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忘れてはいけない日と、忘れたい人。それに紐づく記憶は私にとっての宿命となった。

忘れられない人がいます。
その人の誕生日は8月上旬で、戦争の痛ましい記憶と紐づく日。
無邪気に彼の誕生日をお祝いしていた日が何回あっただろう。
今はそうは思えない。
彼と離れて何年も経った現在でも、この日が来ると戦争の痛ましい記録に触れること以外に、どうしても彼のことを思い出してしまう。

忘れたいのに、どうしてもどうしても、切り離すことができない。
脳にしぶとくへばりついた彼との記憶を根こそぎ取り除きたい。それなのに、その日を迎えるたびに私は向き合わなければならない現実と、忘れて楽になりたい自分の過去とが頭の中を埋め尽くして、どうしようもなく苦しくなる。

じゃあもう向き合うのはやめようか。
自分の世界に閉じこもって、”平和”と見せかけた限られたスペースにだけ自分の窓を開いてひっそりとこの時期をやり過ごそうか。
そう思ってしまうこともあった。

でも。

戦争の記録や記憶に触れる。それは触れなければならないものだ。
想像を絶するほど、考えるのが恐ろしいほどの現実と、向き合わねばならないのだ。
語り部が減っていく。ただでさえ辛いなんて言葉では表せないほどの胸を、肉を抉られるような記憶。それを言葉に変えて、真摯に伝えてくれたその言葉。その言葉が減っていく。
その貴重な記録をしっかりと自分の脳に刻みつけて、これからもこの先もずっと、それを鮮明に私たちがこれからは語り継いでいかなければならない。

自分勝手な辛い記憶をとるか、目を背けてはいけない現実をとるか。
私はやっぱり現実をとる。
綺麗に表してはいけない過去がこの国にはあって、この世界にはある。
人の血も、涙も、泥も、炎も、雨も、暗闇も、全てを。
自分の目から、耳から、自分の脳に刻みつける。
なぜなら、私は嫌だから。単純に、心の底からどうしても嫌だから。
人を人で傷つけ合うなんて。血を流し、涙を流すなんて。
当たり前に笑い合っていた存在が、その人のために命をたったり、奪ったり。
嫌なんだ。それは絶対に、今も、今後も、絶対にあってはならないんだ。
戦争と経済が紐付いているトリック。名誉。お金。
誰かが得をするために、それを踏みつけることなんて、許されてはならない。
今でも世界では血が流れている現実がある。忘れてはいけない。
絶対にいやだ。
絶対に絶対に嫌だ。

私は、これは自分の宿命なのだと思うことにして、これからもその日や今日という日と向き合う。
忘れてはいけない過去は、私の忘れたい過去をどうしようもなく呼び戻す。
これを宿命と受け止めて、私はこれからもずっと、この日を迎えていく。

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