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農業事件簿〜ガルトネル事件 3

七重村を取り戻せ

明治新政府軍の攻撃で、榎本武揚率いる蝦夷共和国は崩壊し、箱館戦争が終結。

明治2年(1869月5月19日) 箱館は、明治新政府が改めて統治。再び箱館府が設置される。

リヒャルト・ガルトネルは、箱館府に再び契約(蝦夷地七重村開墾条約/99年租借)の正当性を確認要求。

終戦直後の混乱期だったこともあり、箱館府は早々にガルトネルと約定(覚書の様な取り決め)を締結。

この約定内容はかなりダメ。内容は榎本武揚契約を踏襲、更に契約期限は未記入という雑過ぎる仕事。
七重村とその周辺住民から「農地をガルトネルにパクられた」と苦情が持ち上がり始める。住民と、土地の境界や契約内容を巡るトラブルが頻発。しかしガルトネルは約定を盾にそれを無視。住民がクレームを入れるも、未だ混乱期の箱館府は、これを解決する能力なし。

明治政府本体の介入

明治2年7月8日:箱館府に代わり開拓使(役所)を設置。蝦夷地の開発と行政を担う。
同年の9月:蝦夷地を北海道と改称。
開拓使は箱館府から引き継いだ一連のガルトネル条約の内容を見てドン引き「これは大問題」。
東京の明治政府本体にも報告。当然、明治政府本体も「これ絶対ヤバい」。
99年の租借ってなんだ?外国人居留地の外まで広がる広大な300万坪って…。

この条約を足掛かりに、北海道が植民地化されてしまう可能性(アジア植民地の二の舞は避けたい)。

明治政府/外務省は開拓使に指示:ガルトネル条約を破棄せよ!開拓使長官 東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)が、リヒャルト・ガルトネルと交渉。

ガルトネルもそう簡単には引き下がらない。金銭補償を求める。
厳しい交渉はおよそ1年に及ぶ。
明治3年(1870)11月 62,500両の違約金を支払うことで、ガルトネル条約(蝦夷地七重村開墾条約)を解消合意。
七重村を取り戻す。
62,500両:1両/13万円とすると…81億2,500万円(!)

ガルトネル兄弟(兄リヒャルト・ガルトネル/弟コンラート・ガルトネル)
七重村99年租借地の農業ビジネスはここで終焉。
植民地化の野望も終了(あったかどうか知らないけど、たぶんあった)。
しかし、破格の違約金ゲットという十分過ぎる成果を手にして、リヒャルトは家族とともにプロイセンへ帰国。

一方の明治政府。
幕末・維新混乱期リアルタイム世代が経験した出来事の中でも、ガルトネル事件は、日本が植民地されてしまうリスク最大級だった事件。帝国主義思想が原動力の欧米列強が、アジアで次々と植民地化を進めている現状は熟知。
全力でガルトネル兄弟の野望を阻止(植民地化のリスクを排除)した出来事。

ガルトネルが残したもの

ガルトネル条約で開墾が進んだ七重村とその周辺。西洋式近代農業がいち早く導入された。
日本初の西洋式プラウ農耕:農耕馬&農耕機で行う大規模農法。
近代的な果樹栽培:寒冷地用に品種改良を施したりんご・葡萄・サクランボ・西洋梨などを苗(苗木)から導入。
りんごは現在、北海道亀田郡七飯町の特産品(日本初の西洋りんご)。
葡萄をワイン、ホップをビールなど加工する技術。
牛・馬・豚などの家畜とその飼育方法の導入。
家畜用の牧草と、その栽培方法の導入。
パンを焼く技術・焼き窯、植物栽培用の温室技術なども導入。

ガルトネル条約(蝦夷地七重村開墾条約)の跡地。
七重官園、後に七重開墾場として、開拓使が管轄する農業試験場となる。
寒冷地・北海道の開拓に必要不可欠な農業技術の研究開発や、欧米から輸入された農業技術の試験が行われた。
御雇外国人として農業技術者も多数招かれた。

現在の北海道亀田郡七飯町。
リヒャルト・ガルトネルが残したブナの人工林が残る。
彼が、故郷プロイセンを偲んで、近所の山で見つけたブナの苗をここで植栽したのが始まりと言われている。今ではガルトネル・ブナ林として、林野庁が管理する保護林となっている。

余談。
ガルトネル事件に乗じて、北海道侵略を狙って暗躍するロシアと、それを阻止する土方歳三率いる旧幕府・新政府連合軍…という小説。
冨樫倫太郎 著 「箱館売ります 土方歳三 蝦夷血風録」


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