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良質な生活の仕方を知らなかった当時の私へ


今日は、生き方の部分についてシフトし、最近考えていることについてアウトプットしたいと思います。

まず、私は毎日、1日1日がよりよく、幸せに暮らしていくために嫌なことがあっても『それは私に起こるべくして起きていて、その事柄は私に何かを学ばせることなんだろうな』って考えるようにしています。

そうすると自然とネガティブな『最悪、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ』って気持ちになりにくいしね。


最近だとこれと言って原因がないのになんとなくモヤモヤしたり、なんとなーくやりたくない、などの気持ちの部分。

それを尊重することに時間とお金を使います。

やりたくないという気持ちの時は決してスッキリしないし、嫌な気持ちになります。
でも、それすら今私が感じるべくして感じている感情なんだから、そこから何か学べるんじゃないか?またはこの気持ちは無視しちゃいけない感情だから一度休憩してリセットしてからまた取り掛かろうかな、と思うようにしています。


一度そのモヤモヤの事柄から意識的に離れることによって自分の『イヤだと思う眼鏡』
を外すことに成功します。

そうすると次その事柄に向き合う時にその眼鏡をかけることなく、裸眼の状態または『ポジティブに見える眼鏡』をかけて取り組むことができる、というわけです。


最近だと洗濯機が壊れたんです。突然。しばらく溜めていた洗濯物を一切洗えずしかもびしょびしょになって洗濯機の中にある状態のまま、洗濯できないわけです。
しかも洗濯機からの水漏れも引き起こして床もびしょびしょ。
この事実だけ見ると誰もが最悪と思います。この状況を最高なんて思う人、おかしいと思う。


でも私はその最悪な状況を一瞬だけ『あー(最悪)』と思い、すぐに買い換えればいい、床は拭けばいい、むしろ洗濯機の下の床なんて普段拭かないところだし(私はそういう人です)、結果綺麗になって良かったんじゃね?と思いました。

それでね。買い換えるとなると、玄関から洗濯機置き場までの動線を確保しないといけないじゃないですか。うちの玄関からの廊下(?)は棚やら物やらぎっしり配置されてるわけです。なんせ引っ越してきてから一度も動かしてないですから。


その古株の棚や物たちを移動させるわけですよ、一時的にね。


そして新しい洗濯機が無事に運ばれて、さあて古株の棚たちを元に戻すかーーって時に、一度手が止まって考えるんです。
このまま元に戻すのが果たして壊れた洗濯機が私に教えたかったことなのか?と。笑


そこからは早かった。棚自体、そこにあるべきか?とか、この化粧品はここにあったら不便だから、この掃除用具がここの方が生活しやすいんじゃない?とか。

デッドスペースも何箇所か見つけました。その場所を活かせる物たちを配置することでデッドスペースがライブスペース(?)に。笑


私の2年半変わらなかった物たちの配置つまり毎日ルーティーンを、
洗濯機が壊れたことでそこからの学びを最大化させることに、私は成功しました。へへへ


もう、毎日早く家に帰りたいし、家で過ごす時間がノンストレスで生活水準が上がった気がします。0円で(新しい洗濯機代はよき勉強代ということでノーカウントです)。

まとめると、考え方一つで幸福度合いが変わるよって話です。



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最近の気づきの二つ目として、もう一つ余談ですが。

私にとって素晴らしいものが他人からするとそうでもない、逆も然り。ということです。


突然ですが、金平牛蒡(きんぴらごぼう)って食べる時そんなに幸福度感じる食べ物ランキングでは上位に入ることが少ない食べ物だと思うんです。


でも今の私にとってはとっても幸福度が高い食べ物です。

理由は、栄養価が高いこと。特にごぼうの食物繊維は、腸内のゴミを早く体外に排出しようとするために便秘予防に効くらしい。
腸内環境を整えることで肌を整え、せきやたん、口内炎、湿疹にも効果あり とネットに書いてました。

でも、自分のためには作らないです。主役には決してならない料理ですよね。。

それをパートナーの方が新潟のお米をお土産として買ってきてくれて、一緒にお米を主役におにぎりを作ろうとなり、
じゃあおにぎりに合うおかずなにしよう?となった時に作れるし気軽だし、自分のためにはわざわざ作らないからと選ばれたのが金平牛蒡でした。

仕事を終えて疲れてて何にもしたくない自分も、誰かと一緒に作る金平牛蒡は別腹でした。

作る工程での苦労も(料理酒がない!めんつゆで代用するか?!とか)、食べる時も、最高に新潟のお米との相性抜群でした。美味しかった、、!

翌日も快便でスッキリ起きれました。金平牛蒡、あいつは陰ながら人間の腸を守ってきたんだと思うと、恐るべく食べ物。有り難い。

日々いろいろなことに気づき、地味な、普通な日常が実は特別な日よりも尚、幸せで尊いなって思うのです。

そのことに気づいた私は、どんなことがあっても自分を成長させてくれる事柄だと受け止めていくことにより、生きる毎日がとっても幸せです。

以上。ではまた!

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