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汚れがなかなか落ちないところを楽しく掃除する方法

掃除は元々嫌いではない。

でも、子どものころから掃除や片づけをするならその時間も勉強したかったし、本を読みたかった。掃除や片づけは「こなすもの」だと捉えていて、きちんとあちこち綺麗になるまで続けなければならないと思っていた。だからこそ、やり始めるまでは腰も重いし、面倒だった。社会人になってもその傾向は変わらなかった。

今年の始めに加茂谷真紀さんの『愛のエネルギー家事』(すみれ書房)を読んでからは、家にあるあらゆるものたちも、家族と同様、温かい家庭を構成する大切な存在であるということに気づいた。そして家事は、家庭内の人や物を問わず存在を認め、寂しい思いをさせないように自分の手を通して優しく触れ合い、自分のエネルギーを流して温める「神事」である、ということも。

それからは、掃除の日を決めてタスクとしてこなすよりは、目を配って気になったところをきれいにしてあげるようになった。さらに、汚れを見つけた時に、前よりも楽しんで掃除ができるようになったと思う。そして、きれいになるときれいになったところも褒めてあげるゆとりができた。

その心のゆとりが夫にも伝わっているのか、わたしが汚れの落ちにくいところを掃除しているとき、楽しませながら声掛けで手伝ってくれることがある。

わたし「(汚れが落ちにくい箇所に触れながら)ふむ、ちみにはちょいとお仕置きが必要だな」

夫「(磨かれる物になりきって)なんでじゃ!なんでわしに限ってそのような仕打ちを受けねばならぬのじゃ!!」

わたし「おだまり!こうしてくれよう!!(洗剤をじかにかける)」

愛情という内容からはちょっと離れるようなセリフに聞こえるだろうが、これがわたしたちの家庭における愛情であり、優しさなのである。

そして、綺麗になったところで、「よしよし、きれいきれいなったね~ぴかぴかよ。すてきだねー」と声をかけてあげるのである。

あと数日で夫は先にスペインに旅立ってしまう。夫がこの前言っていたのだが、「一人いないだけで家の温度や湿度が全然上がらない」のは物理的にも、心理的にも間違いない。わたしもビザが取れたらすぐ後を追うのだが、その束の間は「物たちの声」が聞こえなくなってしまって寂しくなるだろう。

住まわせていただくほんの少しの間、今の空間を大切にしよう。

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