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カボチャのスープは苦い

カボチャのスープは苦い
著:星野彩美

第1章 カボチャのスープは苦い

わたしは雨の中、店の看板を外す作業をしていた。生温かい蒸気がコンクリートのアスファルトから立ち込めて湿気が高い梅雨どきのことだ。街には紫陽花の花が色づき始めていた。
葉についているカタツムリはわたしを見つめていたが、気にも止めない。羽織っていた薄手の上着を脱ぐと、外に並べられたテーブルの上に乗せられた椅子にかけるとインナーの胸あたりをパタパタと団扇のように仰ぎ空気を入れ込むようにしながら、閉店作業を片付ける。コンプレッションシャツを着て作業していたため、汗が肌に張りついてぴちぴちになっている。逆に作業しづらいわと思いつつ終えた。
ふぅ…ひとりだと大変だわ。バイトの智美ちゃん帰すんじゃなかった。と今更ながら後悔していた。ひと息つくと店内の小洒落たチェアに腰掛けて、キンキンに冷えたコップをケースから取り出してクラッシュアイスを入れると冷たい水を入れて喉を潤おしていた。ゴクゴクと喉を鳴らしながらかき込むように流し込んだ水は、この季節は格別だと思う。
水嶋薫…これがわたしの名前です。20代後半ながら店を経営している。子供の頃から貯金が趣味だったわたしは、いつのまにか貯まっていた貯金を1年前にどう使おうかと迷っていたときに、友人からのアドバイスもあり、大好きなカボチャを使ったスィーツとちょっとした料理を提供できる小さい店を開業していた。
今日は雨だし、お客さんも来ないからと早じまいしていた。
店を閉めようと入り口に出たときに、店の軒下で雨宿りしている青年らしきサラリーマンが立っていた。
彼は鞄を頭を抱えて雨避けのようにしている。なかなか高そうなブランド品のバッグのようだった。濡れたらもったいなくない?とわたしは思っていたら、彼はわたしに気づいたらしく声をかけてきた。
「すみません、急な雨だったもので少しだけ雨宿りさせてください」とハニかんだ笑顔と白い歯が光っていた。
わたしは、「ドキッ」としたがその場を取り繕うように、咳き込むと、「よければ、中に入りませんか?」
店主である特権を利用して、わたしは青年を中へと促した。
ドアを開けると片手を店内に向けて、中へと誘導する。
「え?しかし、閉店の時間ですよね?よろしいんですか?迷惑では?」
「わたしは店主ですよ?笑。わたしが良いと言ってるんです。」
青年は申し訳なさそうに片手をうなじに当てながら、ペコペコと頭を下げて入店した。
「走ってこられたんですね?うふふ」
「え?なんで分かったんですか?」
あはははとわたしは高笑いしながら、お腹を抑えていた。
「背中ですよ…せ、な、か!笑」
「え?」
「ブランド品でしょ?それ?ダーバン?脱いで…」
青年は呆気に取られた表情でわたしを見ながら上着を脱いで気づいた。背中が泥だらけになっていた。走ってきたから泥はねしたんだろうとわたしはすぐに気づいていた。
彼は気づいていない様子だったし、スーツが高いブランド品だと分かっていたので、シミになる前に落としたほうが良いと思っていた。
「何から何まですみません。優しさに甘えて、もうひとつお願いしてもいいですか?」
「スープ…でしょ?うふふ」
「な、なんで分かったんです?」
「この時間に慌てて仕事に追われてる人に限って、お昼にありつけてないんですよね?」とわたしはすでに、余ったカボチャスープに火をつけていた。
たまたま、走ってきたら甘い香りに誘われるようにこの店に来てしまったんですよ。と青年はわたしから渡されたタオルで濡れた髪の毛を拭きながら喋っている。
彼の話しを背中で聞きながら、わたしはスーツの汚れを落としていた。シミにならないように細心の注意を払いながら。
更衣室からハンガーを取ってくると、その辺にかけて温まったスープを彼の座るテーブルに運んだ。
「温かいうちにどうぞ…あまり物しかなくてごめんなさいね」
青年は有り難そうに、口を器に運ぶと鼻から匂いを嗅いでひと口飲むと鼻から抜けるカボチャの仄かな甘い香りに驚いている様子で、「美味しいッ!」と一気に飲み干してしまった。
「コラッ!もっと味わって飲んでください。うふふ」
「す、すみません…ッ、お腹がとても空いていたもので」
「よかったら、パンプキンのスィーツも食べてみませんか?お代はいりませんから。どうせ余りものですから」
「よろしいんですか?なんだか悪いなぁ」と言いながらも悪びれることなく手につけている。
「食べ方が男性らしくて、いいわよ。作ってる方も嬉しくなるくらいね。笑」
薫は男の向かいに腰掛けると両手を顎に乗せて食べるところを見つめていた。
男は手持ちぶたさの様子で、その場の雰囲気を嫌い、何か喋らなくてはといった様子だった。薫はその次に出る言葉を遮るように、「お気になさらないでね。気を遣わずとも…」と立ち上がって閉店の残りの作業を始めた。
「今日はこのあと、会社にお戻りになるのかしら?それまでに乾けばいいんだけど…」とシミになりそうだったところを見返している。
「いえ、今日は直帰します。上司にもそう伝えておりますので」
「あらそう?良かったわ。上着はそのままクリーニングにお出しになるといいわ。一応、応急処置はしといたからシミにはならないと思うけど…」
「何から何まで、申し訳ない。なんとお礼を言ったらよいか」
わたしの中で何か湧き上がるような感情が込み上げていた。店を開業することに必死になってきたわたしは、彼氏などいない。これまでにも付き合った男性など片手で足りるくらいしかいなかった。何だかこの出会いは運命的な何かではないのか?
神様に感謝したくなってきたくらいに込み上げる感情。
「わたし、この人に一目惚れしたのかな…」
顔が熱ってるのか自分でもよく分かっていた。何だか初めて会ったような気がしないくらいに、フィーリングも合うし彼が言いそうなことややりそうなことは、手に取るように分かっていた。今日初めて会った男性なのに…。何だか不思議な雰囲気を持った人。
「わたしは、この店の店主の水嶋薫といいます。どうやら料理もお気に召したようですね」
「ええ!もちろん、どれもこれも美味しいものばかりで驚きました」
「あら?驚いたとは聞きづてならないわね…笑」
「悪い意味じゃないですよ、気を悪くしないでください」
「知ってるわよ。わたしも半分はジョークなんですから」
男は食べ終わるとテーブルの備え付けのナプキンで口元を拭きながら、薫に軽く頭を下げた。
口に入っている食べ物をすべて飲み込んでからようやく落ち着きを取り戻して、喋り出す。
「ほんとに助かりました。あのままだったら、空きっ腹の上にずぶ濡れでしたよ」とまた満面の笑みを浮かべている。
【素敵な男性ね、この人。】
「あなた、育ちが良いわね。ひょっとしてどこかの御曹司か何か?」
薫の突拍子のない発言に、男は笑い出した。
「まさかぁ…御曹司が雨ふりに傘も差さずに濡れてると思いますか?」
「言われてみれば…おかしいわね」
「どうしてそう思われたんですか?」
薫は心の中に思っていることを語り出した。
「言えね…口の中に物を入れながらしゃべる人って、貧乏人のすることでしょ?こういうのって、幼少期に親から躾られてなければ、身につかないことだから。それに、こういう飲食店を経営していると、いろいろなお客さんがいるじゃない?」
男は薫の意見に最もだと言わんばかりに、大きく頷いている。
薫は男のグラスを取ると水を入れた。
「あ…すみません、ありがとうございます」
「あなた、不思議な魅力の持ち主ね」
男は薫の言葉に拍子抜けしたような顔で5秒くらい、ジッと見つめている。
「ちょ…ちょっと、そんなに見つめないでよ」と頬を赤らめた薫は男が食べ終わった皿などをキッチンに持っていって洗うと水切りに並べてしゃべりだした。
「わたしね…雨女なのよね。」
「どうしたんですか?急に…」
「たまには、知らない人と語りたいものじゃない?」
すると、男は…
「飲食店を経営なさってるんだから、お客さんは皆んな知らない人ばかりじゃないんですか?笑」
薫は洗い終えると、再びテーブルに戻り座った。
「そんなことないのよね。お客様は皆んな顔見知りになるじゃない?うちの店は、常連客で成り立っているのよ。知ってる人にも言えない事って、あるじゃない?」
「まあ、分かるような気がします。」
薫は腰掛けると、続きをしゃべり出した。
「昔からそうなのよ…大切なことや大事なことがあると決まって雨が降ってるのよ。今日だって…」
…と、続きをしゃべるのを躊躇った。
薫は自分がそのあと何を言いたいのか分かっていたが、口にするとそれが本当になってしまうのではないか?と恐れている。
綺麗な目鼻立ちでスッキリしてて、髪はセミロングでポニーテールをしている彼女だったが、恋愛に関しては縁がなく、良い方に向かおうとすると、いつも雨が彼女の邪魔をする。
今日も突然自分に訪れたこの出会いを雨によって邪魔されるのでは…と恋愛に臆病になっている。
【…ダメだわ。言えない。勇気さえ出ない】
すると、男がしゃべり出した。
「分かりますよ。薫さんの気持ち。痛いほどね】
何かを言いたげな素振りをしている男だったが、そのあとは口にすることはなかった。
外の雨は先ほどとは打って変わって、小降りになっていた。
「わたしね、自分の苗字が嫌いなのよね…水が入ってるでしょ?だから水が関わると災難ばかり…」
男は黙って聞いていた。出されていた水をゴクゴクと飲むとしゃべり始めた。
「薫さん、そんなに卑屈にならないでください。僕に対しても優しく接してくれて、感謝してます。そんなあなたが幸せになれないわけないですよ。ね?人生前向きに考えましょう」
薫は両手で顔を塞ぎ少し震えているようだったが。
「そうね!あなたの言うとおりだわ。…というか、わたしが慰められてどうすんのよ。笑」
「あ…笑った!笑顔がとてもチャーミングで素敵ですよ」
「僕もね、飲食店には興味あるんですよ。一日中営業で外を駆け回らなくてすみそうだし、何かを装飾したりする創作料理ってものにも興味がありますしね。」
【ふ〜ん、そうなんだ。一緒にこの店を経営していけたら、どんなに良いだろう…。わたしが料理を始めたキッカケも創作料理に魅了されたのよね】
薫は心の中で彼とのこれから先の未来に花を咲かせていた。
想像してるだけよ。別に付き合ってるわけでもないし、知り合ったばかりの人のことを考えてるなんて、わたしったらバカだわ。
「外…雨が止んだみたいだわよ。」
「ほんとですね。今日は突然押しかけて、食事やスーツのシミのことや僕への気遣いに感謝してます。ありがとうございました。」
彼は立ち上がると、薫に頭を深々と下げた。
【彼が帰ってしまう。このまま終わりになってしまう】
「あ、あ、あのぉ…」
「はい?何ですか?薫さん」
「いえね、また何か食べにいらしてくださいね。うちにはスープ以外にたくさんの創作メニューもありますから…」
「そうですね!これも何かの縁だと思いますし、薫さんの作った創作メニューも食べてみたいですね。」
「ちょっとお手洗い借りますね」
「その奥の方にありますよ。笑」
男はトイレに入っていくと、入り口が開いて智美が戻ってきた。「あ、店長…まだいたんですね。良かったぁ…」
「どうしたの?智美ちゃん」
「今日、店長の誕生日でしょ?」と智美は後ろに隠し持っていた赤い薔薇の花束を差し出した。
「覚えていてくれたの?」
「知ってますよ。わたしこの店の店員ですよ。笑」
「お誕生日おめでとうございます!」
まさか、智美から誕生日に花束をもらえるなんて思ってなかった薫はビックリしていた。
そうしたら、トイレに行っていた男が戻ってきた。
「あれ?たかし?何してんの?ここで?」
薫は目を丸くして黙り込んだ。「たかし…?」
「店長!紹介しますね。わたしの彼の土屋たかしです。」
「か、彼氏?」
「そ、そうなんだ…」
トイレから戻ってきたたかしは、智美を見て驚いていた。
「あれ?智美?どうしたの?なんでここに?」
「それはわたしのセリフです!ここは、わたしが働いているカフェだから」
「ああ、前にお前が言ってたカフェってここのことか?」
「いや、突然雨が降ってきたもんだから、ちょっと雨宿りさせてもらっていたんだよ。じゃあ、帰るか?」
「うん」智美はたかしと腕組みをして、薫に挨拶した。
すると薫はたかしにひとこと呟いた。
「たかしさん…だから言ったでしょ?雨降りは大嫌いなのよね。わたし…」
たかしは、不思議そうな顔をしていたが智美と店をあとにした。

第2章 雨上がりには黒い薔薇の花を

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