた、不埒な態度ではなく、真善美の中の美という、より厳しく、規律のあるものなのです。
そこでスーツの選び方です。
スーツはあくまで男性の肉体的な美を表現したものであるので、そこから逸脱すると、途端にみっともないものになります。理想は、鍛えた肉体に端正な作りのスーツです。わかりやすい例ではプロサッカー選手のスーツ姿です。あれこそが、スーツ姿の見本です。ですからスーツを選択するときは、自分なりのベストを目指さなければなりません。
自分なりのベストとは、まず身体を鍛えることが第一。では、それができない場合、もしくは鍛えた肉体はもう失われてしまった場合はどうしたらいいでしょうか。
ここが日本の多くの人が勘違いしているポイントだと思います。洋服というものは、自分の身体を拡大コピーしたもの、つまり自分の身体にぴったりと合うものであってはならないのです。西洋にとって、自然とは、そのままであっては美しくはないものです。こちらが手を入れ、コントロールし、秩序を作ってこそ、美しくなります。そこが自然をそのまま崇拝する東洋的な思想とは大きく違います。そしてこの点は衣服においても同じです。
キモノが身体にフィットするように生地を調整するのに対して、洋服において調整すべきなのは完璧な形をした美しい形の洋服ではなく、みっともない肉体のほうです。
調整する方法は2つあります。一つが前述した肉体を鍛える方法、そしてもう一つが端正な作りの衣服を着て、肉体を補正する方法です。
肉体を鍛えていない、もしくは衰えてきた場合に選択すべきスーツは、肉体を美に近づけるために補正するものでなければなりません。それこそが、スーツの美です。
そうすると、例のとある通販サイトの「自分にフィットしたスーツ」が大失敗した理由がわかるでしょう。スーツはみっともない自分の肉体ににフィットしてはだめなのです。あくまで美に近づくために補正したものでなければ、それはスーツとして用をなしません。
身体が衰えるほどに、補正力の強いスーツを選ぶ必要が出てきます。そのためには、パターン、仕立てとも、スーツをよく理解し、補正する技術を持って作っているブランドなりなんなりを購入する必要があるでしょう。また、肉体の悪い方への変化とともに、スーツも買い替える必要があります。なぜなら、美から遠のくほどに、補正しなければならないからです。
では、安いスーツと高級なスーツ、どこが違うのかという問題です。
まず一つは仕立ての問題です。テイラードジャケットを解体してみたことはあるでしょうか。ほとんどの人がそんなことをしたことはないでしょう。テイラードジャケットの、特に前身頃は複雑に芯が張り巡らされ、羽ざしと呼ばれる特殊なステッチによって、芯が身頃に縫い付けられています。また、襟の作りも同様に、返りが美しくなるよう、複雑に芯が貼られています。安いジャケットはこの作業をどこかしら抜いています。そうすることなしに、安く仕上げることはできません。
そうして次にパターンです。よいパターンであればあるほど、肉体の補正力は高くなります。安いスーツと高級なスーツを着比べてみてください。自分の身体の見え方が全く変わるのがわかるでしょう。
鍛えられた肉体の持ち主が安いスーツを着ても、それほどおかしく見えないのは、スーツの肝である肉体の美しさがもうそこには存在しているからです。けれども、鍛えられていない肉体の持ち主が、パターンも悪く、どこかしらの工程を抜かした安物のジャケットを着たならば、いきなりだらしなくなってしまうのは致し方ないでしょう。それは安さと引き換えに失ったものです。
ですから、どのレベルのものを買えばいいのかは、着る人の肉体の状態によります。鍛えていれば鍛えているほど、適当なスーツに耐えられ、衰えていれば衰えているほど、クオリティの高いものが必要になってきます。
ここまではスーツの美的な側面についてで、機能面についてはまた別の問題です。特にここ最近の高温多湿の日本の夏の着用に適したスーツは、まだ出現していません。テイラードジャケットのスーツはもともと高温多湿の国での着用に適したものではないので、これも変わっていくだろうと思います。方向性としては、イギリスの植民地であったインドのスーツや、フランスの植民地であったベトナムのスーツに代表されるような、コロニアルスタイルにデザインのヒントをもらいつつ、高温多湿の日本で着るのにも適している素材の開発があるでしょう。この点についてはまだ発展途上のため、何がいいか、断言することはできません。
さて、話は少し戻って、安いスーツのからくりについてです。実はこの点について、私は知っていることがあるのですが、かなり内密にされていることなので、ここから先は有料とします。
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