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WAI WAI NOODLE CHICKEN FLAVER(ワイワイヌードル チキン風味 ネパール製) うちにあって 日本の一般家庭の1%未満にしかないだろうと思うものを挙げてみる その7


このおいしい愛しいインスタント麺を初めて食べたのは1987年のチベット ラサでした。
中国には上海から入って いわゆる中国本土の漢族が住む地域を通過して、新疆ウイグル自治区、そしてチベット自治区に入った時には既に3ヶ月目に入っていました。

当時どこでも外食できた庶民向き中華料理は、シンプルでおいしく、信じられないほど不衛生でも基本的に何でも高温の油で炒めるためある程度安心感もあり、漢字が読める日本人であれば何とかなることで有利さを噛みしめていました。
だって大抵の西洋人ツーリストは、街に一軒だけある英語メニューがあるばかりに数倍の料金を取る店まで行くか、漢字ばかりのメニュー(薄汚れた手書き菜譜)の値段だけ見てやけっぱちで指差した品がスープばかり洗面器で三杯来て絶望したりしていたのです。当時の中国人は一人で店に入った西洋人が明らかに困って洗面器三杯のスープを注文しても親切に助言などしません。お前が言ったものを出したまでだ、と無表情で差し出します。日本人なら「言葉がわからない」「外人さんだ」と萎縮してしまいそうですが、それはいっそ見事な突き放し方でした。

少数民族区でも中華料理はどこでも食べられるから何とか続いてはいましたが、時には部屋で軽くお腹を満たしたいこともあるります。
しかし85年87年にはそこいらでカップ麺など見ることがなく、得体のしれない無数の種類の袋麺がホコリをかぶって売られているだけでした。または日をまたぐ長距離列車で食べてる人を目にするとか。
最初はものすごく期待して食べてみたこともあったのですが、「クソまずい」というひどい表現はこういう時に使うのだと思うほど壮絶なまずさでした。
というより、食品であってはいけないものの味とニオイがし、麺というにはただふやけた模造紙の破片のようで、これは作り方にあるように容器に入れてお湯を注いだ為にこうなった、鍋で煮込んだらもう少しおいしくなる、というような方法の問題ではなく、ただちに健康に影響を与えかねない部類の危ないヤツだと直感する程でした。

「たまたまひどいものに当たったに違いない」と別のものに挑戦したり、同じく期待して買ってきた日本人旅行者が口にした途端顔をしかめるのを見たり、前記の列車内の中国人が「不好(良くない)」と吐き捨てるのを聞くうち、もう食べる気など消え失せていました。

しかし、ラサでは売られていたこのヌードルは「おいしい」という外国人の評判通り、本当に涙が出る程美味しかったのです。

87年にはその後陸路でネパールまで抜けるのですが、そこで当時ネパールではこのWAIWAI(ワイワイ)ヌードルとRARA(ララ)ヌードルの二種類があり、ワイワイは日清チキンラーメン寄り、ララはチャルメラ塩寄りの日本人にも優しい美味しい味だと知りました。
ネパールで食べるごはんは何ともおいしく、毎食が楽しみでしたが、おなかを休めたい時はWAIWAIやRARAの出番です。
トレッキングでの食料の他に、小さなレストランではインスタント麺があり、袋麺の値段にいくらか上乗せしたらちょっと野菜を足して作ってくれるメニューがあったりしました。
あ、インド輸入品のMaggiもあったっけ?ブイヨンのMaggi。
でも中国ほどではないけど当時のMaggiはワイワイとララのレベルにはるかに及ばなかったから除外。

実はWAIWAIはタイのブランドなので、日本でもたまに輸入食品店で見かけたら即買いしていたのですが、タイのものよりネパールのものの方がうれしい理由があります。
タイのWAIWAIはさすが本場でチキン以外の味も多く、中でもMinced  Pork(豚ひき肉)味がとてもうまい、などの良さはあるのですが、タイの習慣として屋台飯でも一日五食が基本、従って一食の量が少ないお国柄なのです。
即席麺の量も50g台。
それに比べネパール製のものは75gで小腹がすいた時にちょうどいいのです。
タイ製だとちょっと物足りない。

中身はこう

日清チキンラーメンのようにそのままでも食べられる味付き麺
シーズニングにオニオンフレーバーオイルがベストマッチ
左上のチリはお好みで

で作ったものはこう

ネパール風にステンレスの食器にしてみた

とにかく大好きな WAIWAI NOODLEが2年前に徒歩圏内にできたインドネパールベトナム食材等を扱う店にあるものだから、切らさず置いてしまいます。

特に旅先での思い入れはなくても、とてもおいしいインスタント麺なので誰かに同意してほしい気持ちです。

因みに、中国内のインスタントラーメン(方便面)は、90年代に台湾のおいしいものの普及と共に本国物もレベルがかなり上がりました。
しかしここ何年かの中国のニュースで「工場の廃液の汚い機械油をすくったもので油揚げ麺を揚げていた」など、信じ難いとされることが報道され、「まさかいくらなんでも」とは思わず「やっぱりあの重油のようなヘドロのようなニオイは気のせいじゃなかった」と合点がいきました。
そして「信じられない」「あってはならない」と糾弾するより、「ちゃんとそれを良くないこととして問題にするようになって良かったという気持ちが先にきます。

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