見出し画像

No title sec.2 本日の海鮮ユッケ

この記事をのぞいてくださってありがとうございます。まとまりのない欠片たちですが、少しずつ形にしていきたいと思います。これから連なる言葉たちが、誰かにほんの少しの動力を添えられることを願って。

テーブルに運ばれてきた海鮮ユッケに、場の熱量が一気に上がる。「混ぜちゃっていい?」割り箸を皿にかざして聞く凛にうなずき、最近活動休止したYouTuberの話題を持ち出した。

「エミリちゃんすっごい優しい人だったのにさ、あんなに荒れるまで追い詰めちゃう環境最悪だよ」
そう言う私に凛はこう返す。
「いやぁでもなんか、まぁ確かにエミリちゃんはかわいそうかもしんないけど、あんな風にSNS使って荒れるのはかなり子どもじゃない? ちょっと笑っちゃった。あとまぁ、あたしはマサヤくんのガキっぷりがちょっと見てられなかったな」

十代から二十代を中心にファンを獲得している人気の女子二人組YouTuberが最近炎上したのだ。エミリちゃんはその二人組の一人で、エミリちゃんの彼氏がダンサー兼TikTokerとして活動しているマサヤくん。そのマサヤくんと、エミリちゃんの相方であるアイリちゃんが昔から仲が悪かったらしく、満を持して対立し、ファンを巻き込んで炎上した。

「マサヤくんも確かにガキだったけどさ、あと私昔のマサヤくんのこととか知らないけど、今回の件だけでも常識を無視して突っ走っちゃうタイプってわかるじゃん。私は二人を応援してきてアイリちゃんのことも勝手に信頼してたから、アイリちゃんに大人な対応してほしかったな」
言い終えると、凜が取り分けてくれた海鮮ユッケを口に運ぶ。
「なるほどねぇ。でもあたしはアイリちゃんの気持ち分からなくもない気がするな」
三杯目のビールがテーブルに届いた。
「なんかさ、自分が絶対に譲れない領域にしつこく踏み込んでくる人ってたまにいるじゃん? アイリちゃんにとってマサヤくんはそういう人間だったんじゃないかな」
「確かにねぇ。なんていうか、もう遺伝子レベルで拒否反応出てんのかな、みたいな相手っているよねぇ」
「大切な人の大切な人でも、自分と永遠に相容れないタイプの人ってこともあるよねぇ。何か頼む?」
三杯目のハイボールを注文する凛を横目に、私も残りのビールを飲み干した。しばらく他の料理をつまみながら、最近揚げ物きついなーなんてぶつぶつ言いながら、ダラダラと他愛ない会話をする。そうしている最中も、ここ数日画面を通して勝手に感じ取った悲観的で攻撃的な空気や、それを受けてモヤモヤと育った黒く重たい感情は依然として自分の中に存在していた。

「今回の炎上きっかけに気になっちゃっていろいろ調べたんだけど、マサヤくんってなんていうか、十代のころからVineで活動しながら、当時の彼女とのちゅーぷり…ちゅーぷりとか言うっけ、響き懐かしすぎんね。そういうのアップしたり、アンチに自分から絡んでって炎上したり、もうすぐ三十って歳になってもデジタルタトゥーの象徴! みたいな生き方してんじゃん。そういう人ってもうその人自身がどう、とかじゃなくて、周りのもっと色々見えてる側がサポートする義務があると思うんだよね。責められる立場にすらないって言うと冷たい感じするけど。私ビューだと今回その見えてる側がアイリちゃんだったわけ。エミリちゃんにとっては彼氏も相方も大事な存在で、どっちも守りたいからこそ活動存続の危機になるまで我慢してたわけでしょ。マサヤくんが荒れるのはいつものことでしょ。ってなったら、アイリちゃんが二人の活動の場とエミリちゃんを守るために、どうしても譲れない倫理を侵してくる相手であっても、ちょっと自分に嘘をついた方がかっこよかったんじゃないかと思うんだよ。知らんけど。知らんけどね」
五杯目のビールを呷りながら、そろそろ自分が何を言ってるのかわからなくなってくる。私は悲しかっただけなんだ。エミリちゃん自身も、二人組としても、今まで通り楽しく娯楽を提供していてほしかった。あの一件以降アイリちゃんの人間性に疑問を抱いてしまい、単純に楽しい気持ちのみで彼女らのコンテンツを見ることができなくなり、私は心の安らぐ場所を不用意に一つ失った。

輪郭が二重になり始めた凛を視界に入れながらジョッキから最後のひと口を流し込んだ。さっきまで大声で騒いでいた隣の席の大学生グループがいなくなったせいか、ちょうど良い声量がわからないままにそっとこぼす。

「この世界の"正常"にまで成熟できない人がいることなんて世の常だし、考えられる人が考えて守るべきものを守る義務があると思うし、みんな誰か個人じゃなくてそんな人間社会に生まれ落ちたことを恨めばいい」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?