見出し画像

忘れることで自由になった

「ところでマイコは結婚しないのか」
長兄の家族がテニスをするのを眺めながら、父は私にそういった。急な一言に戸惑う私に「うちの遺伝子、けっこう優秀だと思うのだけどなぁ」と畳みかける。認知症になっても、こういうユーモアだけは変わらない。しかも上から目線。(おまえがそれを言うのか)と心の中でツッコミを入れた。

男兄弟の中で一人娘の私に、かつては(絶対にお嫁になんて行かせない)と思ったこともあったかもしれない。それが徐々に変わっていった。
「一度くらい行っても良いのじゃないか?」
「戻ってきたってかまわないよ」
ある時はこんなことも言ってきた。
「さくら銀行の営業の〇〇くんがとってもよい青年なのだけど、どうかな?」
その時は冷静に説明を。「お父さん、さくら銀行の営業さんにとってお父さんは取引先なの。そりゃあ、良い顔もするよ。だって取引先だもん」かわいくないと言えばそれまでだけど、本当だから仕方ない。そして気づけば、家族の中で私に結婚の話をするのはタブーになっていた(らしい)。暗黙の了解みたいなもの。

父の認知症が判明して、少しずつ色々な症状が出始めた頃、父は私が娘であることを忘れた。母は父の姉になり、私は父の妹になった。病院のスタッフにそう紹介するのを聞きながら、(さすがに父に忘れられるのはすごい)と言葉を失った。
そして、父は暗黙の了解というハードルを軽々と飛び越えてやってきたのだ。

「ところでマイコは結婚しないのか」

「いやー、結婚したい人、今いないんだよねぇ」とありきたりの返事をしつつ思った。
父はずっと聞きたかったのだ。忘れることで父は自由を手に入れた。誰にも咎められることのない自由。それは病状のひとつなのだから。そのことは私からみれば切ないけれど、父にとってはとても幸せなことでもある。そう、父が忘れたこの十年で起きたことも、私は覚えているのだから。

父との関係はかなり複雑なもの。あれから十年が経って、そろそろ自分の中で整理をつける時期がきた気がしています。徒然なるままに、時折、書いてみようかと思います。

#父親 #父 #認知症

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?