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他人に期待しない

人に期待していると、その期待が外れた分だけ残念な気持ちや悲しみが大きい。そういった負の感情に振り回されることが多い人もいるかもしれない。

私は、頼んだことや規則やルールが守れていればそれ以上は望んでいない。

例えばコンビニの店員はコンビニを運営してくれているだけで良いと思っている。レジでの愛想の良い接客など求めてはいない。これは愛想よく接客しなくても良い、と考えているだけであって実際に笑顔でレジを打ってくれたのならば、もちろん嬉しいのだ。私としてはどんなことでも必要最低限の仕事さえしてくれていれば満足できる。

察する、ということが必要になっている社会。言わなくてもわかるだろ?みたいなことを要求するが、実際には言わないと分からないことが多い。

たくさんの人間がいて人間はそれぞれ異なるのだから、言わないで伝わることなんてあり得ないと思う。言わないと分からないのに言わなくても分かってくれると勝手に思い込んでいるから、こちらの思い込みが外れた時の落ち込みが大きくなるのだ。
言葉にして伝えることは誰にでも出来るが、簡単なことでも難しいことでもない。それでもとりあえず言葉にすることによって、お互いにその問題や主張に気持ちを傾けることができる。お互いに意識することが大事だろう。

期待とは違うが、わたしは他人に頼んだ急ぎでないことの忘れや、取り返しのつく失敗についてもあまり気にしない。

取り返しのつくことを失敗したくらいでくよくよする必要はないし、「できたら」という頼み事が叶わなくてももともと自分が出来ることではなければ諦めやすい。
他人が失敗した時、自分の欲求が叶わなかった時にあまり苛立ちや悲しいという気持ちにはならない。

他人に期待してしまう人間がいると思うが、しかし期待すること自体は悪いことではないと思う。

期待するなら、期待できるだけの投資をすると成功率が上がるだろう。手放しや相手の人柄だけで期待するには自分の希望が叶う根拠が少ないのだ。だからより成功に近づけるようにちょっと手を加えるべきだろう。その方法が声をかける、伝えるということだと思う。

私は他人に期待していない分、他人から期待をされているのかもよくわかってはいない。
期待されることは構わないのだが、何も言わずに期待されるのも困ると思っている。頼み事ならばしっかり言って欲しい。その上で可能かどうかを考え、場合によっては断るかもしれない。断ることによって、依頼主は別の人に頼んだり別の方法を考えることができるので、時間が無駄にならない。私が空返事で、失敗してしまうとその時間が無駄になってしまうのだ。だから潔く断る、という選択肢はアリだと思っている。

結局のところこの世界は各自の都合で動いているようなもので、他人は他人のことなどさほど意識してはいないということだ。

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